第52話 見ているだけ
翌朝、庭に出ると、エマはすでにそこにいた。
昨日と同じ時間。
同じ小道の端。
けれど今日は、立ち止まって周囲を見回すのではなく、
静かにベンチに腰を下ろしている。
私は少し離れた木陰に座る。
声はかけない。
エマは手元の本を開いているが、
ページはあまり進んでいないようだった。
それでも、急いではいない。
しばらくして、彼女は本を閉じ、
川の方へ歩き出す。
足取りは昨日より落ち着いている。
私はその様子を、視界の端で追う。
教えたことは何もない。
励ましたわけでもない。
ただ、「分からないままでいい」と言っただけ。
それでも、何かが変わり始めている。
午前中、食堂で顔を合わせる。
エマは今日は、周囲に質問をしていない。
使用人に対しても、
「ありがとうございます」とだけ言う。
正解を求める視線が、少し薄れている。
「落ち着いてきましたね」
彼が小さく言う。
「ええ」
私はそれ以上を語らない。
午後、川辺に向かうと、
エマが水面を眺めていた。
私に気づくと、軽く会釈をする。
「今日は……何も考えていません」
少し照れたように言う。
「そうですか」
「昨日は、何かを決めなければと焦っていましたが……今日は、ただここに」
言葉が途切れる。
私は隣に座らない。
少し離れた石に腰を下ろす。
「困っていますか」
「……いいえ」
「では、大丈夫です」
それだけ。
エマは小さく笑う。
「大丈夫、なのですね」
私は答えない。
大丈夫かどうかを決めるのは、彼女自身だから。
夕方、屋敷へ戻る。
管理人がエマに声をかける。
「慣れましたか」
「まだ分かりませんが……困ってはいません」
その答えに、管理人は満足そうに頷いた。
夜、部屋に戻る前、
庭を振り返る。
エマは、昨日と同じベンチに座っている。
誰かに話しかけるでもなく、
急ぐでもなく。
見ているだけ。
私は何もしていない。
それでも、場は少しずつ整っていく。
窓を開け、夜風を吸い込む。
教えることはない。
救うこともない。
それでも、誰かが自分で立つ瞬間がある。
それを、遠くから見ているだけでいい。
私は灯りを落とす。
今日も、静かに終わった。
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