第63話 揺れない場所
午後、共有スペースにいつもより人が集まっていた。
珍しい光景だった。
中央に立っているのはアルドだった。
「皆さんは、この滞在で何を目標にしていますか」
声は落ち着いているが、はっきりしている。
エマが少し戸惑った顔をする。
「目標……ですか」
「ええ。数値でも、期限でも構いません。ここを出るとき、どうなっていたいか」
数人の滞在者が顔を見合わせる。
沈黙は長くは続かない。
「特に決めていません」
年配の男性が言う。
「決めないと、改善は難しいのでは」
アルドは穏やかに返す。
「困っていないので」
別の女性がそう言った。
アルドは言葉を止める。
私は少し離れた椅子に座り、その様子を見ていた。
誰も怒らない。
誰も反発しない。
ただ、急がない。
エマが小さく口を開く。
「私は……最初は正解を探していました」
アルドが視線を向ける。
「でも今は、困っていないなら、それでいいと思っています」
言葉は静かだが、揺れていない。
アルドはしばらく黙る。
「それでは、変化を感じられないのでは」
「感じられなくても、問題はありません」
エマははっきりと言った。
私は視線を落とす。
彼女はもう、私を見ていない。
自分の言葉で立っている。
アルドはゆっくり息を吐く。
「この場所は、随分と穏やかですね」
「ええ」
管理人が短く答える。
「穏やかであることを、目的にはしていませんが」
「結果的に、そうなっている」
ユリウスが淡々と付け加える。
アルドは周囲を見渡す。
誰も焦らない。
誰も競わない。
共有スペースに、重さはない。
やがて彼は肩を落とす。
「……少し、歩いてきます」
「ご自由に」
管理人の声は変わらない。
人が散り、空間が元に戻る。
私は立ち上がることも、言葉をかけることもしない。
夕方、庭に出ると、アルドが川辺に立っていた。
水面を見つめている。
速さが、少しだけ緩んでいるように見えた。
夜、部屋に戻る。
窓を開けると、風は穏やかだ。
揺らそうとする人が来ても、
この場所は揺れない。
揺れないのは、強いからではない。
誰も急がないからだ。
私は灯りを落とす。
ここは、走らなくてもいい場所。
それが、今日も守られていた。
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