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……夏の様子がおかしい。絶対に変だ。澪はそう感じているが、(夏を助けたい。……夏を止めたいと、とても強く思っているのだけど)夏に声をかけることができない。どうしても声を出すことができないでいた。邪魔をしてはいけない。なぜだかそんな気がした。
無音の白い部屋の中で行われている二人の透明で無垢な行為は、とても神聖な宗教的とさえ言えるような、まるで見えない神様に語りかける二人の最初で最後のとても大切な儀式のように澪には思えた。
夏は遥の頭を自分の膝の上にゆっくりとのせた。
……とても柔らかく、……とても潔く、……とても繊細に、まるで壊れやすい材質で作られた宝物のように、遥の頭を夏は運んだ。
……そして遥の頭を一度だけ撫でる。とても優しい。(まるで今度は夏が遥の母親になったようだった。二人の役割がだまし絵のように、光の当てかたによって、ころころと入れ替わっているみたいだった)とても綺麗だ。夏も遥も、二人とも、もともととても美しい外見をしているのだけど、今はそれ以上に、二人の姿がきらきらと美しく、とても輝いて見えた。
澪は二人から目を離すことができない。(それは澪の役目とは関係がない現象だった)
夏が右手に持った銀色の拳銃を自分の心臓の位置に持っていく。(遥と同じ頭の右側頭部ではない。きっとそこが、彼女がずっと昔から決めていた自分を自分で撃ち抜くときの目標としての場所なのだろう)
夏の左手が、遥の右手をぎゅっと握りしめる。
夏が目を閉じる。
そして彼女は(ためらいもなく、とても自然な動きで)引き金を引いた。
ぱん、という乾いた銃声とともに、(同じ銃声のはずなのに、なぜか今度はとても簡単な音がした)銀色の拳銃が空に舞う。夏の体が弾ける。血が飛び散る。夏は遥に覆い被さるようにして倒れる。
拳銃が床に落ちる。(それは床の上を滑って、遠くのほうに離れていく)
どくどくと大量の血が流れる。夏の心臓から流れ出す真っ赤な血。(すごく痛かったはずなのに、夏は悲鳴をまったくあげなかった)夏の流す新鮮で暖かい大量の赤い血が、遥の上に注がれて、それはやがて床の上にまで広がっていく。
夏の顔は遥の顔のすぐ横にある。二人の目は閉じている。(それは夏の覚悟のようだ。夏はもう二度と目を開くことはなかった。すぐ隣にいる隣人の遥の目と同じように……)
二人はまるで眠っているかのように穏やかな表情をしている。二人とも動かなくなった今も、夏の左手は遥の右手を握っている。(先ほどまでよりも、強く、握っている)
……二人の手は繋がっている。
……二人は(それはきっと、愛と呼ばれる現象によって)結ばれている。
(少しの時間が流れた)
澪の目から(決して流れるはずのない)涙が溢れた。
その涙で機械がショートするかも、と澪は心配になった。
澪が急いで涙を白いヒレを使って器用に拭っていると、潤んだ澪の視界の隅っこで、ぴくん、と照子の小さな手が、かすかに反応した。
あなたに愛を。
……私に、さようならの花束を。




