第88話 軽くなる背中
朝、庭に出ると、ラウルは立っていた。
ベンチではない。
小道の端で、空を見ている。
数日ぶりに、歩いていた。
だが急いではいない。
私は足を止める。
ラウルがこちらに気づく。
「……少し、動いてみました」
「そうですか」
彼はゆっくり歩く。
一定の速さだが、以前のような緊張はない。
「歩いても、急がなくても」
彼は言う。
「変わらないですね」
「ええ」
「それが分かりました」
私は何も付け足さない。
彼の中で完結し始めている。
午前中、ラウルは庭を一周する。
立ち止まり、また歩く。
ベンチに座ることもあれば、
そのまま川へ向かうこともある。
選んでいる。
ただそれだけで、以前とは違った。
昼前、管理人と話しているのが見えた。
私は少し離れた場所で足を止める。
「滞在を終えようと思います」
ラウルの声は穏やかだった。
「そうですか」
管理人も変わらない。
「戻ります」
「ええ」
それだけだった。
特別な引き止めはない。
ラウルは深く礼をする。
午後、食堂でラウルは静かに食事をしていた。
もう周囲を観察しない。
何も探さない。
ただ、食べている。
ユリウスが通る。
「ご不便はありませんでしたか」
「ありません」
少しだけ間を置いて、ラウルは続ける。
「何もなくて、助かりました」
ユリウスは頷く。
それで会話は終わる。
夕方、川辺に立つ。
私はいつもの石に腰を下ろす。
ラウルが隣に来る。
距離は、以前より近い。
「持たないまま、戻ります」
「ええ」
「戻ったら、また責任はあります」
私は水面を見る。
「持つかどうかは」
ラウルは少し笑う。
「選べると分かりました」
風が少し強くなる。
「それだけで、十分です」
私は頷く。
ラウルは深く息を吐く。
「軽いまま、歩けそうです」
それは報告ではなく、
確認だった。
夜、門の前に馬車が用意される。
大きな荷物はない。
来たときと同じだ。
ラウルは振り返る。
庭を一度だけ見る。
「ここは、変わりませんね」
「変えないので」
彼は少し笑う。
「それが、いい」
馬車に乗る。
扉が閉まる。
車輪がゆっくり動く。
誰も手を振らない。
誰も追わない。
ただ、送り出す。
庭はすぐに静かになる。
私はそのまま川辺へ戻る。
水は変わらず流れている。
夜、部屋に戻る。
窓を開ける。
風は同じだ。
背中は軽くなる。
持たなくてもいいものを、
持たないと決めるだけで。
私は灯りを落とす。
また一人、整って戻った。
次に来るのは、
どんな人だろうか。
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