第66話 置いていかれない朝
翌朝、食堂に入ると、アルドはすでに席に着いていた。
昨日と同じように、急いでいる様子はない。
背筋は伸びているが、視線は落ち着いている。
「おはようございます」
エマが自然に声をかける。
「……おはようございます」
少しだけ間があったが、言葉は柔らかい。
私は自分の席に座る。
椅子は二つ並んでいる。
彼が小さく言う。
「止まれましたか」
「少し」
私は短く答える。
アルドはパンをちぎりながら、ふと呟く。
「朝が、変わらず来るのですね」
誰に向けたわけでもない。
「来ますね」
エマが穏やかに返す。
「昨日と同じように」
アルドはしばらく考える。
「昨日、何も進まなかった気がしました」
「進まなくても、減ってはいません」
私は湯のみを持ちながら言う。
アルドは顔を上げる。
「減っていない」
「ええ」
「それは、確かに」
彼は小さく頷く。
午前中、庭に出ると、アルドは歩いている。
だが速くない。
足取りは一定で、考え込むような緊張はない。
ユリウスが帳簿を手に通りかかる。
「ご不便はありませんか」
事務的な問い。
「特には」
アルドは即答しない。
「……今のところは」
ユリウスは頷くだけで、去っていく。
午後、川辺に三人が偶然集まる。
誰も呼んでいない。
水の流れを見ながら、エマが言う。
「最初は、ここが遅すぎると思っていました」
アルドが視線を向ける。
「今は?」
「遅いのではなく、急がないだけだと」
アルドは少し笑う。
「急がない、か」
私は水面を見る。
「置いていかれるのが怖いと、昨日言っていましたね」
アルドは驚かない。
「ええ」
「今日は、どうですか」
少しの沈黙。
「……置いていかれていません」
私は頷く。
「それなら、十分です」
夕方、屋敷へ戻る途中で、アルドが言う。
「速さは、私の癖のようなものでした」
「癖は、急に変わりません」
「ええ。ですが、少し緩めても、崩れないと分かりました」
夜、部屋に戻る。
窓を開けると、変わらない風が入る。
朝は、置いていかない。
夜も、追いかけない。
ここでは、時間が人を急がせない。
私は灯りを落とす。
置いていかれない朝。
それを、彼も知り始めていた。
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