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看板娘の挑戦

この作品は、「碓氷峠の見習い機関士 」の番外編です。

「――あーっ、もう! 悔しいっ!」


昼下がりのおぎのや本店。 ランチタイムのピークが過ぎ、少し落ち着きを取り戻した店内に、看板娘・荻野優香の声が響いた。


「どうしたんですか、優香さん。お皿洗いなら私が代わりましょうか?」


非番で昼食を食べに来ていた私――神尾あずさは、空になった釜めしの器を重ねながら尋ねた。


「違うのよ、あずさちゃん。これを見て」


優香さんがババン! とテーブルに広げたのは、女性向けの旅行雑誌だった。 特集ページには、『新幹線で行く! 軽井沢スイーツ特集』の文字。 色とりどりのケーキや、お洒落なジェラートが紙面を埋め尽くしている。


SESスーパー・エクスプレス・シスターズの影響で、若い女性のお客様が増えているのは嬉しいわ。でもね……」


優香さんは、悔しそうに唇を噛んだ。


「みんな、釜めしを見て『重そう』とか『量が多い』って言って、写真を撮るだけで帰っちゃうのよ! そして、軽井沢のカフェに流れていくの!」


「あー……まあ、釜めしはガッツリ系ですからね」


向かいの席で、二人前の釜めしを平らげた杉浦北斗先輩が、爪楊枝をくわえながら他人事のように言う。


「うるさいわね、ブラックホール胃袋。……とにかく! このままじゃ『おぎのや』は時代の波に取り残されるわ。私たちが打って出るべきは……」


優香さんはエプロンの紐をキュッと締め直し、高らかに宣言した。


「釜めしに次ぐ、第二の看板商品! 片手で食べられて、映えて、お土産にもなる『新作スイーツ』の開発よ!」


その瞳は、SESのセンター・西園寺志織に対抗意識を燃やしていた時と同じくらい、ギラギラと輝いていた。


「というわけで、手伝ってね」


「えっ」


「あずさちゃんは同世代の女子代表として。北斗さんは……そうね、残飯処理係として」


「おい」


こうして、私たち横川派出所のメンバーは、おぎのやの社運を賭けた(?)スイーツ開発プロジェクトに巻き込まれることになったのだ。



数日後。 おぎのやの厨房に、私と北斗先輩、そして噂を聞きつけた整備士の南波さんの姿があった。


「へぇ、スイーツ開発ねぇ。面白そうじゃねえか」


南波さんは、なぜか自前の工具箱を持参している。


「南波さん、ここは整備工場じゃありませんよ」


「分かってるって。だがな、あずさちゃん。料理も整備も、要は『化学変化』と『熱処理』だ。基本は同じよ」


妙な説得力があるような、ないような。


「さあ、まずはアイデア出しよ! 『横川らしさ』と『インパクト』を兼ね備えたスイーツ、何かないかしら?」


優香さんの号令に、私は勢いよく手を挙げた。


「はい! 私、考えてきました!」


「おっ、やるじゃない神尾。出してみろ」


北斗先輩に促され、私は持参したタッパーを開けた。


「ジャーン! 『ロクサン・クッキー』です!」


中に入っているのは、EF63形電気機関車の動輪を模した、プレーンクッキーだ。 ジャンパ栓や手すりのディテールまで、金型から自作して再現した自信作である。


「おお、こりゃ精巧だな。フランジの角度まで完璧だ」


南波さんが感心して覗き込む。


「でしょう? 鉄道ファンなら絶対に喜びます! 食べてみてください!」


私は一番の自信作を北斗先輩に差し出した。 先輩は無造作にそれを口に放り込み、噛んだ。


ガリッ!!


