第03話「押し入れの同居人と夜の浴室」
玄関の鍵を閉めた瞬間、全身から一気に力が抜けた。
「……はぁ、疲れた……」
思わず漏れた自分の声の甲高さに、またしても心臓が跳ね上がる。
視界の位置が低い。歩くたびに首筋を撫でる髪がうっとうしい。そして何より、胸元にぶら下がる重みが、一歩ごとに鈍く主張してくる。
全部、夢じゃない。ボクは本当に、女の子になってしまった。
誰にも見られたくない。家族にすら顔を合わせられない。
忍び足で階段を駆け上がり、自室へ滑り込んでドアの鍵を閉める。背中を預けて、ようやく長く息を吐き出した。
「……座ろ。とりあえず一回、座って考えよう……」
ぐるりと部屋を見渡したところで、ゆずきの思考がピタリと停止した。
「……え?」
部屋の床に、何かが散乱している。
季節外れの冬用毛布、予備の枕、昔読んでいた漫画の単行本が入った段ボール箱、修学旅行の記念品――。
押し入れの奥深くにしまってあったはずの私物が、ことごとく引っ張り出されていた。
そして、押し入れの襖がガラリと半分開いている。
「な、なんだこれ……泥棒!?」
おそるおそる近づき、中段の薄暗がりに目を凝らした瞬間――。
「あら。お帰りなさいまし、ゆずき」
「うわああああっ!?」
飛び退いて、そのまま尻もちをついてしまった。
押し入れの中段、本来なら客用布団が収まっているはずのスペースに、銀髪の少女――ルナがすっぽりと収まり、我が物顔でこちらを見下ろしていた。
「ル、ルナ……!? なんであんたが僕の部屋にいるんだよ! っていうか、この散らかりようはなんだ!」
「見ればお分かりでしょう? 快適な居住空間を確保するために、余計な荷物を外へ出させていただきましたの」
「勝手に出すな! ボクの荷物だぞ!」
「狭いところというのは、どうしてこうも心が落ち着くのでしょうね。適度な暗がり、包まれるような閉塞感……素晴らしいですわ。今日からここを、あたくしの玉座と定めます」
「まんがのキャラクターみたいなこと言わないで! あと勝手に決めないでよ! そこはボクの部屋の押し入れだよ!」
「まあ、そんなこと言われましても、もうこうして私好みの空間にしてしまいましたし」
「なっ?」
「ほら」
「なっ、なっ……?」
ルナの背後に視線を向けて、ゆずきは絶句した。
押し入れの中は、どこか浮世離れした彼女好みのプライベートルームへと完全に作り変えられていた。
「いっ、いつの間に……?」
「はあい、つい今しがた完成いたしましたの」
中央に置かれたピンクのお膳の上には、湯気の立つ湯呑みと、お盆に乗ったいちご大福が並んでいる。
「こ、これどうしたのさ!?」
「あっは~い、さっきゆずきのお母さまが来てこれを置いていかれましたので、あたくしがありがたく頂戴いたしました」
「ボクのおやつだよ!」
「まあ、そんなにお怒りにならないでくださいまし」
ルナは優雅に手を伸ばすと、いちご大福のひとつをひょいとつまみ上げ、ゆずきの口の中へ強引に押し込んできた。
「うっ、むぐ……っ!?」
「ほうら、こんなにあま~い♡」
(だ、だめだ。もはや会話が成立してない……)
「ねえ、ゆずき。あたくし少々疲れましたので、もう休みますわ。貴女もお休みになって」
「あ、貴女……?」
あまりの理不尽さに、目眩すら覚えてくる。
抗議しようと立ち上がろうとした瞬間、ゆずきは不意に足を取られてぐらりとふらついた。
とっさに床へ手をつく。男のときなら当たり前に踏ん張れていた体勢が、まるで利かない。骨格も、筋肉の付き方もまるで別物だった。
「とにかく、あんたの勝手にはさせないからな! 絶対に戻してもらうからね!」
「あたくしをここから追い出そうとする前に、汗を流してこられたらいかがです? ずいぶんとくたびれたお顔をしておりますわよ」
鼻先で笑われ、言い返す言葉が詰まる。
「くっ……! 言われなくても入るよ!」
