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そのロクサン、凶暴につき

この作品は、「碓氷峠の見習い機関士 」の番外編です。

「――中止だ。もう、諦めるしかない」


抜けるような青空が広がる、秋の横川駅前広場。 絶好の行楽日和にもかかわらず、高崎機関区横川派出所の区長、佐久間清の声は、お通夜のように湿り気を帯びていた。


「そんな……区長、何とかならないんですか?」


私――神尾あずさは、食い下がるように尋ねた。


今日は、地元の子供たちや観光客を招いて開催される「横川鉄道ふれあい祭り」の当日だ。 手作りの看板や屋台が並び、開始時刻を前にして、すでに多くの家族連れが集まり始めている。


しかし、肝心の「目玉」がなかった。


「業者の手違いで、ミニ新幹線の配送が明日にずれ込んだそうだ。……今から代わりを探しても間に合わん」


佐久間区長が頭を抱える。 広場の中央には、虚しく敷設された5インチゲージのミニ線路だけが、あるじの不在を嘆くように延びている。


「子供たちは楽しみにしてるんですよ? 『新幹線に乗れる!』って」


「分かっておる! だが、無い袖は振れんのだ……。私が人間機関車となって子供を背負って走るか?」


「捕まりますよ、事案で」


隣で腕を組んでいた杉浦北斗先輩が、冷静かつ辛辣に突っ込んだ。


「万事休すか……。楽しみにしているチビっ子たちには悪いが、焼きそばの増量サービスで誤魔化すしか――」


区長が諦めの言葉を吐こうとした、その時だった。


「フフフ……。困っているようだな、迷える子羊たちよ」


不敵な笑い声と共に、機関庫の暗がりから一人の男が現れた。 油まみれのツナギに、ボサボサの髪。 手には巨大なモンキーレンチを握りしめている。


当直の整備士、南波義人さんだ。


「南波さん? なにニヤニヤしてるんですか」


黒石数馬先輩が怪訝そうな顔をする。


「聞こえていたぜ、区長。ミニ新幹線が届かない? ……フン、あんなプラスチックのオモチャ、最初から不要だったのさ」


南波さんは、レンチで自分の掌をパンパンと叩きながら、ギラついた目で私たちを見回した。


「こんなこともあろうかと、俺がプライベートな時間と予算(と廃材)を注ぎ込んで開発していた、『夢の機体』がある」


嫌な予感がした。 私と北斗先輩は顔を見合わせ、同時に半歩下がった。


しかし、背に腹は代えられない区長が、藁にもすがる思いで食いついてしまった。


「な、なんだと!? 代わりの車両があるのか!?」


「ああ。とっておきの『傑作』がな」


南波さんはニヤリと笑うと、機関庫の奥に向けてパチンと指を鳴らした。


「出でよ! 俺の魂の結晶! 『南波スペシャル・ミニ・ロクサン』だ!!」


ゴゴゴゴゴ……。


重々しい音と共に、台車に乗せられて運ばれてきた「それ」を見て、私たちは言葉を失った。



「……南波さん。これは、何ですか?」


私が恐る恐る指差したのは、確かに形状としてはEF63形電気機関車を模した、またがって乗るタイプのミニ鉄道車両だった。 塗装も本物と同じ「青15号」と「クリーム1号」に塗り分けられている。


だが、違和感が凄まじい。


まず、子供用にしては、あちこちから太い配線がむき出しになっている。 車体の側面には、パソコンの冷却ファンを巨大化したようなファンが高速で回転し、ブオーンという不気味な風切り音を立てている。 そして何より、バッテリーを積んでいるはずの座席の下から、明らかに「ミニ」ではないサイズのモーターがはみ出していた。


「見てくれ、この機能美を」


南波さんが愛おしそうに車体を撫でる。


「動力源は、廃車になったフォークリフトの直流モーターを二機、直列繋ぎで搭載した。さらに、最新の産業用インバータ制御を組み込み、起動トルクを極限まで絞り出せるようにチューニングしてある」


「……は?」


私はポカンとした。 何を言っているのか半分も分からないが、とにかく「ヤバい」ことだけは伝わってくる。


「待て待て、南波」


北斗先輩が呆れ顔で割って入った。


「これ、子供を乗せて広場を一周するだけの遊具だろ? 時速3キロでトコトコ走ればいいんだよ。なんでフォークリフトのモーターなんか積んだ」


「馬鹿言え、北斗!」


南波さんがカッと目を見開いた。


「こいつは『峠のシェルパ』の名を冠するミニ・ロクサンだぞ!? 勾配で止まるなんて許されるか! 計算上、こいつは大人5人を乗せても66.7パーミルを余裕で登坂できるパワーを持っている!」


