第70話 動かない中心
午後、廊下の窓から庭を眺める影があった。
ユリウスだった。
帳簿を閉じ、静かに外を見ている。
庭では、滞在者がそれぞれの場所にいる。
エマは木陰のベンチに。
年配の男性は川辺に。
誰も互いを気にしすぎない。
ユリウスは視線をゆっくり動かす。
規則は増えていない。
衝突も起きていない。
利用状況は安定している。
数字で示せる変化は少ない。
それでも、崩れない。
彼はふと、庭の端を見る。
そこに、リリアが立っている。
誰かと話しているわけではない。
指示も出していない。
視線は遠く、水面の方へ向いている。
ただ、いる。
ユリウスは小さく息を吐く。
管理人が隣に立つ。
「何か問題でも」
「いいえ」
ユリウスは帳簿を軽く叩く。
「問題がない理由を、考えていました」
「理由はありますか」
「規則を増やしていないこと」
「ええ」
「そして――」
彼は言葉を止める。
「何か、ですか」
管理人は問いかける。
ユリウスは庭をもう一度見る。
「中心がないはずなのに、偏りが生まれない」
管理人は静かに頷く。
「ここには中心はありません」
「ええ。ですが、動かない点はあります」
管理人は何も言わない。
庭では、エマが立ち上がり、
川辺へ向かって歩いていく。
リリアはその動きを追わない。
止めない。
導かない。
ただ、立っている。
ユリウスは理解する。
中心ではない。
指導者でもない。
けれど、急がせない存在がある。
「規則は増やしません」
ユリウスは言う。
「必要ありません」
管理人は微笑む。
「そうですね」
夕方、庭に出る。
リリアとすれ違う。
「ご不便はありませんか」
形式的な問い。
「ありません」
短い返答。
ユリウスは頷く。
それで十分だと分かっている。
夜、帳簿に一行だけ書き加える。
――現状維持。
それは停滞ではない。
動かない点があるから、全体が安定している。
庭の奥で、風が揺れる。
誰も中心に立たない場所。
けれど、動かない点は確かにある。
それを言葉にする必要はない。
整っていれば、それでいい。
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