(いったい何なんだ、このまんがみたいな展開は……)
着替えをひっつかみ、脱衣所へと駆け込んで鍵をかける。
見慣れない下着に戸惑いながらすべてを脱ぎ捨て、湯気で白く煙る浴室へと逃げ込んだ。
シャワーをひねり、正面の曇った鏡を手でぬぐった瞬間――。
「…………っ」
声すら出せずに凍りついた。
鏡の向こうに映っていたのは、水滴を弾く、見たこともない体の線。
華奢な肩、薄い腹、細いウエスト。
そして――呼吸に合わせて上下する、確かな胸のふくらみ。
「あ……」
恐る恐る指を伸ばし、触れてみる。
指先が沈み、手のひらに柔らかい熱が伝わってきた。男だった自分の体には、絶対にあり得なかった感触。
視線を下へ落とすと、股の間にあるはずの重みは消えていて、ただ平らに、何もない。
(ボク……本当に、女の子になっちゃったんだ……)
頭の芯がカッと熱くなり、猛烈な寒気と恥ずかしさが同時に押し寄せてきた。
ゆずきはその場に蹲り、両腕で自分の体をきつく抱きしめることしかできなかった。
――なんとか風呂を済ませて部屋に戻ったものの、足取りは覚束ない。
脱衣所で母親からかけられた言葉が、まだ耳に残っていた。
『ゆずき、お風呂から上がったらちゃんと化粧水つけてスキンケアしなさいよ。女の子の肌はデリケートなんだから放っておくとカサカサになっちゃうわよ』
部屋の隅を見れば、男の部屋には置いてあるはずのない木製のドレッサーが、当然のような顔をして鎮座していた。
吸い寄せられるようにその前に座り、恐る恐る化粧水を手のひらに取って頬へと馴染ませる。
さらりと肩から滑り落ちた濡れ髪を、右手の人差し指で自然に耳の後ろへ払う。
――え?
今の仕草、なんだ?
スキンケアなんてやったこともないのに、迷いなく手が動いた。
髪を耳にかける手つきだって、まるで最初から女として生きてきたかのように自然だった。
「……ふふっ」
頭上から、押し入れのルナが面白がるような笑い声をこぼした。
「な、何がおかしいんだよ」
「いいえ? ずいぶんとそのお体に馴染んでこられたようですわね、と思いまして」
「馴染んでない! 絶対に戻してもらうからね!」
「あたくしを追い出そうとする前に、まずはご自分の寝床を確保なさったらいかがです? 床が大変なことになっておりますわよ」
ルナは優雅にあくびをひとつ噛み殺すと、押し入れの奥へと引っ込み、襖をスルスルと閉めてしまった。隙間から「おやすみなさいまし」と気の抜けた声が届く。
「くっ……! 人の気も知らないで……!」
言い返す気力すら残っていなかった。
床の荷物を部屋の隅へ押しやり、倒れ込むようにベッドへ雪崩れ込む。
枕の横に置いたスタンドミラーに、ぼんやりと自分の顔が映る。
大きな瞳、華奢な首筋、薄く色づいた唇。
怒っているはずなのに、鏡の中の「女の子」は、どこか頼りなく、怯えているようにしか見えなかった。
「もうこれじゃ……本物の女の子じゃないか」
「…………」
「ねえ、キミは本当にボクなの……?」
ゆずきはドレッサーにそっと手をあてて、鏡に映る一人の美しい女の子に小さく話しかける。
「……いったい明日、どうすればいいんだろう……」
学校へ行けば、当然、凜にも会う。
こんな体になってしまった自分を前に、いつものように接することができるはずもない。
ゆずきはシーツを頭から深く被り、眠れない夜へと沈んでいった。
(第03話「押し入れの同居人と夜の浴室」おわり / 第04話へ続く)
メインヒロイン?!のひとり死神ルナが歌う「ゆずきはゆずき?!」の後期ED主題歌です
『ストロベリー・デスサイズ(Strawberry Death-Scythe)(Full Size)』
架空アニメ「ゆずきはゆずき?!」 後期ED主題歌
歌:死神ルナ
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