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本当は、夏がその気になればいくらでも自由な選択肢を選ぶことは可能だ。瀬戸という家を捨てることもできるだろう。空を眺めて暮らすのではなく、実際に空を飛ぶことだってできる。鳥かごの外に出ることもできる。かごの鍵は開いている。誰も扉を閉じてはいない。もし鳥かごに鍵をかけている人物がいるとすれば、それは夏自身だ。
鳥かごの鍵は外側からではなく内側からかけられている。誰かに会いたいけれど、誰も中に入れたくない。誰かに会いに行きたいけれど、外には出たくない。夏は自分で自分を不自由にしている。この矛盾に夏本人は気がついていない。
空を飛ぶためにはいろんなものを捨てなければならない。荷物を制限して、たくさんのものを我慢しなければならない。そうしなければ飛行機は飛べない。
たとえば重たいピアノをもったまま空を飛ぶことは、残念ながらできないだろう。それは過剰な荷物になるからだ。仮にピアノをどうしても捨てることができないのなら、ピアノと同じ質量を持つ『なにか』を代わりに犠牲にしなければならない。なにも犠牲にできないのなら、一生空を飛ぶことはできない。
でも、それはそれで構わない。大抵の人間がそうだからだ。なにも危険をおかしてまで空を飛ぶ必要はない。夏だって瀬戸の鳥かごの中で生きていくほうが幸せだろう。大人になってから昔の自分はなんて子供だったんだろう、なんて幼稚だったんだろうって、とても可愛くて純粋だったころの自分を懐かしんで、微笑むことができるようになるはずだ。
時間をかけてゆっくりと夢を消化していく。……飲み込んでいく。それができるようになるまで、何年もかけて自分を訓練していくんだ。




