第02話「めざめよ乙女、波乱のモーニングコール」
「う、嘘……ボク、本当に女の子になっちゃったの……!?」
姿見の前で、ゆずきは自らの胸元へと恐る恐る指先を這わせた。
手のひらに伝わってくるのは、昨日までは存在し得なかった柔らかな弾力。肋骨の浮き出ていた胸板は影を潜め、腰回りはなだらかな曲線を描いている。喉仏の消え失せた首筋をなぞりながら漏れ出た声は、驚くほど高く澄んでいて、自分自身の耳をくすぐった。
「大成功ですわね。今日から正真正銘の美少女ですわ、ゆずきちゃん」
勉強机の縁に腰掛けたルナは、平然とした顔で湯呑みに残った抹茶を飲み干し、懐から取り出した懐紙で優雅に口元を拭った。机の上の小皿には、きれいに平らげられたいちご大福の粉だけが残されている。
「ど、どうしよう……今日から学校なのに、着ていく服が……!」
さすがにこの身体で男物のスラックスを穿くわけにもいかず、混乱の極みに達したゆずきは、すがるような思いでタンスの引き出しを勢いよく引っ張り出した。
そして、目を見開いたまま完全に硬直した。
「……は? え、嘘でしょ……?」
引き出しの中にあったはずのトランクスや男子用の下着、アイロンのかかった白カッターシャツは影も形もない。代わりにそこに敷き詰められていたのは、真新しいチェックスカート、淡いパステルカラーのレースつき下着、そして襟元にフリルのあしらわれた清楚なブラウスだった。
(自分の部屋のタンスがこんなことになってるの、普通に引くんだけど……!?)
怪奇現象以外の何物でもない光景に、さすがのゆずきもドン引きして一歩後ずさった。
だが――。
(でも……このプリーツの仕立て、すごく綺麗……生地も手触りがいいし、リボンの形も最高……!)
演劇部で日頃からヒロインの舞台衣装を着慣れているゆずきにとって、女子の服を着ること自体には一片の躊躇も抵抗もなかった。むしろ長年くすぶり続けていた変身願望に火がつき、手慣れた所作で下着を身につけ、チェックスカートにすんなりと足を通す。
姿見の前で髪を丁寧に梳き、ピンクのリボンで黒髪を高めのポニーテールに結い上げれば、そこにはどこに出しても恥ずかしくない完璧な女子高生が完成していた。
「ゆずきー、朝ごはん冷めちゃうわよー」
階下から響く母親ののんびりとした声に、ゆずきは恐る恐るリビングへ降りていった。
母は何の疑問を抱く様子もなく、「今日もポニーテールが綺麗に決まってるわね」と微笑みながら焼きたてのトーストを差し出してくる。ルナの術式によって、周囲の認識は「瀬戸ゆずきはずっと女の子だった」と、寸分の違和感もなく書き換えられているらしかった。
◇◇◇
通学路のいつもの曲がり角。電柱の陰で自転車を押しながら待っていた凛が、近づく足音に気づいて振り返った。
「遅い、ゆずき! 待ちくたびれ――」
そこまで言いかけて、凛の言葉が喉の奥で凍りついた。
朝の澄んだ光の中を駆けてくるのは、すらりと伸びた白い素足、風をはらんで揺れるチェックスカート、そして歩幅に合わせて弾む黒髪のポニーテール。
「お、おはよう、凛ちゃん! ……へ、変かな?」
ゆずきは少し照れくさそうにスカートの裾をちょこんとつまみ、首をかしげてみせる。
「……っっ!」
凛の顔が、耳の先まで一瞬で沸騰したように赤く染まった。
頭の中に刻まれた記憶では、ゆずきはずっと女子の親友のはずだ。それなのに、胸の奥で何かが警鐘を乱打し、目の前に立つ「圧倒的な女の子」から目を逸らすことすらできなくなる。
「へ、変じゃないけど……! あんた、今日なんか……やけに色気振り撒いてんじゃないわよバカ!」
「えぇっ!? いつも通りだよー!」
不器用に怒鳴り散らす凛の横顔には、怒りというよりも、泣き出しそうなほどの激しい動揺が滲んでいた。
その混乱は、教室に入るや否や爆発的な狂乱へと発展した。
ガラガラと引き戸を開けてゆずきが足を踏み入れた瞬間、朝の喧騒に満ちていた教室の空気が、まるで水を打ったように静まり返る。
