看板娘の挑戦
この作品は、「碓氷峠の見習い機関士 」の番外編です。
「――あーっ、もう! 悔しいっ!」
昼下がりのおぎのや本店。 ランチタイムのピークが過ぎ、少し落ち着きを取り戻した店内に、看板娘・荻野優香の声が響いた。
「どうしたんですか、優香さん。お皿洗いなら私が代わりましょうか?」
非番で昼食を食べに来ていた私――神尾あずさは、空になった釜めしの器を重ねながら尋ねた。
「違うのよ、あずさちゃん。これを見て」
優香さんがババン! とテーブルに広げたのは、女性向けの旅行雑誌だった。 特集ページには、『新幹線で行く! 軽井沢スイーツ特集』の文字。 色とりどりのケーキや、お洒落なジェラートが紙面を埋め尽くしている。
「SESの影響で、若い女性のお客様が増えているのは嬉しいわ。でもね……」
優香さんは、悔しそうに唇を噛んだ。
「みんな、釜めしを見て『重そう』とか『量が多い』って言って、写真を撮るだけで帰っちゃうのよ! そして、軽井沢のカフェに流れていくの!」
「あー……まあ、釜めしはガッツリ系ですからね」
向かいの席で、二人前の釜めしを平らげた杉浦北斗先輩が、爪楊枝をくわえながら他人事のように言う。
「うるさいわね、ブラックホール胃袋。……とにかく! このままじゃ『おぎのや』は時代の波に取り残されるわ。私たちが打って出るべきは……」
優香さんはエプロンの紐をキュッと締め直し、高らかに宣言した。
「釜めしに次ぐ、第二の看板商品! 片手で食べられて、映えて、お土産にもなる『新作スイーツ』の開発よ!」
その瞳は、SESのセンター・西園寺志織に対抗意識を燃やしていた時と同じくらい、ギラギラと輝いていた。
「というわけで、手伝ってね」
「えっ」
「あずさちゃんは同世代の女子代表として。北斗さんは……そうね、残飯処理係として」
「おい」
こうして、私たち横川派出所のメンバーは、おぎのやの社運を賭けた(?)スイーツ開発プロジェクトに巻き込まれることになったのだ。
◇
数日後。 おぎのやの厨房に、私と北斗先輩、そして噂を聞きつけた整備士の南波さんの姿があった。
「へぇ、スイーツ開発ねぇ。面白そうじゃねえか」
南波さんは、なぜか自前の工具箱を持参している。
「南波さん、ここは整備工場じゃありませんよ」
「分かってるって。だがな、あずさちゃん。料理も整備も、要は『化学変化』と『熱処理』だ。基本は同じよ」
妙な説得力があるような、ないような。
「さあ、まずはアイデア出しよ! 『横川らしさ』と『インパクト』を兼ね備えたスイーツ、何かないかしら?」
優香さんの号令に、私は勢いよく手を挙げた。
「はい! 私、考えてきました!」
「おっ、やるじゃない神尾。出してみろ」
北斗先輩に促され、私は持参したタッパーを開けた。
「ジャーン! 『ロクサン・クッキー』です!」
中に入っているのは、EF63形電気機関車の動輪を模した、プレーンクッキーだ。 ジャンパ栓や手すりのディテールまで、金型から自作して再現した自信作である。
「おお、こりゃ精巧だな。フランジの角度まで完璧だ」
南波さんが感心して覗き込む。
「でしょう? 鉄道ファンなら絶対に喜びます! 食べてみてください!」
私は一番の自信作を北斗先輩に差し出した。 先輩は無造作にそれを口に放り込み、噛んだ。
ガリッ!!
