ジジ
「へぇ、美味しそうなもの、食べてんじゃん」
びくっとなって、マーサ婆さんのおすそ分けの包みを開く手が止まる。
誰もいないはずの古道具屋の薄暗い店内に、女の子の不気味な声がどこからともなく響く……。
「誰だ!」
「あたしのこと、忘れたなんて言わせないわよ」
無人のチューリップチェアがゆっくりと回転してこちらを向く。
「まさか……」
完全に無人のイスが俺のほうを向いて止まる。
次の瞬間、さっきまで何もなかった空間から、ぷんすかと怒気をはらんだ少女が腕を組んで立ち上がった。
「君は……」
「もう。いつまでふざけてるの?」
「いや、ふざけて隠れていたのはそっちだろ」
この子はジジ。俺の通勤路の途中にある定食屋の看板娘だ。
下町の悪ガキどもの元締め的存在で、しっかり者の世話焼きタイプである。
実家の手伝いをしているときは快活な笑顔を振りまいているが、悪ガキどもと俺に向ける顔はいつも眉間に少し力が入っている気がする。解せぬ。
テキパキとした表情ではっきりとしゃべる姿は十三歳という年齢にしては大人びて見えるが、きっと定食屋で日々口の悪い冒険者や下町のオヤジたちを相手にしているからだろう。決して俺が頼りないから相対的にしっかり者に見えるというわけではない……と思う。
彼女の姿を見えなくしていたのはイスの持つ魔法の効果だ。
あれは売り物の一つで、『妖精のチューリップチェア』と呼ばれている。
誰にも気づかれずに座るとその人物の姿が周囲からは見えなくなる、正確には認識されなくなるというマジックアイテムだ。
俺はときどきこのイスに座って店番をして、気づかずに入ってきた客がどういうふうに商品を見て回るのか観察したりしていたので、ジジもあのイスの仕組みを知っていたというわけだ。
「いつから居たんだ?」
「『もっとモテモテになるとかにすりゃあ良かった』ってとこから」
なんだ。つまり最初からいたのか。って、俺、何かヤバいこと口走って無かったろうな?
意志の強そうな目元から少し緑色を帯びたヘーゼル色の瞳が俺を睨みつけている。
女性がこういう目をしているときはどうすればいいか知っているか?
じっと身を低くして嵐が去るのを待つんだ。覚えておくといい。
「美味しそうね。マーサお婆ちゃんの手料理」
「ん、あー、おまえも食べるか?」
「要らないわ。ラズのお給金でしょう、それ」
そういう割に、瞳が物欲しそうに揺れている。
「遠慮するなよ。飯時だから腹減ってんだろ?」
ジジが不機嫌なのはきっと空腹だからに違いない。
「あたし、仕事中だから」
ん?人の店でかくれんぼしてたのに仕事中?
俺がきょとんとした顔をしていると、ジジの表情が曇った。
「浮気者」
うぇっ?十三歳の小娘に浮気者呼ばわりされる心当たりがまるでないのだが。
いったい誰とどう浮気したというのだろうか。
そもそも実年齢イコール彼女いない歴なのに?
……すみません、盛りました。実年齢+前生の享年イコール彼女いない歴です、はい。
「うちのお弁当、注文したよね?」
「あ」
そうだった。
生活力皆無の俺は、三食を外食で賄っている。
朝はスタンドのサンドウィッチ、昼はそこらの定食屋か出前、夕食はジジの店で済ませるのが日常だ。
最近店に引きこもり気味の俺は昼食を抜くことが多い。
そんな話をしたら、ジジが昼食のデリバリーサービスを押し付け……いや、買って出てくれたのだった。
すっかり忘れていたとは言えず、必死に言い訳を考える。
「えーと、なんだ。ほら、夕食もジジの店で食うだろう?さすがに煮物は明日の朝飯に回せないし、せっかくだから食べなきゃと思ってさ。ほら、俺の給料が無駄になったら悔しいじゃないか。
でもさ、これだけじゃさすがに味気ないし、ジジの弁当と合わせて俺と一緒にランチにしないか?
一人で両方食べるとさすがに食べすぎだしさ。
なあ、助けると思ってさ」
いいながら近くの棚から皿とカトラリーを取り出してカウンターに並べる。少々行儀が悪いがこの時間帯は滅多に客も来ないし大丈夫だろう。そもそも寝てても平気なくらいだし。
「マーサ婆さんの料理はうまいぞぉ」
包みを解く前にちょっとした魔法で中身を温める。蓋を開けると鼻腔をくすぐるいい匂いが立ちのぼった。思わず腹の虫がくぅと鳴る。
「もう、しょうがないなあ」
険しい顔で腕を組んでいたジジの表情がふっと緩み、笑顔がこぼれた。
脇にあった高めのカウンタースツールを引き寄せてジジがよいしょと腰かける。
ジジが渡してくれたお弁当もサーブするようにして皿に盛り付けた。
小さく「いただきます」とつぶやいてフォークを手に取る。
楽しそうに足をぶらつかせながら料理をつつくジジを見ていると自然と笑みが湧いてくる。
「一人で食べるより二人で食べるほうが断然おいしいな」
「そうだね」
思わぬ豪勢なランチにありついた俺は、マーサ婆さんの仕事も悪くなかったな、と思った。
「ねえ、マーサお婆ちゃんとはずいぶん仲良しだったけど、どこで知り合ったの?」
「仲良しだったか?」
さっきの会話を思い返してもやり込められた記憶しかない。
「仲良しだったよぉ。ご近所のバーナビーさんなんか、いつもけちょんけちょんにあしらわれてびくびくしているもの」
「そうなのか?まあ、あの婆さんの口の悪さはここらじゃ一番だろうからなぁ」
俺は料理をつつきながら、当時の思い出を語って聞かせた。




