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徒花  作者: 似櫂 羽鳥
第二章
13/27

二、奔る

 なんだよ、これは。

 目の前を過ぎる光景を理解出来なくて、ひどく息苦しい。

 敦盛の先導で廊下を進む俺達の足元には、幾つもの、骸。それぞれに赤い花を咲かせながら、静かに横たわる物言わぬ、屍。そしてその全てが、見慣れた制服を身に纏っていた。

 容易に想像できる、月読の座を勝ち取る為に戦い、彼らは負けたのだ。

 そしてその中には、俺の知る顔もあった。木花茜、水臣闌…クラスの不良番長、花梨の取り巻きだった二人だ。彼女達は寄り添い、廊下の真ん中で息絶えていた。だが二人の顔は原型をほぼ留めておらず、まるで柔らかい果実を踏み潰したように、壊されていた。

「…ひでぇな」

 前を行く敦盛も、つい目を背けた。まだ生々しい血の匂いで、むせ返りそうだ。

「…行こう」

 二人をそっと廊下の隅に葬り、進む。静かすぎて、逆に気味が悪い。二階へ上がり、教室群の一つで下級生と思われる死体を見つけた。彼の腹は、何か鋭利な物ですっぱりと切り裂かれていた。

「…っ」

 ひと目で分かった。この少年を殺したのは…文だ。鳳仙の時と同じ傷。力の入り方、柄の握り具合、刃の軌道、何もかもが一致する。そして…躊躇いが、なかったことも。

 踵を返し、気がつけば駆け出していた。

「綾!!」

 敦盛の声が遠ざかる。だが止まらなかった。とにかく逃げ出したかった。どこでもいい、現実を見なくてもいい場所へ。しかし駆ける足元には死体の山。逃げ場なんて、どこにもなかった。

 何かにつまづいて、派手に転げた。振り向くとそれは打ち捨てられた誰かの腕で、まるで俺の足首を今にも掴もうかとしているように見えた。知らない女子の顔が、赤く染まった瞳が、呪詛を吐く。どうして。なんで。死にたくない。殺されたくない。助けて。助けて。置いていかないで。

「…助けて…誰か…助けてくれよぉぉぉぉ!!!」

 慟哭が俺の喉から溢れ出した。

「もう嫌だ! 俺は死にたくない! 誰も殺したくない! なんで俺達が! 出してくれよ! もう終わりにしてくれよ!!」

 止まらない叫びが声を枯らす。追いついた敦盛が俺を支えて立たせようとするが、足に力が入らなかった。右肩を強く掴まれ、しかし乱暴に振り払う。もう何もかもが敵にしか感じられない。

 一瞬の衝撃と、頬に走る熱。

「綾!」

 敦盛に頬を張られたと理解したのは、一筋の涙が零れてからだった。

「綾、しっかりしろ! こんなとこで大声出して、誰かに気づかれたらどうすんだ!」

 そして必死な敦盛の目を見て、絶望感が俺の胸を支配する。この空間が現実だと、全てが逃れられない今なのだと、思い知らされる。

 ああ。腰に下げられた日本刀は、こんなに重かっただろうか。

「ご、めん…ごめん、敦盛…」

 そこから先は声にならなくて、ただ彼の胸を借りて、泣いた。こみあげる様々な感情は、全て涙となって流れ出していく。とめどなく、止まらなかった。

「…とにかく、どっかの教室に避難しよう。新校舎も安全とは言いきれないしな」

 腕を支えられ、俺よりも少しだけ背の高い敦盛に半ば抱えあげられるようにして、一番近くの扉をくぐった。教室はがらんとしていた。机や椅子さえも、片手で数えるほどしか残されていない。埃っぽさはどこも変わらないが、屍人が発する生臭さが感じられないだけ、マシだと思えた。

 窓際の床にそっと座らされて、力なくうなだれる。全身が気だるい。このまま眠ってしまいたいくらいの倦怠感に襲われる。

 警戒しつつも俺の隣に腰掛けた敦盛が、心配そうに俺の顔をのぞきこんだ。

「…大丈夫か? …って、大丈夫じゃない、よな…」

 ごめん。その一言すら発せない。全てがどうでもよかった。何もかもを忘れてしまいたかった。月読の儀も、殺し合いも。

 文のことでさえも。

 敦盛は黙って俺の肩に手を置き、小さくため息をついた。心做しか、その横顔は幾分かやつれたように見える。が、今の俺はそれすらも慮れないくらい、憔悴していた。敦盛が何も言わずにいてくれることが、救いだった。

