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「なんでもっと早く起こしてくれなかったの?」夏はわざとらしく頬を膨らませる。半分は本当の気持ち、半分は照れ隠しの行動だ。
「何度も起こしたよ。夏が起きなかったの」夏は本能的にそれは遥の嘘だと思った。
「絶対嘘だよ」夏は言う。
「本当だよ」遥は言う。
遥は自分の隣の座席の上に置いてある小さな黒いリュックサックの中から銀色のボトルを取り出すと、それを両手で持って自分の胸の前で夏に見せた。
「コーヒーあるけど、飲む?」
「飲む」遥はボトルの蓋の部分からカップを取り出して、そこに暖かいコーヒーを注いでから、夏に差し出してくれた。
「ありがとう」両手の手袋をとってから、夏はコーヒーを受け取った。夏の手のひらがとても温かくなる。夏はそれを少しの間、カイロの代わりに利用する。
遥は姿勢良く座席に座って、ノートパソコンを膝の上に置いてなにかの作業をしていた。遥は相変わらず仕事ばっかりしている。夏はもっと自分のことをかまってほしかった。せっかく二人でお出かけしたのに、こんなときまで仕事ばっかりすることはないだろう。それもキスまでした間柄なのに。内心ではそう思ったが、今はとりあえず我慢する。わがままばかりじゃ遥に嫌われてしまう。それに先ほどの出来事で幸福の貯金も結構ある。夏はおとなしくきちんとした姿勢になって座席に座り直した。そしてあったかいコーヒーを一口飲む。おいしい。