厨房に、石を噛んだような鈍い音が響き渡った。


「…………」


先輩の動きが止まる。 全員が固唾を飲んで見守る。


先輩は眉ひとつ動かさず、バリボリと凄まじい音を立てて咀嚼し、ゴクリと飲み込んだ。


「……どうですか?」


「……硬度は十分だ。PC枕木の代用になる」


「味は!?」


「小麦粉の味がする。……だが、硬すぎる。歯が欠けるぞ」


私はガーンとショックを受けた。 鉄道車両たるもの、強度が命だと思って、プレス機で圧縮して焼き締めたのが裏目に出たか。


「却下ね」


優香さんが冷たく言い放った。


「ええっ! 味は普通に美味しいはずですよ!?」


「それがダメなのよ、あずさちゃん。無難すぎるわ!」


優香さんはバシッとテーブルを叩いた。


「お土産屋さんならどこにでもありそうじゃない。私が求めているのは、もっとこう……『おぎのや』の魂を揺さぶるような、雷に打たれたようなインパクトなのよ!」


「インパクト……ですか」


その言葉に、南波さんの目が怪しく光った。


「……フフ。なるほどな。優香ちゃんが欲しいのは『衝撃』か」


「南波さん?」


「任せとけ。俺とあずさちゃんで、度肝を抜くやつを作ってやるよ」


整備士の血が騒ぎ出した南波さんに背中を押され、私たちは厨房の奥へと消えた。



一時間後。


「お待たせしました! 試作品第二号です!」


私と南波さんが運んできたのは、黒い物体だった。


「……何これ」


優香さんが顔を引きつらせる。


「名付けて、『碓氷トンネル・ブラックシュー』だ!」


南波さんが胸を張る。


「コンセプトは『旧線の闇』と『蒸気機関車の記憶』! 生地にもクリームにも、最高級の竹炭パウダーとブラックココアを限界まで練り込んである!」


「限界までって……真っ黒じゃないですか」


北斗先輩が呆れたように言う。 見た目は完全に石炭の塊だ。


「見た目だけじゃねえぞ。クリームの充填には、コンプレッサーを応用した専用注入機を使った。空隙率ゼロ、中身ギッシリだ」


「さあ、召し上がれ!」


私は期待を込めて先輩に勧めた。 北斗先輩は「……毒見役も楽じゃねえな」と呟きつつ、その黒い塊にかぶりついた。


モグモグ……。


「……味は悪くない。ビターチョコみたいで、甘すぎないのがいい」


「やった!」


私と南波さんはハイタッチをした。 しかし、次の瞬間だった。


「北斗さん、ちょっと笑ってみて」


優香さんに言われ、先輩がニッと笑う。


「ひいいいいいッ!!」


優香さんが悲鳴を上げて後ずさった。


「は、歯が! 歯が真っ黒よ! お歯黒みたいになってる!」


「あ」


鏡を見た先輩が絶句した。 口の中が、墨汁を飲んだように漆黒に染まっている。


「ダメよ! デート中のカップルがこれ食べたら、その瞬間に恋が終わるわ! 即時却下!!」


「ちぇっ。視覚的インパクトは抜群だと思ったんだがな……」


南波さんは残念そうに肩をすくめた。



「もう、あてにならないわね。やっぱり私がやるしかないわ!」


優香さんは腕まくりをすると、パイ生地とカスタードクリームを用意した。


「見てなさい。インパクトと映え、そして碓氷峠らしさを両立させた究極のスイーツを見せてあげる!」


彼女が作り始めたのは、ミルフィーユだった。 だが、ただのミルフィーユではない。


「もっと高く! もっと急角度に!」


何層にも焼き上げたパイ生地を、クリームを接着剤にして積み上げていく。


「コンセプトは『九十九折り(つづらおり)』! 碓氷峠の過酷な坂道とカーブを表現した、タワー型ミルフィーユよ!」


完成したのは、高さ三十センチはある巨大なスイーツの塔だった。 ギザギザに組まれたパイ生地は、確かに峠道のようだが……。


「……おい、優香ちゃん。それ、重心が高すぎねえか?」


南波さんが心配そうに指摘する。


「大丈夫よ! 映えのためには、これくらいの高さがなくちゃ!」


「いや、構造計算上、アンカーボルト(串)を打たないと自立しねえぞ」


「食べる時に邪魔になるでしょ!」


優香さんは自信満々で、その塔を北斗先輩の前に置いた。


「さあ、どうぞ!」


「……これ、どうやって食うんだ?」


「上からガブッといっちゃって!」


先輩は観念して、フォークを塔の頂上に突き立てた。


その瞬間だった。


バガンッ!!


