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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
終章
86/86

 ぶらぶら歩いていると、ご近所さんが声をかけてくるのに、のんびりと返事する。

 皆、自分の素性を知っているのに喧伝しない。対外的に自分は、相当不名誉な存在のはずだが、あえて誰も触れようとはしない。



「それは昔のあなたが我々から勝ち取ったものです」

 そう言って笑ったのは、昔ここで自警団を組織していた男だ。皺くちゃの顔を更に皺くちゃにして笑う様子は、彼が良い年の取り方をした証なのだろう。昔殴り飛ばしたことが嘘のようだ。むしろ、そんな事実などなかったのではないか。

「いや、加害者がさりげなくなかったことにしないでください」



 そんなやりとりはともかく、勝ち取ったものは他にある。

 あたりを見回せば、若者が恋人と肩を寄せ合っている。子供達は無邪気に木の棒で遊んでいる。


 全て世はこともなし。


 そう思えるようになったことこそが、自分と……夫が勝ち取った最たるものだ。それを嬉しく思う。

 さっき午睡にまどろんでいたところに着くと、目を閉じ彼女はゆっくりとその場に横たわった。昔のようにごろりと勢い良く転がることは、立場が解放してくれても、腰とか色々な部分が許してくれない。

 実年齢より若く見えるとよく言われるが、それは見かけだけのようだった。老いにもどかしい思いをしたこともあるが、今は自然の摂理に納得している。


 目を開ける。

 真っ青な空に、雲が薄くたなびいている。


 ありふれた光景。だが、いい眺めだ。頭のどこかで、問う声が聞こえる。

 ――お前は、たどり着いた頂上の景色に満足しているか。

 ああ。……ああ!


 力強く肯定した。自分は、この景色に満足している。

 少し悩みがあるとしたら、それは夫に会った時伝える言葉だった。まだ何もまとまっていない……いや。

 まとまっていなくてもいいじゃないか。


 きっと彼は取り止めもなく語る自分の言葉を、少し迷惑そうに、だが根気づよく聞いてくれる。間違いなくそうだと信じられるだけの絆も、自分と夫が勝ち取ったものだった。

 すぅと息を吸う。同時に風がそよぐのを感じた。いい風だ。ふふっと口角を持ち上げた。

 何一つまとまっていなくても、最初に伝える言葉は決まっていた。彼の死に際に伝えられなかった言葉。


 確かに女としては見方によって幸せだったり、不幸だったりしたかもしれない。けれど、あたしは。あたし自身は。あたしという人間は。

 ――ありがとう。あんたと一緒で幸せだった。あんたとじゃなきゃ作れない幸せだった。

 はっきりと、言える。



 廃后はいこう関氏かんし、其の名を失ふ。いつに小月と云ふ。其の生まるるところを知らず。おさなくして偏孤へんことなり……

 (后を廃された関氏は、名前が伝わっていない。一説には小月という。出生地は不明。幼い頃に片親となり……)



 そんな風に始まる歴史書には決して刻まれることのない、言葉。

 ある皇后の一生の、それが幕引きの言葉だった。



 

 ある皇后の一生・完

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