第84話 役割のない椅子
昼過ぎ、食堂の窓から庭を見ていると、ラウルがベンチに座っていた。
同じ場所だった。
昨日と違うのは、
背筋が少しだけ柔らかくなっていること。
私は食堂を出て、小道を歩く。
声はかけない。
ベンチは三つ並んでいる。
中央にラウルが座っていた。
両隣は空いている。
しばらくして、彼が言う。
「この椅子には役割がありませんね」
独り言のようだった。
「ええ」
私は少し離れた石に座る。
「座るだけです」
ラウルは椅子の端に手を置く。
「以前の職場では、椅子に意味がありました」
「意味」
「役職です」
彼は小さく息を吐く。
「どの椅子に座るかで、責任が決まる」
私は庭を見る。
「ここでは決まりません」
「ええ」
ラウルは頷く。
「誰も指示を出さない」
「出す必要がないので」
ラウルは少し考える。
「役割がない椅子に座るのは、落ち着かない」
「そうでしょう」
「何かするべき気がする」
私は水の音を聞く。
「何もしなくても、困らないなら」
ラウルが小さく笑う。
「またその言葉ですか」
「便利なので」
彼は背もたれに体を預ける。
それはここに来て初めての動きだった。
肩の力が少し落ちる。
午後、ユリウスが庭を通る。
ラウルに軽く会釈するだけで、立ち止まらない。
用事はない。
それで問題もない。
夕方、ベンチはまだ同じだった。
ラウルは立ち上がらない。
空を見ている。
夜、部屋に戻る。
窓を開ける。
風はいつもと同じ。
役割のない椅子。
それは、ここでは普通のことだ。
私は灯りを落とす。
誰も席を決めない場所。
それでも、今日も整っていた。
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