「この広場、平坦ですけど!?」


「ロマンだ! スペックに余裕を持つのは、エンジニアの嗜みだろうが!」


南波さんの熱弁に、黒石先輩が「おおっ、すげぇな! さすが南波さんだ!」と目を輝かせている。 この筋肉ダルマは、パワーという言葉に弱すぎる。


「ま、まあ、動くなら何でもいい! 時間がないんだ、さっそく準備を!」


区長がGOサインを出してしまった。 こうして、恐怖の試運転が幕を開けることになったのだ。



「……で、なんで私が運転するんですか!?」


私は涙目で抗議した。 ミニ・ロクサンの運転席(というか、先頭の座布団)に座らされたのは、私――神尾あずさだった。


「仕方ねえだろ。俺と黒石じゃ重量オーバーでバランスが崩れる。北斗は整備監視だ。一番軽くて小回りがきくのは、お前しかいねえ」


南波さんが、もっともらしい理由をつけて私を座らせる。 シートは硬く、お尻の下からは「ヴィィィン……」という、明らかに高電圧が流れているような微細な振動が伝わってくる。


怖い。 本物のEF63に乗る時よりも、はるかに怖い。


「いいか、神尾ちゃん。操作は簡単だ」


南波さんが、ハンドルの横にある小さなレバーを指差した。


「右のレバーがマスコン。手前に引けば加速だ。ただし、トルクが太いからな。最初はミリ単位で動かせよ。……本当に、ミリ単位だぞ」


「そんなシビアなんですか!?」


「左のレバーがブレーキだ。……まあ、こっちは気休め程度に思っておけ」


「えっ」


聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。


「気休めってどういうことですか! 止まらなかったらどうするんですか!」


「大丈夫だ。発電ブレーキを最強に設定してある。アクセルを離せば、モーターが発電機になって強烈な制動力が働くはずだ。……理論上はな」


「『はず』って言いました!? 今、『はず』って!」


「ガタガタ騒ぐな! 時間がねえんだ! ほら、出発進行!」


南波さんが私の背中をバン! と叩いた。 その勢いで、私の手がマスコンのレバーを「カチッ」と一つ分、引いてしまった。


その瞬間だった。


『ギュウウウウウウウンッ!!!』


子供用の遊具からは決して聞こえてはいけない、VVVFインバータの鋭い励磁音が広場に響き渡った。


「えっ?」


ドンッ!!


強烈な衝撃が、私の背骨を襲った。 ミニ・ロクサンは、まるで空母から射出される戦闘機のように、猛烈な勢いで加速したのだ。


「きゃああああああああああッ!!」


私の絶叫が置き去りにされる。 景色が一瞬で後ろへ流れた。


「うおっ!? は、速ぇええええ!!」


黒石先輩の叫び声が遠ざかる。


ミニ・ロクサンは、わずか数秒でトップスピードに乗った。 広場に敷設された仮設線路のカーブを、片輪を浮かせながら曲がっていく。


ガガガガガッ!


