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「地上にさ、家を建てようと思うんだ」
「いえ?」
照子は澪の顔を見る。
澪はコーヒーを一口飲み、とても不思議そうな顔をしてから(澪にとっても本物のコーヒーを実際に飲むことは、失われてしまった過去、もしくは前世の記憶を別にすれば、今が生まれて初めての経験だった)そっと笑顔で、照子の顔を見た。
「うん。遥の夢の家。地上の駅の近くにね、小高い丘があるんだ。そこに家を建てよう。そこで二人で暮らそう」
照子は澪の提案に目を輝かせた。
「わたし、ちじょうでくらせるの?」
「大丈夫。暮らせるよ。照子はもう今までの弱虫照子じゃない。強い照子になったんだ」澪は言う。(それは澪の冗談ではない。きちんとした検査の結果を踏まえての発言だった)
「わたしはよわむしじゃないよ」照子は言う。
「泣いてばっかりだったじゃないか?」
「そんなことないよ。わたしだってがんばっているんだよ」照子は少し頬を膨らませながら、澪に反論する。
「それは知っているよ」笑いながら、澪は言う。
澪はとても落ち着いていた。どうやら変わったのは照子だけではないらしい。澪のとても優しい印象を見るものに与える、きらきらと光る綺麗な緑色の瞳が照子をじっと見つめている。
「どうやっていえをたてるの?」照子は言う。
「建築のための資材はもう見つけてあるんだ。遥は建設時期は秘密って言っていたけど、おそらく来年の春にでも、地上に家を建てるつもりだったんだね。あとは僕が手作業でやるよ」
「てさぎょう? きかいはつかわないの?」
「使わない。もちろん道具は使うけど、基本自分の手で家を建てるよ。そのためのマニュアルもあるからね」
「だいじょうぶなの?」
「時間はたっぷりあるからね。頑張ってみるよ」
そう言ってから澪は照子の姿を見る。
照子はいつもの真っ白なワンピースのような服を着ている。照子はその下にある体の全身に包帯を巻いている。頭もその半分は包帯によって隠されている。照子は怪我の治療を終えている。全身を染めていた赤色は今は綺麗さっぱりと透明な水によって洗い流されて、照子は真っ白な色を取り戻している。(研究所の中の赤色も今頃は天井や床から吹き出したスプリンクラーの水の放射によって、綺麗に洗い流されているはずだ)
「その間に、照子は怪我を治さないとね」澪は言う。
「うん。ありがとう、みお」
照子はにっこりと笑う。それからアイスコーヒーをストローでちゅー、と一口飲む。(照子はアイスコーヒーの美味しさに驚く。その様子を見て、澪は微笑む)
そこで会話が途切れる。
澪はなにもしゃべらない。
照子も黙っている。
「照子。赤い色、怖い?」
沈黙のあとで、澪が照子に聞いた。澪は部屋の隅に置いてある二つの小さな箱を見ている。(そこには夏と遥、いなくなった二人の少女の持ち物が、二人の最後の状態のまま、綺麗に保存されている)
照子は澪の視線を追い、二つの小さな箱を見て、それから冷凍睡眠装置のほうに目を向けて、最後に澪に視線を戻した。
赤色は照子の嫌いな色だった。(照子が好きなのは青色だ)赤は血の色。人が死んでいくときに流す色。……事件が起こったときに、世界のすべてを塗りつぶす不吉な色だ。……でも、その赤色はいなくなってしまった(照子の大好きな)木戸遥が世界で一番好きな色でもあった。
「ううん。こわくないよ。わたし、あかいいろって、すごくきれいないろだとおもう」
照子はそう言って澪の顔を見た。
澪も照子の顔を見る。
目と目が合うと、二人は吹き出すように(子供っぽい表情と仕草で)大きな声で笑い出した。




