近くて遠い、ココロノキョリ
オープニング曲『Altair-アルタイル-』
https://x.com/HanashioKikei/status/2069390019262120191?s=20
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翌日。
今朝も日課である大樹の観察から、と澪は彼の机を見るが、席の主の姿は無し。カバンも無い。澪は本日風紀の当番で朝の活動から戻ってきたところなので、時刻にしてみればすでに大樹は到着していてもおかしくない。同時に大樹はどんなに眠そうでも(あるいは着席と当時に眠るにしても)遅刻だけはしたことがない。授業中の姿勢に口を酸っぱく注意することはあっても遅刻を咎めたことは一度もなかった。
(欠席…なのかしら? 連絡くらい! …って、そっか、連絡方法ないんだっけね…)
悶々と思い巡らすうちにチャイムが鳴り、さくらが入ってきて朝のSHRが始まった。
ほどなく、教室後ろの戸がガラガラと開く。
「おそくなりましたー」
といつもの調子で大樹が入ってきた。
「話は聞いている。席に着け」
「ほーい」
やはりそれはいつもと変りない大樹だった。
(何よ、もう来てるんじゃない!)
不平を漏らす心の声とは裏腹に、澪の顔にはパッと笑顔が咲いた。
(さて、事情を聞いてあげましょうかね)
SHRが終わるや、大樹の席へ行こうと腰を上げた矢先。
「なぁ、白鷺」
「ひゃぁ⁈」
不意に声を掛けられ、驚きのあまり再びお尻はストンと座面へと戻る。
「びっくりしたぁ! え、何? 何か用、かしらっ?」
不意を突かれただけではない。そもそも大樹の方から話しかけてくること自体がレアケース。現在澪の心臓はバックンバックンと激しいビートを刻んでいる。
「これの使い方を教えてくれ」
と大樹が差し出したのはハンディサイズの黒い板。
「…スマホ? どうしたの、これ」
「朝来るなり呼び止められてよぉ。職員室へ連れていかれて、お前は何かにつけ連絡をつけづらいからってコレ渡されたんだ」
(ははぁん、なるほど。考えることは誰も同じか)
なにしろ15分ほど前に澪自身が思ったほどなのだ。
(それにこれ、たぶん教職員用だ)
同じ筐体を文弥が持っているのを見たことがあるし、保健室では杉崎の机の上に置かれているのを見たこともある。
(これはお父様が? だとすると…世話係を『解任』って、そういう意味かも知れない)
澪がやっていることといえば、大樹と文弥を繋ぐ連絡係のようなもの。確かに大樹に連絡をつける手段があるならば、自分の役目は終わることになる。だがそれは文弥への連絡の義務がなくなるというだけで、学校側から大樹に伝えることがあっても自分を介する必要はない、ただそれだけなのだ。そう気が付いた澪は、心のどこかに引っ掛かっていたものがすっかり取れて、晴れ晴れとした気分になった。
「ふふ、いいわよ。ちょっと貸してみて。 …電源入ってないじゃない」
「どうやって入れんだよ」
「そこからかー。ここ、ほら、この長いボタンを長押しすると、ね?」
「おおっ!」
真っ黒だった液晶がにわかに明るくなり、スタートアップ画面が表示される。それを子供のように無邪気な驚きの眼で覗き込む大樹。
(…あ、なんかかわいい…)
その新鮮な反応に澪の心がくすぐられる。
「あ、アカウントはもう作られてるんだ」
スタートアップの後はアカウント作成画面へ行くのかと思いきや、アイコンがパラパラと置かれたホーム画面へ移行した。どうやらそこまでは学校側で用意していたらしく、なんと校内LANへの接続まで済んでいた。
「すげーな白鷺。そんなことも分かるんだ」
「あ、うん、まぁね」
それはスマホを使ったことがある者なら誰でも分かることなのだが…しかし大樹からの称賛は澪の自尊心をくすぐりまくる。
「いいわよ。何でも聞いて」
フフンと澄ましたその顔の、鼻がニョキニョキと伸びているのは間違いない。
「で? どうすんの?」
「どうすんの、って、アプリを使っていろいろと」
「あぷりって何だ?」
「あー、そこからかー!」
何でも聞いて、と言ったそばから後悔した。
「えぇっと、アプリっていうのは」
キーンコーンカーンコーン…
と無情にもここでチャイム。
「ああ、ゴメン、1時間目始まっちゃうから。次の休み時間に。ね?」
「おう。よろしく頼むな」
「うん」
頼まれれば断れない性格の澪ではあるが、それが大樹からのお願いともなればなおさら。たとえスマホの「ス」の字から教えることになろうとも――――という覚悟はできていた。
