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「今寝ようとしてたでしょ? だめだよ。夏も一緒に泳ぐんだよ」遥は子供のようにはしゃいでいる。遥も夏と同じように白い水着(まったく同じ、スポーツタイプの機能的な競泳水着だった)に着替えをしている。
なるほど。遥は泳ぐのが好きなのか……。知らなかった。ずっと穴蔵にこもった不健康な生活をしているくせに、まるで雑誌のモデルみたいなスタイルを今も維持していられるのは、これが理由なのかな?
夏はボートの中で立ち上がると灰色のパーカーを脱ぎ捨てた。遥の着ていた真っ白なパーカーは、(なぜか遥は夏にお揃いの白色のパーカーではなくて、ロッカーの中にしまわれていた二色に分けられた数十着のパーカーの中から、白色ではない、もう一色の色である灰色のパーカーを手渡した。灰色が嫌いというわけではないのだけど、なんだかそこに少しだけ、夏は遥の悪意(もしくは、いたずら心のようなもの)を感じていた)すでにだいぶ前にボートの中に脱ぎ捨ててある。少しだけ背伸びをして、そのあとで軽く準備運動をしてから、夏は思いっきり、勢いよく、とても見事なフォームで水の中に飛び込んだ。
どぼん! という音がする。その瞬間に、夏の認識する世界が変わる。
水の中の世界。水面を境界にして、真っ暗で、とても静かで、少しだけ暖かいものが夏の全身を包み込む。水の中では重力をほとんど感じない。それがとても新鮮な感覚だった。水の中は夏が思っていたよりも随分と気持ちいい。楽しい。
夏はランニングみたいに体を動かすことは基本的にどれも大好きなのだけど、水の中に入ったり、泳いだりすることは、今までほとんどしたことがなかった。水というものになぜか夏は全然興味がなかったのだ。
それはいったいどうしてだろう? 理由は自分でもよくわからない。だけどあらためて考えてみると不思議だ。環境がなかったわけじゃない。夏の実家には大きなプールが室内と庭に一つずつ、合わせて二つもあった。