 どのくらい、そのままでいただろうか。時計も陽の光もない闇の中で、時間の感覚が失われていく。ほんの数分のようにも、何時間か過ぎたようにも感じられて、目が回りそうだ。少しだけ落ち着きを取り戻した俺は、隣の敦盛に小さく声をかけた。

「…敦盛は、月読になりたいか?」

 俺の質問が意外だったのか、敦盛は目を見開いて俺を見た。

「こんな馬鹿げた儀式に勝って、それでも、月読になりたいと思うか?」

 敦盛の表情が曇る。本当に悩んでいるのか、それとも俺を安心させるための言葉を考えているのだろうか。すり減った俺の心は、親友にさえ疑心を抱いてしまっていた。

 長い逡巡の後、敦盛が顔を上げた。

「…なれるなら、なってみたいとは、思う」

 偽りのない澄んだ目で、俺をしっかりと見据えたまま。

「思うけど、儀式に参加しようとは思わない。俺だってまだ死にたくねぇし、誰かを殺してまでそんなもんになりたくねぇよ」

 手のひらのメリケンを弄ぶ指が、止まった。

「そんなことしたら、神様になる前に人間じゃなくなっちまう気がするからさ」

 人では、なくなってしまう。

 冷たい文の視線が、脳裏をよぎった。剣を構え、鳳仙を見下ろしているあの瞳は、もはや文ではない何かのようだった。

 敦盛が何かを察したのだろう、慌てて頭を振った。

「あ…悪ぃ…そういう意味じゃなくて」

「いいよ」

「…きっと文ちゃんも、望んでやってるわけじゃねぇはずだ。だけどやらなきゃ、やられちまう。だから仕方なく」

「もう、いいって」

「けど…」

 遮るように、大きく息を吐いた。

「もう…いいんだよ」

 目を閉じて開くと、文の幻影は消え去った。

 目の前には、薄暗い教室と、目を伏せた敦盛と、捨て置かれた机たち。

 それ以外、何もなかった。




 再び、廊下に踏み出していく。

 相変わらず静かだ。まるで俺たち以外、消えてしまったみたいだった。消えてしまったというのはあながち間違いではないのかもしれない。生きている人の気配がしないだけで、死体なら見飽きる程あった。

 俺達は三階まで登ってきた。並んでいるのは特殊教室の群れだ。音楽室、地学室、美術室。やはり基本的な構造自体は、旧校舎もこちらも大差ないらしい。桔梗からもらったノートの裏に、偶然拾った鉛筆で旧校舎の地図を描く。俺と敦盛の画力では、桔梗の描いたものには到底及ばなかったが。この以上な空間をただ進むなんておかしくなりそうで、二人で小さく会話をしながら下手くそな地図を描いている方が、まだ気が紛れた。

 そしてまた、友を見つけた。もちろん変わり果てた姿で。机と机の隙間に崩れるようにして倒れた花梨は、胸元から二本の矢を生やして、目を見開いたまま事切れていた。花梨とは別に仲良くしていたわけでもない。文を一方的にライバル視していたようで、わざとらしく陰口を叩いていたのを覚えている。どちらかといえば俺は彼女を倦厭していた。

 なのに、なぜだろうか。そんな彼女にすらも、懐かしさと悔しさを感じてしまう。茜や蘭と楽しげに笑っていたその顔を思い出して、胸が痛むのは、なぜなのだろう。

 俺は大きく見開かれた花梨の瞼をそっと閉じ、教室の戸を閉めた。せめてこれ以上、彼女が誰かの目に晒されることのないように。静かなままでいられるように。

 気がつけば、どんなに無残な死体を見ても驚かなくなっていた。血の匂いにも慣れ、吐き気はどこかに行ってしまった。人はどんな状況にでも順応できる生き物だと、身をもって思い知らされた。

