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【連載版】加護なしの第八王女は、前世が社畜だったので王宮生活がイージーモードにしか見えない  作者: 茨木野


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90/92

90.

東の空が白み始め、冷たい夜気が王城を包み込む頃。

 徹夜で行われた血の粛清作業が、ついに終わりを告げた。


 ミシェルは最後に残った羊皮紙に赤いインクでバツ印を書き込むと、愛用の万年筆をコトリと机の上に置いた。

 執務室には、不正の証拠書類が文字通り山のように積み上がり、インクと古い紙の匂いが充満している。


「なんということでしょう。計算結果が出ました」


 ミシェルが疲労の色も見せずに、中指で眼鏡のブリッジを押し上げる。

 そして、呆れ果てたような冷たい声で結果を報告した。


「このゲータニィガ王国の貴族の、実に九割九分が、何らかの不正や横領、あるいは国家反逆行為に手を染めていました」


「ひぃぃいっ。ろくな国じゃないですぅっ。真っ黒通り越して、闇そのものじゃないですかぁっ」


 徹夜で調書を書かされていたティルが、白目を剥いて机に突っ伏す。

 横で腕を組んでいた巨大な皇帝ギデオンも、深々とため息をついて顔をしかめた。


「なんだ、この腐りきった国は。今までよく、ミシェルはこんなゴミ溜めを放置していたな」


「したくても、できませんでした。当時のわたしはただの事務官です。不正を暴いて彼らを物理的に裁くための、強力な『後ろ盾』がありませんでしたから」


 ミシェルのその言葉を聞いた瞬間。

 ギデオンの凶悪な顔が、パァァッと効果音が出そうなほど明るく輝いた。


 彼は音もなくミシェルの背後に回り込むと、鋼のような極太の腕で、彼女の華奢な体を後ろからむぎゅっと抱きしめる。


「ふふん。後ろ盾だな。ならば、これからは俺がお前の、文字通りの強固な『後ろ盾』というわけだ」


 ギデオンは嬉しそうに見えない尻尾をブンブンと振り、ミシェルの銀髪にすりすりと頬ずりをする。

 絶対的な覇王による、物理的すぎるバックハグであった。


「重いです。仕事の邪魔ですから、離れてください」


 ミシェルが氷の視線でピシャリと撥ね付ける。


「はい」


 ギデオンはシュンと耳を伏せた大型犬のように、即座に腕を解いて一歩後ろへ下がった。


「でもでも、ミシェル様」


 机に突っ伏していたティルが、涙目で顔を上げる。


「これだけの数の貴族を全員粛清しちゃったら、上の人間がいなくなって、国の行政が回っていかなくなるのでは」


「心配無用です。あのような馬鹿な連中はすべて切り捨てます。そして、これからは平民でも武功や実績を立てれば、即座に爵位を上げる実力主義の制度に切り替えることにしましょう」


 ミシェルの論理的で無駄のない決断。

 しかし、それに異を唱える愚かな声が、執務室の入り口から響き渡った。


「な、なななななっ。そんなこと、勝手に決めるでないわっ」


 ドタドタと足音を立てて現れたのは、豪奢な寝巻き姿の初老の男であった。

 丸々と太った腹を揺らし、頭には王冠を乗せている。

 この国の頂点に立つ男、ゲータ・ニィガニィガ王その人である。


「平民に爵位を与えるだと。そのような血統を無視した野蛮な真似、このゲータ・ニィガニィガが絶対に許さんぞっ。伝統ある我が国の」


「お前の意見など聞いていない」


 喚き散らす愚王の言葉を、ギデオンの地鳴りのような低い声が完全に叩き潰した。

 ギデオンが一歩前に出るだけで、凄まじい覇気が大気を震わせ、王はビクッと肩を跳ねさせて尻餅をつく。


「このままお前に国を任せたら、この国は確実に潰れる。俺の大事なミシェルの故郷がゴミ溜めになるのは、俺が許さん」


「ぐぬっ。し、しかし、平民から代わりの役人など」


「見つかりますよ」


 腰を抜かす王を冷たく見下ろし、ミシェルが淡々と告げる。


「幸い、この国には力がありながら、身分が低いという理由だけで冷遇されている者が、なぜか異様に多いのです。不自然なほどにね。そういった埋もれた有能な人材を、これより一斉に抜擢して登用しましょう」


 既得権益にまみれた貴族が腐敗する一方で、虐げられた平民の中にこそ真の逸材が眠っている。

 ミシェルはすでに、そのデータ的な偏りに気づいていたのだ。


「ほう。そんなにすぐに見つかるのか」


 ギデオンが興味深そうに身を乗り出す。


「ええ。過去の納税記録、討伐クエストの成績、そして身分不相応な左遷人事のデータがあれば十分です。一時間もあれば、完璧なリストを作成してみせますよ」


 ミシェルは新たな書類の束を引き寄せ、ペンを構えて自信に満ちた笑みを浮かべる。

 その凛々しくも美しい姿に、ギデオンは大きく頷いて腕を組んだ。


「ふっ。さすがは俺の女だ。計算の速さも正確さも、世界一だな」


 完全に二人の世界に入り、国政を意のままに操り始めた皇帝と冷徹妃。

 その様子を床から見上げていたゲータ・ニィガニィガ王は、屈辱と怒りで顔を真っ赤に染め上げた。


「ぐぬぬぬぬっ。おのれ、帝国めっ。ミシェルゥゥっ。この恨み、絶対に覚えておれよぉぉぉっ」


 三流の悪党のような捨て台詞を吐き、王は無様に床を這いずりながら逃げ出そうとする。

 その情けない背中を見送りながら、ミシェルは冷たく澄んだ声で命じた。


「ひどく耳障りですね。その愚王をひっ捕らえなさい、ギデオン」


「承知した」


 ギデオンは凶悪な笑みを浮かべ、猛獣のような速度で跳躍した。

 哀れな悲鳴が響き渡り、ゲータ・ニィガニィガ王は巨大な覇王の手に首根っこを掴まれ、あっけなく宙吊りにされる。


 これで、王国の腐敗の頂点に立つ男も完全に無力化された。

 夜明けの光が差し込む執務室で、ミシェルは静かにペンを走らせる。

 愚か者たちを排除し、有能な者たちへ正当な光を当てるための、新しい国の設計図を描き始めるのであった。

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