「あずさちゃん! 重心移動だ! イン側に体を倒せ!」


遠くから南波さんの指示が飛んでくるが、そんな余裕はない。 私は必死にハンドルにしがみついた。


「と、止まってぇぇ! 誰か助けてぇぇ!」


私は左手のブレーキレバーを握りしめた。 しかし、スカッという感触だけで、全く減速する気配がない。


「ブレーキが効かないぃぃぃ!」


『あ、やべ。摩擦ブレーキのワイヤー、繋ぐの忘れてたわ』


南波さんの声が、インカム越しに聞こえた。


『発電ブレーキ一本勝負だ! 神尾ちゃん、マスコンを逆に入れて発電制動をかけろ!』


「そんな高度なこと、このスピードでできるわけないでしょぉぉぉ!!」


ミニ・ロクサンは暴走機関車と化し、広場の周回コースを外れ、ポイント切り替えミスによって広場の外へと続く引込線へと突入してしまった。


その先にあるのは、公道。 そして、観光客で賑わう「おぎのや」本店だ。



「おい、待て! そっちはマズい!」


北斗先輩が血相を変えて叫ぶのが見えた。 先輩と黒石先輩が、近くにあったママチャリに飛び乗り、猛然とペダルを漕いで追いかけてくる。


「神尾! 足で止めろ! 靴底を擦りつけろ!」


北斗先輩が並走しながら叫ぶ。


「無理です! 足がちぎれちゃいます!」


時速はすでに30キロを超えている。 地面スレスレの視点だと、体感速度は100キロ近い。 アスファルトの路面が、ヤスリのように見えた。


「どいてくださーい! ブレーキ故障してまーす!」


私は叫びながら、国道18号の歩道を爆走した。 観光客たちが、悲鳴を上げて左右に散開する。 奇跡的に、ミニ・ロクサンに取り付けられた警笛(電子ホーン)だけは、本物並みの大音量で「ファァァァァン!」と鳴り響き、進路を開けさせていた。


前方に、「峠の釜めし」の看板が見えてきた。 おぎのや本店だ。


店先では、看板娘の荻野優香さんが、ワゴンに釜めしを積んで販売をしている。


「ゆ、優香さーん! 逃げてー!」


私の絶叫に、優香さんが顔を上げた。 彼女の視界に、青い弾丸となって突っ込んでくる私が映ったはずだ。


「えっ、あずさちゃん!? ……なにその猛スピード!?」


優香さんは一瞬で事態を理解したのか(あるいは私の形相で悟ったのか)、プロの反射神経を見せた。


「いらっしゃいませー! ……じゃなくて、危ないッ!」


彼女は釜めしの載ったワゴンを、神業的な手さばきで歩道の脇へと退避させた。 ミニ・ロクサンは、そのワゴンの横を風圧で揺らしながらすり抜ける。


「セーフ……!」


と思ったのも束の間。 私の目の前には、おぎのや本店の自動ドアが開いていた。 その先には、店内へ続くわずかな段差。


「は、入れるの!? これ!?」


『いける! 俺の計算では、そのサスペンションなら段差5センチは踏破可能だ!』


「そういう問題じゃなーーい!」


ガタンッ!


激しい衝撃と共に、ミニ・ロクサンは段差を乗り越え、店内へと侵入してしまった。


「うわあああ! 電車が入ってきたぞ!」 「逃げろー!」


店内は大パニックになった。 お客さんたちが箸を止めて逃げ惑う中、私はテーブルの間を縫うように暴走を続ける。 床がリノリウム素材で滑りやすく、ミニ・ロクサンはドリフト走行のように横滑りしながら進んでいく。


「あずさちゃん! 右! 右!」


追いついてきた優香さんが、デッキブラシを持って叫ぶ。 私は必死に体を右に傾ける。 厨房への激突をギリギリで回避し、レジカウンターの前を通過する。


「お会計は後でお願いしますぅぅぅ!」


泣きながら叫ぶ私。 もはや、どうやって止まればいいのか分からない。


そこへ、ママチャリ部隊が店内に雪崩れ込んできた。


「神尾! 頭を下げろ!」


北斗先輩の声。 私は反射的に頭を伏せた。


次の瞬間、私の頭上を黒い影が飛び越えていった。 黒石先輩だ。


「とりゃあああああ!!」


黒石先輩は、走りながらママチャリを乗り捨て、野生動物のような跳躍でミニ・ロクサンの前に立ちはだかった。 その手には、店先に積んであった「古新聞の束」と「座布団」が抱えられている。


「止まれぇぇぇぇ! この鉄屑がァァァ!!」


先輩は、それらを線路(というか走路)に投げ込み、自らもタックルをするように身を投げ出した。


ズガガガガッ……!!


座布団と古新聞が車輪に絡まり、強烈な摩擦抵抗が生まれる。 モーターが「キュウウウ……」と悲鳴を上げ、焦げ臭い匂いが立ち込める。


さらに、北斗先輩が横から飛びつき、私を抱きかかえるようにして運転台から引き剥がした。


「脱出するぞ!」


「せ、先輩!」


私たちは床に転がり込んだ。 無人となったミニ・ロクサンは、なおも黒石先輩を引きずりながら数メートル進み――。


ドガァァン!!


