第31話 選ばないという選択
その日も、特別な出来事はなかった。
朝は穏やかで、
空は少し霞んでいる。
私は窓を開け、
外の空気を吸い込んだ。
「……今日も、静かね」
それは確認ではなく、
受け入れに近かった。
庭に出ると、
数人が作業をしている。
声をかけられることもあるが、
用件は簡潔だ。
「今日は、午後から雨が降るそうです」
「分かりました」
それだけ。
選択を迫られることはない。
昼前、川辺へ向かう途中で、
あの青年と並んで歩くことになった。
肩が触れるほど近くはない。
けれど、離れてもいない。
「……最近、
落ち着いていますね」
彼が、ぽつりと言う。
「そうですね」
それ以上、
言葉は続かない。
川に着き、
それぞれが石に腰を下ろす。
水の流れを見ながら、
私は少しだけ考える。
もし今、
何かを決めるよう求められたら。
答えは、
決まっている。
「……私は」
言いかけて、
一度言葉を止める。
彼は、こちらを見ない。
待つだけだ。
「今、
何かを選ぶつもりはありません」
声は、思ったより落ち着いていた。
「そうですか」
彼は、
驚きもしなければ、
残念そうでもない。
「それは、
逃げているわけではない、
ということですよね」
確認のような問い。
「ええ」
私は頷く。
「決めないことで、
守りたい距離があるだけです」
「分かります」
彼は、即答した。
理由を聞かない。
説得もしない。
しばらく沈黙が続く。
それは、
答えを先送りにした沈黙ではない。
今は、
これで十分だという空気。
午後、屋敷に戻る。
雨が降り始め、
庭がしっとりと濡れる。
私は軒先で、その様子を眺めていた。
「……選ばない、って
難しいですね」
思わず口に出す。
彼は、少し考えてから答えた。
「選ばないことを、
選んでいるなら」
「……それは」
「立派な選択だと思います」
その言葉は、
私の背中を押すものではなかった。
ただ、
立っている場所を肯定するだけ。
夜、部屋で灯りを落とす。
雨音が、一定のリズムで続く。
私は今日の会話を思い返す。
決めなかった。
でも、逃げなかった。
それが、
今の私にはちょうどいい。
「……急がなくていいのね」
そう呟いて、
目を閉じる。
選ばないという選択は、
静かで、
確かなものだった。
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