「お、おはよう、みんな」
透き通るような高い声が教室に響き渡った途端、持っていた2リットルの大型水筒を派手に床へ叩き落としたのは、ラグビー部の鉄生だった。
「瀬戸ォォォッ!! お前、それ……なんだそのスカートの丈は! 脚が白すぎて目が潰れるだろバカ野郎!」
両手で鼻筋を猛烈な力で押さえ込み、天を仰ぎながらロッカーへと後ずさりして背中を強打する鉄生。
「鉄生!? 大丈夫!?」
「近寄るなァ! いい匂いがして余計に死ぬ!」
そこへ、眼鏡のブリッジをキラーンと光らせた生徒会長の五十嵐が、尋常ではない速度でペンを走らせながら音もなく間合いを詰めてきた。
「素晴らしい……黄金比だ。プリーツの描く放物線、首筋から鎖骨へ至る完璧な陰影。瀬戸さん、今日の君は歩くルーブル美術館だ。生徒会の権限で君の登校路にレッドカーペットを敷くべきだな」
「五十嵐くん、褒めてくれてるんだろうけど目が本気で怖すぎるよ!」
*
放課後の部室。西日が埃の粒を金色に染める中、顧問の鳳凰院蓮華先生がおっとりと目を細めていた。
「あらあら、ゆずきさん。今日のあなたは、まるで本物の花の妖精のようですわね」
世間知らずなお嬢様教師の天然な賛辞に、一日中男子の視線に晒され続けたゆずきはようやくホッと胸をなでおろす。
その時、部室の奥にある衣装部屋のカーテンがシャッと引かれ、凛が姿を現した。
部室内の空気が、ピンと張り詰める。
深い真紅のジャケットに袖を通し、肩にあしらわれた金糸のエポレットを慣れた手つきで整える。陸上部で極限まで無駄を削ぎ落としたしなやかな四肢と高い背丈に、軍服を模した男役の意匠が恐ろしいほどに映えていた。
無造作に短く切り揃えられたベリーショートの髪を、細く筋張った指先でグッと後ろへかき上げる。それだけで、先ほどまでジャージ姿で息を切らしていた少女の気配は完全に消え失せ、そこには気品と冷徹さを併せ持った「気高き騎士」が君臨していた。
「……ゆずき。立ち稽古、始めるわよ」
低く、どこか喉の奥を震わせるように響いた声。
射抜くような凛の瞳に見据えられ、ゆずきは喉仏のない白い首筋を思わずピクリと跳ねさせた。
舞台用の高いヒールを鳴らし、大股でゆずきの前へと歩み寄ってくる。身に纏うコロンの香りと、仕立ての良いジャケットの布擦れの音。いつものぶっきらぼうな幼馴染から、完璧な「男役」へと切り替わったその圧倒的な佇まいに、ゆずきは息を呑んだ。
「う、うん……っ!」
向かい合う二人。
凛々しく肩幅の広い「男役」の凛と、小柄で、柔らかな曲線を描くチェックスカート姿の「本物の女子」になったゆずき。
差し出された凛の手のひらに、ゆずきがそっと手を重ねる。
その瞬間、凛の眉がわずかに歪んだ。触れたゆずきの手は、昨日までよりも一回り小さく、信じられないほど柔らかかった。
「我が君……どうか、わたくしを連れていって」
完全な女子の身体で、情感たっぷりに上目遣いで台詞を紡ぐゆずき。その瞳は、夢を叶えた喜びにキラキラと輝いている。
「……っ」
凛の喉が、引き攣るように渇いた。
眩しすぎる。可愛すぎる。けれど――この手の中にあったはずの「私のゆずき」が、どこか遠い場所へ行ってしまったような、耐え難い痛みが胸を貫く。
「凛ちゃん……?」
台詞の途中で動きを止めた凛を、ゆずきが不思議そうに見上げる。
男の身体を脱ぎ捨てて「完全な女子」へと足を踏み入れたゆずきと、失われた初恋の影に引き裂かれそうな凛。
二人のポニーテールとショートカットが、夕暮れの窓辺で静かに揺れていた。
(第02話「めざめよ乙女、波乱のモーニングコール」おわり / 第03話へ続く)
メインヒロインのひとり岸辺 凛が歌う、「ゆずきはゆずき?!」の前期ED主題歌です
『水玉模様のディスタンス (Full Size)』
架空アニメ 「ゆずきはゆずき?!」 前期ED主題歌
歌:岸辺 凛
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