店の奥にある、業務用の大型冷蔵庫に激突して、ようやく停止した。


プシュー……。


煙を上げるミニ・ロクサン。 折れ曲がった冷却ファンが、カラカラと虚しい音を立てて回っている。


店内は、静まり返っていた。



「……」


「……」


全員が、呆然と立ち尽くしていた。 店内はめちゃくちゃだ。 テーブルはひっくり返り、割り箸が散乱し、床にはタイヤ痕(?)が黒々と残っている。


瓦礫の山から、黒石先輩がフラフラと立ち上がった。 ツナギはボロボロ、顔は煤だらけだ。


「……と、止まったか……?」


「ああ。止まったな」


私を庇ってくれた北斗先輩が、痛そうに腰をさすりながら起き上がる。


「……南波」


北斗先輩の低い声が響いた。


「あ、いやぁ……おかしいな? 出力調整のパラメータを間違えたかな? トルクのリミッターを解除しすぎたか……?」


南波さんが、壊れたミニ・ロクサンを見つめながらブツブツと独り言を言っている。 この期に及んで、反省の色が見えない。


「次はジェットエンジンを補助動力に……」


「南波さん」


地獄の底から響くような声が、南波さんの思考を遮った。


全員が、声の主の方を向く。 そこには、おぎのやの看板娘、荻野優香さんが仁王立ちしていた。


手にはデッキブラシ。 顔は満面の笑みだが、目が笑っていない。 背後には、不動明王のようなオーラが見える気がした。


「ゆ、優香ちゃん……?」


南波さんが後ずさりする。


「お店が……私の大切なお店が……」


優香さんが一歩近づく。


「あ、いや、弁償する! 俺の給料から天引きで……!」


「そういう問題じゃ、な・い・わ・よ・ね?」


優香さんの笑顔が、さらに深くなる。


「あずさちゃんを危険な目に遭わせて、お客様を怖がらせて、お店を壊して……。それで『パラメータの間違い』?」


「ひっ」


「整備士なら、自分の作った機械の不始末は、自分で責任を取りなさい!」


ドカッ!!


優香さんの鋭いローキックが、南波さんのすねに炸裂した。


「ぐわああああああ!!」


南波さんが悲鳴を上げて床を転げ回る。 さらに、騒ぎを聞きつけた佐久間区長が駆け込んできて、惨状を見るなり顔面蒼白で卒倒しかけた。


「な、な、な……何をしておるんだ貴様らァァァ!!」


カオスだった。 まさに、爆走の結末にふさわしい、大混乱の幕切れだった。



数日後。


横川駅のホームには、平和な時間が戻っていた。 EF63のブロアー音が、いつも通りのリズムで響いている。


「……腰が痛ぇ」


黒石先輩が、湿布の匂いをさせながらボヤいた。 あの日、身を挺してミニ・ロクサンを止めた代償は大きかったようだ。


「自業自得だろ。面白がって煽るからだ」


北斗先輩が呆れたように言う。


結局、あのお祭りは、急遽用意した「人力トロッコ(黒石先輩と北斗先輩が手押し)」で子供たちを乗せることで、なんとかお茶を濁したらしい。 子供たちは筋肉隆々の機関士が汗だくで押す姿に大喜びだったそうだが、先輩たちは翌日、極度の筋肉痛で動けなくなった。


そして、諸悪の根源である南波さんは――。


「いらっしゃいませー! ゴミ回収しまーす!」


おぎのやの店先で、エプロン姿の南波さんが、甲高い声で叫んでいた。 頭には三角巾。手には箒とちりとり。


あの一件以来、南波さんは佐久間区長と優香さんの命により、非番の日はおぎのやの下働き(主に掃除と力仕事)を命じられたのだ。 期間は、「店内の床の傷が消えるまで(実質無期限)」。


「ふん、見てろよ……。掃除用具だって、俺の手にかかればハイテクマシンに改造してやる」


南波さんは箒を握りしめながら、また懲りずに何かをブツブツと呟いている。


「……反省してませんね、あの人」


私がジト目で言うと、北斗先輩が肩をすくめた。


「まあな。だが、あの異常なまでの探究心があるからこそ、ロクサンのような古い機械を維持できているのも事実だ」


「それはそうですけど……」


「ま、次に変なものを作ったら、今度は優香ちゃんに頼んで、釜めしの釜で殴ってもらえばいい」


「そうですね」


私たちは顔を見合わせて笑った。


広場の隅には、ブルーシートを被せられた「ミニ・ロクサン」が寂しげに置かれている。 そのスペックは凶暴につき、封印。


でも、いつかまた、あのマッドエンジニアが封印を解く日が来るかもしれない。 その時は、私が一番に逃げよう。 そう心に誓いながら、私は本物のEF63の運転席へと乗り込んだ。


「今日も平和でありますように……出発進行!」


私の願いを乗せて、青い機関車はゆっくりと碓氷峠への坂を登り始めた。

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