第60話 基準のない基準
午後、庭の一角で椅子の配置が少し変わっていた。
以前は円を描くように並んでいたものが、
今日はゆるやかな半円になっている。
誰かが意図して動かしたのだろう。
私は特に気にせず、空いている椅子に腰を下ろす。
しばらくして、ユリウスが帳簿を手に現れた。
配置を一瞥し、わずかに頷く。
「動線が自然になりました」
独り言のように言う。
近くにいた管理人が尋ねる。
「以前の方が整って見えましたが」
「整っていることと、使いやすいことは別です」
淡々とした返答。
「皆さま、中央に寄りすぎる傾向があります」
その言葉に、管理人は少し笑う。
「中心があると、集まりたくなるのでしょう」
ユリウスは一瞬だけこちらを見る。
視線は短い。
「ええ。しかし、ここには中心はありません」
私は何も言わない。
中心がない。
それは正しい。
ここには主役も、指導者もいない。
午後、エマが椅子に座る。
半円の端に落ち着く。
以前なら、中央を選んでいたかもしれない。
今は違う。
夕方、ユリウスが管理人に報告している。
「特別な規則は増やしません」
「問題は?」
「ありません」
「理由は?」
少しだけ間があく。
「現状で、誰も急いでいないからです」
その答えは、数字では測れないものだった。
私は庭の端に立ち、空を見上げる。
彼が隣に来る。
「基準がないと、決めにくいものです」
「ええ」
「でも、ここは決めやすい」
「なぜでしょう」
彼は小さく笑う。
「決めなくても、崩れないと分かっているからでしょう」
夜、部屋に戻る。
窓を開けると、涼しい空気が流れ込む。
基準のない基準。
誰も私に判断を求めない。
それでも、私がいることを前提に空気が整っている。
それは、役割ではない。
ただの在り方。
私は灯りを落とす。
ここには中心がない。
それでも、場は揺れない。
それで、十分だった。
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