 進むうちに、備蓄庫を発見した。ペットボトルの水、乾パン、懐中電灯。ご丁寧に、それらを入れるのに良さそうな非常用のバッグまで置かれていた。当然ながら俺達はそれに歓喜し、詰められるだけ詰めて持ち歩くことにした。もちろん、旧校舎で一人頑張っている桔梗の分も、だ。

 予備の電池を手に取りながら、敦盛が不意に言う。

「こんなん用意してるってことは、ある程度長期戦になるぜってことだろうな、きっと」

 俺は味見がてら乾パンを口にし、しばらく何も食べていなかったことを思い出した。そんなことすら気がつけないほど、緊張感でいっぱいだったのだろうか。

「まぁ…そういうことだろうな。だって最後の一人になるまで続くんだろ? なかなか決着が着かなければ、それだけ長引くってこと」

 そして気がつく。敦盛も同じことを考えたのだろう、手が止まっていた。

 月読は生き残った一人だけが勝ち得る称号だ。儀式は誰か一人が勝ち残るまで行われている。つまり、ここに放り込まれた全員が敵同士になるという大前提で。しかし、少なくとも俺と敦盛は、敵ではない。

ならば、俺たち二人が生き残り、互いを殺さずに生き延びてしまったら?

「…」

 この儀式はどうなるのだろうか。勝者がいないまま永遠に続いてしまうのか。それとも。

 町の重要な行事であるこの儀式を、ずっと続けたままにしておくことなど考えられない。そもそも、いつまでも俺達が行方不明のまま、親や町の人たちが放っておくことの方がありえない。きっと何かしらの形で俺達は解放され、この儀式は終わりを告げる。

 僅かに見えた一筋の希望。

 敦盛に目配せをすると、全て理解したようだった。わざとらしく鼻歌なんか歌いながら、リュックにペットボトルを放り込んでいる。俺は口の中に残った乾パンの欠片を、水で流し込んだ。

 備蓄庫を出るまで、俺達は言葉を交わさなかった。念には念を、こんな儀式を行っている以上、多少なりとも俺達の動向を見ている奴がいないとは限らない。全て監視されているはずだ。

 俺と敦盛はどちらともなく、男子トイレに向かっていた。一番監視されている可能性の少ない場所。狭い個室に、二人で滑り込む。

 ひそひそと囁く程度の音量で、密談をする。

「敦盛。何があっても俺達二人は、最後まで生き残ろう」

「当然。二人だけじゃない、委員長や文ちゃんもだ。要は一人じゃなきゃいいんだろ? 生き残りが」

「確証はないけど…やってみる価値はある」

「なら俺はそれに賭けるぜ。黙って死ぬのなんか、まっぴらだからな」

 敦盛らしい答えを聞いて、なんだか安心した。内容こそ不穏だが、トイレの個室でこそこそといたずらの相談をしていた幼い日を思い出す。あの頃と違うのは、今ここに文がいないこと。

 文ともう一度話さなければ。きっと今度こそ、分かってくれるはずだ。

「文を探しに行く」

「言うと思ったぜ。今度は俺も一緒に行く。ああ、旧校舎に戻って委員長にもこのこと話そう。あと、仲間になってくれそうなのは…姫宮か?」

 姫宮瑞樹、文の親友だ。彼女は大丈夫だろう。もしかしたら、文を説得してくれるかもしれない。それに、瑞樹は確かこの町の伝承や儀式について詳しいという噂も聞いたことがある。仲間にできれば、非常に心強い。

「そうだな。多分…瑞樹は、文と一緒にいると思う」

「双子の勘、ってやつか。オーケー、そしたらまずは委員長だな。少しは具合もよくなってるだろうし、やっぱ心配だから一緒に行動した方がいいと思う」

「……素直じゃないんだから」

「べ、別に、そんなんじゃねぇよ」

 照れると鼻を掻く癖はきっと無意識なのだろう。俺は聞かなかったことにして、個室の扉を開いた。

「善は急げ、旧校舎に戻ろう」

 それが例え脆弱な蜘蛛の糸だとしても、縋るしか術はないのだ。

 ならば全力で、掴んでみせる。

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