第85話 責任の置き場所
朝、庭はまだ少し冷えていた。
ベンチにラウルが座っている。
昨日と同じ場所だった。
違うのは、姿勢だ。
背もたれに体を預けている。
私は小道を歩き、そのまま川辺へ向かう。
しばらくして、足音が後ろから近づいた。
「少し、お聞きしてもいいですか」
ラウルだった。
「ええ」
彼は少し考えてから言う。
「昨日、椅子に役割がないと話しました」
「ええ」
「それでも、何かが動いている」
私は水面を見る。
「そうですね」
ラウルは川を見つめる。
「私は、ずっと責任を持っていました」
「そうでしょう」
「決断すること、間違えないこと、失敗しないこと」
彼は手を組む。
「それを置く場所がない」
その言葉は、少し重かった。
私は少し考える。
「置かなくても、困りませんか」
ラウルはすぐには答えない。
川の音だけが続く。
「……置かないと、不安です」
「そうですか」
「何かを預かっていないと、自分が軽くなりすぎる」
私は水面を見る。
「軽いと、困りますか」
ラウルは小さく笑う。
「責任を持つことに慣れていると」
「ええ」
「軽さは落ち着きません」
午後、食堂でラウルは静かに食事をしていた。
今日は周囲を観察していない。
誰も彼に仕事を頼まない。
誰も意見を求めない。
それでも時間は進む。
夕方、庭に出ると、ラウルが言う。
「責任は、どこへ行くのでしょう」
私は少し考える。
「置かなくても、消えることがあります」
ラウルは驚かない。
ただ、ゆっくり頷く。
夜、部屋に戻る。
窓を開ける。
風は変わらない。
責任を持って生きてきた人は、
それを手放す場所を知らない。
ここは、その場所なのかもしれない。
私は灯りを落とす。
今日も、何も決めていない。
それで、十分だった。
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