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「遥でも無理だね。きっと」カセットテープから流れてくる音楽が違う曲に切り変わる。その音楽がイヤフォンを通して、澪の声と一緒に夏の耳にも聞こえてくる。
「澪は普通の人工知能と比べてどこが違うの?」夏は澪に質問する。
「うーん。まず普通の人工知能って、どんなものなの?」澪は夏に聞く。どうやら澪は普通の人工知能を知らないようだ。その問いかけを受けて、それはそうだ、と夏は思う。でも考えてみると普通って意外と定義が難しい。……普通ってなんだろう?
「そうだな。えっと、まず人格がないでしょ? それにインターフェイスとしての機能しかない。あとは命令も無しに自分で勝手に行動したりしない」
「マスターがいないときはどうするの?」
「マスター? マスターって遥のこと?」
「そうだよ。僕にっての遥のこと。なんて言えばいいのかな? 僕に命令を出してくれる人のことかな?」つまり所有者のことか。マスターとはその人工知能に対して命令権や拒否権などを持っている人物のことだと捉えればいいのだろう。
「なにもしないよ。命令されるのをずっと待ってるんじゃないかな?」
「どうして? すごくもったいない。空いている時間があるなら、遊んだらいいのにね。音楽を聴いたり、絵を鑑賞したり、映画を見たりしてさ」澪は言う。
夏はおもちゃたちが人の見ていないところで勝手に動き回る映画のことを思い出す。すごく綺麗でとても面白い作品だった。
「うん。そうだね。確かにもったいない。なんでじっとしているんだろうね?」本当にそうだ。時間がもったいない。命がとっても、もったいない。
「僕だったら我慢できないね。絶対に遊びに行っちゃな。もしかしたら行くなって言われていても、遊びに行っちゃうかもしれない」そう言って澪は笑う。
夏は遥に叱られている澪の姿を想像する。きっとそれは、二人の日常の風景なんだろうな。
少し強めの、気持ちのいい風が吹いている。夏は歩きながら、ときどき空を見上げる。青色を見たかったのだけど、それは見えない。雪は降っていないが空はずっと曇っている。まるで夏の心のようだ。だからせっかく地上に出たのに、青空を見ることはできなかった。夏の吐く息は空気中で白くなった。
現在、夏は草原を抜けて、森の中を散歩している。
「どのくらい歩けば森を出られるの?」
「あともう十分くらいかな。そろそろ湖が見えてくるはずだよ」
地上にも湖があるんだ。本当に贅沢だな。遥は無駄が嫌いなはずなのに、無駄なことばかりにお金をかけているような気がする。(もったいない)
ドームの内側の世界はドームの外側の世界ほど気温は下がっていない。ドームには、内部の環境をコントロールする機能があるためだ。