厨房に、石を噛んだような鈍い音が響き渡った。
「…………」
先輩の動きが止まる。 全員が固唾を飲んで見守る。
先輩は眉ひとつ動かさず、バリボリと凄まじい音を立てて咀嚼し、ゴクリと飲み込んだ。
「……どうですか?」
「……硬度は十分だ。PC枕木の代用になる」
「味は!?」
「小麦粉の味がする。……だが、硬すぎる。歯が欠けるぞ」
私はガーンとショックを受けた。 鉄道車両たるもの、強度が命だと思って、プレス機で圧縮して焼き締めたのが裏目に出たか。
「却下ね」
優香さんが冷たく言い放った。
「ええっ! 味は普通に美味しいはずですよ!?」
「それがダメなのよ、あずさちゃん。無難すぎるわ!」
優香さんはバシッとテーブルを叩いた。
「お土産屋さんならどこにでもありそうじゃない。私が求めているのは、もっとこう……『おぎのや』の魂を揺さぶるような、雷に打たれたようなインパクトなのよ!」
「インパクト……ですか」
その言葉に、南波さんの目が怪しく光った。
「……フフ。なるほどな。優香ちゃんが欲しいのは『衝撃』か」
「南波さん?」
「任せとけ。俺とあずさちゃんで、度肝を抜くやつを作ってやるよ」
整備士の血が騒ぎ出した南波さんに背中を押され、私たちは厨房の奥へと消えた。
◇
一時間後。
「お待たせしました! 試作品第二号です!」
私と南波さんが運んできたのは、黒い物体だった。
「……何これ」
優香さんが顔を引きつらせる。
「名付けて、『碓氷トンネル・ブラックシュー』だ!」
南波さんが胸を張る。
「コンセプトは『旧線の闇』と『蒸気機関車の記憶』! 生地にもクリームにも、最高級の竹炭パウダーとブラックココアを限界まで練り込んである!」
「限界までって……真っ黒じゃないですか」
北斗先輩が呆れたように言う。 見た目は完全に石炭の塊だ。
「見た目だけじゃねえぞ。クリームの充填には、コンプレッサーを応用した専用注入機を使った。空隙率ゼロ、中身ギッシリだ」
「さあ、召し上がれ!」
私は期待を込めて先輩に勧めた。 北斗先輩は「……毒見役も楽じゃねえな」と呟きつつ、その黒い塊にかぶりついた。
モグモグ……。
「……味は悪くない。ビターチョコみたいで、甘すぎないのがいい」
「やった!」
私と南波さんはハイタッチをした。 しかし、次の瞬間だった。
「北斗さん、ちょっと笑ってみて」
優香さんに言われ、先輩がニッと笑う。
「ひいいいいいッ!!」
優香さんが悲鳴を上げて後ずさった。
「は、歯が! 歯が真っ黒よ! お歯黒みたいになってる!」
「あ」
鏡を見た先輩が絶句した。 口の中が、墨汁を飲んだように漆黒に染まっている。
「ダメよ! デート中のカップルがこれ食べたら、その瞬間に恋が終わるわ! 即時却下!!」
「ちぇっ。視覚的インパクトは抜群だと思ったんだがな……」
南波さんは残念そうに肩をすくめた。
◇
「もう、あてにならないわね。やっぱり私がやるしかないわ!」
優香さんは腕まくりをすると、パイ生地とカスタードクリームを用意した。
「見てなさい。インパクトと映え、そして碓氷峠らしさを両立させた究極のスイーツを見せてあげる!」
彼女が作り始めたのは、ミルフィーユだった。 だが、ただのミルフィーユではない。
「もっと高く! もっと急角度に!」
何層にも焼き上げたパイ生地を、クリームを接着剤にして積み上げていく。
「コンセプトは『九十九折り(つづらおり)』! 碓氷峠の過酷な坂道とカーブを表現した、タワー型ミルフィーユよ!」
完成したのは、高さ三十センチはある巨大なスイーツの塔だった。 ギザギザに組まれたパイ生地は、確かに峠道のようだが……。
「……おい、優香ちゃん。それ、重心が高すぎねえか?」
南波さんが心配そうに指摘する。
「大丈夫よ! 映えのためには、これくらいの高さがなくちゃ!」
「いや、構造計算上、アンカーボルト(串)を打たないと自立しねえぞ」
「食べる時に邪魔になるでしょ!」
優香さんは自信満々で、その塔を北斗先輩の前に置いた。
「さあ、どうぞ!」
「……これ、どうやって食うんだ?」
「上からガブッといっちゃって!」
先輩は観念して、フォークを塔の頂上に突き立てた。
その瞬間だった。
バガンッ!!
「うおっ!?」
パイの層が圧力に耐えきれず、一気に崩壊した。 建築現場の足場が崩れるような派手な音と共に、大量のカスタードクリームが四方八方に飛び散る。
「きゃっ!」
隣で見ていた私の顔面に、クリームの塊が直撃した。
「……あ」
優香さんが口元を押さえる。 テーブルの上は、崩れ落ちたパイとクリームで、まるで災害現場のような惨状になっていた。
「……旅客災害、発生」
私は顔についたクリームを指で拭いながら、冷静に報告した。
「復旧には時間を要する見込みです」
「……食べにくすぎるわね」
優香さんがガックリと項垂れた。
◇
硬いクッキー、黒いお歯黒、崩壊する塔。 試作はことごとく失敗に終わった。
「はぁ……。ダメだ……」
厨房の空気はどんよりと重い。 甘い匂いが充満しすぎて、全員が少し胸焼け気味だった。
「やっぱり、奇をてらえばいいってもんじゃないんですね……」
