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遥はきっとブレーキを踏むつもりはない。崖から海に落っこちでもいい。そう考えているはずだ。何故なら遥の乗る車にはきっと高性能のエアバックが装着されているし、遥の運転する車には同乗者は誰もいないし、もし仮に本当に車が崖から海に落っこちて、それで万が一自分が死んでしまったとしても、それはそれで仕方のないことだと遥は思っているからだ。遥は今もアクセルを全開で踏み込んでいる。私にはそれがわかる。あとに残される人のことなんて、まるで考えてはいないのだ。……まったく、ひどい人。
「澪がいるから、私は今日お休みがとれたんだよ。感謝しないとね」遥はパソコンの画面越しに白いクジラの頭を人差し指で優しく撫でた。白いクジラはとても嬉しそうに体をくねらせている。
「ねえ、遥。私も澪とおしゃべりしてもいい?」
「澪と? 別にいいよ」遥は言う。
遥の許可が出ると、澪はじっと魚の目で夏を見た。夏は移動して遥の背中越しにパソコンの前に立つ。遥はそのすぐ近くで作業に集中する。
「こんにちは、澪」
「こんにちは、夏」澪はクジラの顔で笑う。
「澪って名前。自分でつけたの? それとも遥が名付け親?」
「遥だよ。お誕生日のプレゼントだって、僕に澪って名前をくれたんだ。木戸澪。それが僕の名前だよ」
「そうだよ。私がつけたの」二人の会話の中に遥が割り込む。




