第51話 答えを持たない人
午後の庭は、静かだった。
木陰のベンチに腰を下ろし、本を開く。
文字を追っているようで、内容はあまり頭に入っていない。
足音が近づいてくる。
昨日から何度も感じていた、迷いを含んだ足取り。
顔を上げると、あの女性――エマが立っていた。
「……少し、お時間よろしいでしょうか」
「ええ」
私は本を閉じるが、膝の上に置いたままにする。
彼女は隣ではなく、向かいのベンチに座った。
距離を選んだのだと思う。
「こちらでは……皆さま、とても落ち着いていらっしゃいます」
「そうですね」
「私は、まだ……どうしても、何かをしなければならない気がして」
指先がわずかに揺れている。
「何を、でしょう」
私がそう問うと、エマは言葉に詰まった。
「……分かりません。ただ、正しく過ごさなければと」
「正しく」
私はその言葉を繰り返す。
「はい。ここに来た以上、きちんと静養して、きちんと立ち直って、きちんと……」
そこまで言って、声が小さくなる。
私は少しだけ視線を落とす。
「きちんと、は難しいですね」
エマが顔を上げる。
「では……どうすれば」
その問いは、期待を含んでいた。
私はゆっくりと息を吸う。
「分からないままで、いいと思います」
エマは、瞬きをする。
「……分からないままで?」
「ええ。私も、最初は分かりませんでした」
経験談を語りすぎないように、言葉を選ぶ。
「でも、分からないまま過ごしているうちに、困らなくなりました」
「困らなく……」
「正解を探さなくても、一日は終わります」
私は立ち上がらない。
慰めるような口調にもならない。
ただ、事実を置く。
エマは、しばらく何も言わなかった。
庭の風が、木の葉を揺らす。
「……それで、よいのでしょうか」
「困っていないなら」
私はそれだけ答える。
彼女の視線が、少しだけ柔らぐ。
納得したわけではない。
でも、否定もしなかった。
「ありがとうございます」
小さな声で言って、エマは立ち上がる。
私は本を開き直す。
助言をしたわけではない。
導いたわけでもない。
ただ、答えを渡さなかった。
夕方、川辺に向かう途中で、彼とすれ違う。
「話していましたね」
「少しだけ」
「助けましたか」
私は首を横に振る。
「答えは持っていないので」
彼は小さく笑う。
「それが、いいのだと思います」
夜、部屋に戻る。
窓を開けると、冷たい空気が流れ込む。
答えを持たない人。
それでいい。
誰かの正解になる必要はない。
私は灯りを落とし、目を閉じる。
分からないままでいることは、
もう、怖くなかった。
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