私はため息をつきながら、洗い場の横にあったボウルに手を伸ばした。 そこには、釜めしの具材として使う予定の「杏子」が入っていた。
口直しに、一つ口に放り込む。
「んー……っ!」
強烈な酸味が口いっぱいに広がる。 でも、その後からじんわりと優しい甘みが追いかけてくる。
「……生き返るぅ」
私は思わず呟いた。
「酸っぱいけど、美味しい。……なんか、ホッとしますね。色々詰め込みすぎた頭が、スッキリする感じ」
その言葉に、優香さんがハッとした顔をした。
「……ホッとする?」
「はい。釜めしに入ってる杏子って、好き嫌い分かれるじゃないですか。でも、私は好きなんです。峠を越えて疲れた時、この酸っぱさが一番の癒やしになるんですよ」
「そうか……」
優香さんが呟く。
「私、間違ってたのかもしれない」
「え?」
「インパクトとか、映えとか、足し算のことばかり考えてた。でも、本当にお客さんが求めているのは、驚きじゃなくて『癒やし』なのかもしれない」
優香さんは私の手元にある杏子を見つめた。
「釜めしの名脇役、杏子。……これこそが、ウチの味じゃない」
さらに、優香さんの視線が、お土産コーナーの方へ向く。 そこには、碓氷峠の名物である「峠の力餅(あんころ餅)」が並んでいる。
「……いけるかも」
優香さんが立ち上がった。
「あずさちゃん、手伝って! 南波さんも、北斗さんも!」
「おう、なんだ?」
「原点回帰よ。……シンプル・イズ・ベストでいくわ!」
◇
優香さんの指示は的確だった。
「南波さんは、力餅の要領で求肥を練ってください! 粘り腰が命よ!」
「おうよ! 粘着なら任せろ!」
南波さんが力強く生地を練る。
「あずさちゃんは、杏子の種抜き! 規格統一はお手の物でしょ?」
「了解です! ミリ単位で処理します!」
私はナイフを手に、杏子を精密機械のような正確さで捌いていく。
「私は、特製の白あんと生クリームを合わせるわ。……杏子の酸味を引き立てる、控えめな甘さにしないと」
優香さんが真剣な眼差しでクリームを泡立てる。
そして、最後に全員で包む。 柔らかいお餅の中に、特製クリームあん、そして甘酸っぱい杏子を丸ごと一つ。
コロッ。
出来上がったのは、雪のように白く、丸くて愛らしい大福だった。
「……できた」
優香さんが額の汗を拭う。
「名付けて、『峠のあんず大福』」
派手さはない。 大きさも、手のひらに収まるサイズだ。 でも、その佇まいには、どこかホッとするような温かさがあった。
「さあ、最終審査よ」
そこに現れたのは、おぎのやの女将――優香さんのお母さんだった。 騒ぎを聞きつけて様子を見に来たのだ。
「……随分と散らかしたわね」
崩壊したミルフィーユの残骸を見て、女将さんが眉をひそめる。 私たちは直立不動で縮こまった。
「ですが、答えは出ました。……これを」
優香さんが、震える手で大福を差し出す。
女将さんはそれを手に取り、じっと眺め、そして一口食べた。
「…………」
長い沈黙。 緊張で心臓が破裂しそうだ。
やがて、女将さんがほう、と息をついた。
「……これだよ」
「え?」
「新しさの中に、懐かしさがある。奇をてらわず、真心を包む。……それが『おぎのや』の味だよ」
女将さんが優香さんに微笑みかけた。
「合格だ。これなら、のれんを守っていける」
「やったぁぁぁーーっ!!」
優香さんが私に抱きついた。 私も、もらい泣きしそうになりながら抱き返した。
「北斗さん、どうですか?」
優香さんが、最後の一つを北斗先輩に渡す。 先輩はそれをパクっと一口で食べた。
「……うん。美味い」
先輩は短く言った。
「甘さと酸味のバランスがいい。これなら、運転の合間でも片手で食えるし、疲れも取れる」
「ふふ、やった!」
先輩の「美味い」は、どんな評論家の言葉よりも信頼できる。 私たちは顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべた。
◇
数週間後。
おぎのやの店頭には、新商品『峠のあんず大福』が並んでいた。 ショーケースの前には、若い女性客や家族連れが列を作っている。
「可愛い! 美味しそう!」 「これなら電車の中でも食べやすいね」
そんな声を聞きながら、優香さんは誇らしげに接客をしている。 その笑顔は、いつもの「看板娘スマイル」よりも、さらに輝いて見えた。
一方、派出所の休憩室。
「……うぐっ!」
黒石先輩が、苦悶の声を上げていた。
「な、なんだこれ……硬ぇ……!」
先輩の手には、ボツになった『ロクサン・クッキー(超硬度)』が握られている。 もったいないので、大量の試作品が派出所に差し入れられたのだ。
「文句言わないでください。私の『無難で硬い愛』が詰まってるんですから」
私が言うと、北斗先輩がコーヒーにクッキーを浸しながら笑った。
「ま、コーヒーに浸せば食えないこともない。……枕木よりはマシだ」
「もう、先輩まで!」
私たちは笑い合った。
窓の外では、今日もEF63のブロアー音が響いている。 甘酸っぱい大福と、硬いクッキー。 どちらも、私たちの不器用だけど真っ直ぐな、挑戦の味がした。




