第26話 それでも、そばにいる
その日は、特に何も起きなかった。
朝はいつも通りに目が覚め、
食堂で朝食を取り、
庭を一周してから部屋に戻る。
体調も、気分も、安定している。
「……静かね」
独り言は、確認のようなものだった。
昼前、屋敷の裏手で洗濯物が揺れているのを眺める。
風が通り抜けるたび、
布が軽く音を立てる。
そのそばに、あの青年がいた。
何か作業をしている様子でもなく、
ただ、そこにいる。
「こんにちは」
「こんにちは」
それだけで、会話は終わる。
同じ場所にいるのに、
話さなければならない理由はない。
しばらくして、私は川の方へ向かった。
彼も、少し遅れて同じ方向へ歩き出す。
並んではいない。
でも、離れてもいない。
歩幅が合うようで、
合わせている感じはしなかった。
川辺に着くと、
それぞれが別の石に腰を下ろす。
水の流れを眺め、
風の音を聞く。
沈黙が、長く続く。
それでも、
気まずさは生まれない。
「……今日は、何かする予定はありますか」
彼が、ふと思い出したように聞く。
「特には」
「そうですか」
それで終わる。
誘われない。
断る必要もない。
午後、私は部屋で本を読んでいた。
ページをめくる音だけが、
静かに続く。
途中で集中が切れても、
誰かに声をかけられることはない。
扉の向こうに、
人の気配はある。
けれど、入ってこない。
夕方、庭に出ると、
彼が木のそばに立っていた。
「……日が長くなりましたね」
「そうですね」
季節の話題だけで、十分だった。
「そろそろ、夕食の時間です」
「はい」
一緒に行こう、とは言われない。
けれど、
同じ方向へ歩き出す。
食堂では、
いつもの席に、それぞれが座る。
向かい合うでもなく、
離れすぎてもいない。
会話は少ない。
それでも、
空気は落ち着いている。
夜、部屋に戻る。
窓を開け、
外の音を聞く。
遠くで、誰かの足音がする。
私はそれを、
確かめることなく受け流した。
今日一日を振り返って、
私は気づく。
何も起きなかったのに、
不安がなかった。
距離が変わったわけでもない。
言葉が増えたわけでもない。
それでも、
そばにいることが、前提になっている。
それは、
約束ではない。
依存でもない。
ただ、
同じ時間を過ごす選択が、
自然に続いているだけ。
私は灯りを落とす。
明日も、
たぶん同じような一日になる。
それを、
退屈だとは思わなかった。
むしろ、
これ以上、何かを足す必要がない。
「……悪くないわね」
小さく呟いて、
目を閉じる。
それでも、そばにいる。
それだけで、
今日は十分だった。
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