下町の火事騒動(2)
「こんのくそばばあ、いいからそこをどけ!かまどに水をぶっかけてやる!」
いらだった若い男が立ちふさがる婆さんを押しのけてかまどにバケツの水を浴びせようとする。
婆さんも負けじと箒を振りかざして大男たちを追い回しだす始末。
「なんて乱暴なことをするんだい。図体ばかり大きくなって。あんただけでなく、あんたの母ちゃんのオシメを替えたあたしに水をぶっかけるだって?そんな恩知らずはこの下町から出てけ!」
もう大混乱である。
「わ、わ、ちょっとちょっと、皆さん落ち着いて。火の入ったかまどに水を掛けたらそれこそかまどが壊れて大惨事だ。婆さんも、俺が鍋を直すからいったん火から下ろして別の器に中身を移してくれ。な?」
なんとか大男たちと婆さんをとりなして矛を収めてもらう。
かまどから破れ鍋を下ろすことで煙はすぐに収まった。
大男たちはぶつぶつと言いながらも帰っていく。
マーサ婆さんは階段を下りていく男たちの背中に「水汲みの手間が省けたよ」と声をかけて、呵々《かか》と大笑した。
俺はげんなりと疲れ切った顔で鍋の修理に取り掛かる。
昔の鍋は使い込むうちに薄い部分ができて水漏れするようになるんだっけ。江戸時代には鋳掛屋っていう仕事があったって聞いたな。確か、穴の開いた部分に溶かした金属を流し込んでふさいでいたとか……
俺は前生の記憶を頼りに手探りで修理を始めた。
確か、鋳掛屋が使ったのは銅や錫だったはず。錫のほうが融点が低いんだっけ?
錫の元素番号は……水兵リーベ……。
高校の理科で覚えた元素周期表が思い出せたのはきっと女神様からもらったチート、全魔法知識の中に含まれていたからだと思う。
無から土の防壁や石の弾丸を作り出す土魔法はいわば固体の物質創造魔法だ。この世界の魔術師たちは主に戦闘分野での応用を目的に魔法の研鑽を重ねてきたため、魔法は高レベルになるほど威力と効果範囲を広げるような階層構造になっている。
俺のレベルキャップは5。だから魔術師としてはとても戦力にはならない。俺の土魔法はせいぜい単発の石弾を撃てる程度である。
威力も数量も初心者レベルがやっとな俺だが、その代わり魔法に関するすべての知識を脳にインストールされている。
つまりどういうことかというと、質量や速度といった威力に関しては尻に卵の殻がついた新人並みが精いっぱいだが、精緻な操作に関しては伝説の大賢者様をも凌駕するというわけだ。
「『元素創造―No.50―』」
指先に集めた魔力が錫の粒子を生成する。さらさらとした粒が鍋の表面に積みあがる。
次に炎系攻撃魔法の初級技、ファイアボルトを応用して錫を溶かす熱を指先に生み出してみる。
遠くに飛ばすのではなく、大きな火の玉を生じるのでもなく、小さく一点に熱を集中して温度を徐々にあげていく。空気が白熱してこもった輝きを放ち始める。
錫を溶かすって要するにはんだ付けだよね。中学の技術工作の授業で習ったやつ。
「『はんだ付けの輝き』」
威力を犠牲にして温度と持続時間に全振りした炎魔法は期待通りに錫の粉を溶かして鍋の穴をふさいだ。
「ふう、これでよし、と。ちょっとその水をください」
テーブルの席について遠目で作業を見ていたマーサ婆さんから柄杓で水をもらい、破れ鍋に水を入れる。まだ少し残っていた熱がチュッという音を立てて冷える。どうやら穴もふさがったようだ。
「おまえさん、魔法が使えるのかい。さすが、ギルバートのところの見習いだね」
「ギルバートさんを知っているんですか?」
「もちろんだとも。今でこそダンディな紳士だけどね、若いころはそりゃもうイイ男だったさ。すれ違うだけで娘たちが赤くなるってなもんだったよ」
あれは目の保養だったと思いを馳せたあと、俺に向かって言い放つ。
「その点ではおまえさんはギルの弟子には見合わないけどね」
一言多いっての。
「はい、できましたよ。応急処置ですからあとでちゃんとプロの修理屋に出してくださいね」
「ああ、助かったよ」
直った鍋に作りかけの煮物を戻して再び火にかける。ほう、これはいい具合だとかなんだとか独り言をこぼしている婆さんを後ろ手に見て俺は退出の挨拶をした。
「それじゃあ、お邪魔しました。あまり無茶をしないでくださいね」
「ふん、余計なお世話だよ。けどまあ、おまえさんは見所がありそうだ。また世話になるよ」
婆さんの見送りの言葉を思い出してくすりと笑う。
あれから年月が経ち、俺もすっかり下町に馴染んだが、婆さんは相変わらずだ。
つまり何年経っても元気なままである。
「かなわないよなぁ」
マーサ婆さんの煮物は変わらず今も町一番の美味だった。