◆
1時間目終了のチャイムが鳴る。1時間目の教科をしまい、2時間目の準備をして、とルーティーンを済ませた澪、さて大樹の元へと立ち上がったところ――――
「お? なんだよ神代、スマホ持ってんじゃん!」
「マジで? LINQのID交換しようぜ!」
目ざとく見つけた磯貝太夫人と清水一哉がそれを手にしていた大樹に話しかけた。
「りんく…って何?」
「え、知らねぇのかマジか。LINQくらい入れとけよ」
「使い方分からん」
「マシで? 今時スマホくらい縄文人でも使えんだろ」
「いや縄文人ムリだろ」
と話が弾んでいる。大樹がクラスに、そしてクラスメイトに溶け込んでいる景色。同時にそれは、澪が『世話係』として任された役目のゴールを示すものでもあった。
(男の子同士っていいなぁ…あんな雑な会話でケンカにならないんだ…)
様子をほのぼのと見守っていた澪だが、事態は彼女の想像よりも駆け足だった。
「そこ押して 違、ちと貸してみろ。 …ホレ、できあがり。ほんじゃID交換しようぜ」
「あ…」
その行為を制止するかのように澪の右手が上がる。
「ん? 澪、何やってんのー? お、ひろっち、なんか人気者になってんじゃん」
「…うん。神代君も、友達出来てよかったな、って」
「だよねぇ。 …で、澪は何やってんの?」
「うん…何でもない…」
キーンコーンカーンコーン…
ゆっくり静かに澪の手は下りて元の位置へ。そして静かに席に着いた。
次の休み時間もその次の休み時間も、大樹の周りには人が絶えなかった。
そればかりか
「PMー! ウチともLINQやろうぜー」
チョイ黒ギャルの亞里亞が先鞭をつけると人だかりには私も私もと女子が混ざるようになる。澪はそれを自分の席から眺めているだけだった――――いや。一人、また一人と女の子が集まってくるたびに、澪は心にザラザラとした不快なモノが蠢くを感じていた。
「澪も行ってくればいいじゃん」
「私は別に…紗々羅は? 行かないの?」
「混雑してるからねー。ウチ行列に並ぶの嫌いだし。空いてからにするー」
「それじゃ…私も…」
大樹がクラスに溶け込んでいるのは嬉しいはずなのに素直にそれを喜べない自分がいる。一歩踏み出せば大樹の隣、くらいに感じていた距離が今ではとても遠く思えた。
◆
こんな日に限って… 今日ほど風紀の当番が恨めしく思ったことはない。昼休みは弁当持参、委員会の教室で待機。午後の休み時間も大樹の周りには人が絶えず、澪は気後れして近づけなかった。
放課後もHRが済めばすぐに校長室への報告、そして当番で校舎外の見回りと、大樹に声を掛けることさえできずじまい。戻ってきた日常が澪を振り回す。
本日の日誌を書き終え、131教室を出る頃には外の景色は夕日に染まっていた。なんだか散々な一日だったな、などとうな垂れながら昇降口へ向かう。ふと――――薄暗くなった昇降口に大きな人影を1つ見出し、息を呑んだ。
「…神代君…?」
「なんだか今日は囲まれちまってよ、白鷺にこれの使い方聞きに行けなかった。悪かったな、約束したのに」
「え…それで…待ってたの? ここで? ずっと?」
「ああ。どこにいるんだか分かんねぇからよ、帰るときには靴くらい履くだろう、って ん? どうした?」
澪は俯いた。見られたくない、と思った。今日一日すっぽり欠けていた何かが満たされて、それが水の形をとって目から溢れてこぼれそうになっている自分を。だから努めて
「あ、ありがとう! ごめんね、待たせちゃって。だけど今日はもう学校終わりだから。明日。明日私がしっかり教えてあげる!」
精一杯の笑顔を作って応える。
「それで…あの、神代君の方から来てくれるかな。私、人がいっぱいのところって苦手だから…その、いい、かな?」
厚かましいかな、とも思った。だから最後の方は自信がなかった。でも。
「いいぜ。なんたってオレが教わる方だからな。むしろ頭を下げて教えを請わなきゃなんねぇくらいだ」
大樹のあっけらかんとしたいつもの調子がこれほど嬉しく思ったことはない。
それから――――昇降口から校門を出て1つ目の交差点で分かれるまでの僅かな距離。初めて澪は大樹と並んで下校した。とりわけ交わす言葉は無いけれど、澪は自分の中に何か温かいものが流れ込んでくるのを感じていた。
◆
エンディング曲『おおきくなるみ』
https://x.com/HanashioKikei/status/2080624037781193157?s=20