「うおっ!?」


パイの層が圧力に耐えきれず、一気に崩壊した。 建築現場の足場が崩れるような派手な音と共に、大量のカスタードクリームが四方八方に飛び散る。


「きゃっ!」


隣で見ていた私の顔面に、クリームの塊が直撃した。


「……あ」


優香さんが口元を押さえる。 テーブルの上は、崩れ落ちたパイとクリームで、まるで災害現場のような惨状になっていた。


「……旅客災害アクシデント、発生」


私は顔についたクリームを指で拭いながら、冷静に報告した。


「復旧には時間を要する見込みです」


「……食べにくすぎるわね」


優香さんがガックリと項垂れた。



硬いクッキー、黒いお歯黒、崩壊する塔。 試作はことごとく失敗に終わった。


「はぁ……。ダメだ……」


厨房の空気はどんよりと重い。 甘い匂いが充満しすぎて、全員が少し胸焼け気味だった。


「やっぱり、奇をてらえばいいってもんじゃないんですね……」


私はため息をつきながら、洗い場の横にあったボウルに手を伸ばした。 そこには、釜めしの具材として使う予定の「杏子あんず」が入っていた。


口直しに、一つ口に放り込む。


「んー……っ!」


強烈な酸味が口いっぱいに広がる。 でも、その後からじんわりと優しい甘みが追いかけてくる。


「……生き返るぅ」


私は思わず呟いた。


「酸っぱいけど、美味しい。……なんか、ホッとしますね。色々詰め込みすぎた頭が、スッキリする感じ」


その言葉に、優香さんがハッとした顔をした。


「……ホッとする?」


「はい。釜めしに入ってる杏子って、好き嫌い分かれるじゃないですか。でも、私は好きなんです。峠を越えて疲れた時、この酸っぱさが一番の癒やしになるんですよ」


「そうか……」


優香さんが呟く。


「私、間違ってたのかもしれない」


「え?」


「インパクトとか、映えとか、足し算のことばかり考えてた。でも、本当にお客さんが求めているのは、驚きじゃなくて『癒やし』なのかもしれない」


優香さんは私の手元にある杏子を見つめた。


「釜めしの名脇役、杏子。……これこそが、ウチの味じゃない」


さらに、優香さんの視線が、お土産コーナーの方へ向く。 そこには、碓氷峠の名物である「峠の力餅(あんころ餅)」が並んでいる。


「……いけるかも」


優香さんが立ち上がった。


「あずさちゃん、手伝って! 南波さんも、北斗さんも!」


「おう、なんだ?」


「原点回帰よ。……シンプル・イズ・ベストでいくわ!」



優香さんの指示は的確だった。


「南波さんは、力餅の要領で求肥ぎゅうひを練ってください! 粘り腰が命よ!」


「おうよ! 粘着なら任せろ!」


南波さんが力強く生地を練る。


「あずさちゃんは、杏子の種抜き! 規格統一はお手の物でしょ?」


「了解です! ミリ単位で処理します!」


私はナイフを手に、杏子を精密機械のような正確さで捌いていく。


「私は、特製の白あんと生クリームを合わせるわ。……杏子の酸味を引き立てる、控えめな甘さにしないと」


優香さんが真剣な眼差しでクリームを泡立てる。


そして、最後に全員で包む。 柔らかいお餅の中に、特製クリームあん、そして甘酸っぱい杏子を丸ごと一つ。


コロッ。


出来上がったのは、雪のように白く、丸くて愛らしい大福だった。


「……できた」


優香さんが額の汗を拭う。


「名付けて、『峠のあんず大福』」


派手さはない。 大きさも、手のひらに収まるサイズだ。 でも、その佇まいには、どこかホッとするような温かさがあった。


「さあ、最終審査よ」


そこに現れたのは、おぎのやの女将――優香さんのお母さんだった。 騒ぎを聞きつけて様子を見に来たのだ。


「……随分と散らかしたわね」


崩壊したミルフィーユの残骸を見て、女将さんが眉をひそめる。 私たちは直立不動で縮こまった。


「ですが、答えは出ました。……これを」


優香さんが、震える手で大福を差し出す。


女将さんはそれを手に取り、じっと眺め、そして一口食べた。


「…………」


長い沈黙。 緊張で心臓が破裂しそうだ。


やがて、女将さんがほう、と息をついた。


「……これだよ」


「え?」


「新しさの中に、懐かしさがある。奇をてらわず、真心を包む。……それが『おぎのや』の味だよ」


女将さんが優香さんに微笑みかけた。


「合格だ。これなら、のれんを守っていける」


「やったぁぁぁーーっ!!」


優香さんが私に抱きついた。 私も、もらい泣きしそうになりながら抱き返した。


「北斗さん、どうですか?」


優香さんが、最後の一つを北斗先輩に渡す。 先輩はそれをパクっと一口で食べた。


「……うん。美味い」


先輩は短く言った。


「甘さと酸味のバランスがいい。これなら、運転の合間でも片手で食えるし、疲れも取れる」


「ふふ、やった!」


先輩の「美味い」は、どんな評論家の言葉よりも信頼できる。 私たちは顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべた。



数週間後。


おぎのやの店頭には、新商品『峠のあんず大福』が並んでいた。 ショーケースの前には、若い女性客や家族連れが列を作っている。


「可愛い! 美味しそう!」 「これなら電車の中でも食べやすいね」


そんな声を聞きながら、優香さんは誇らしげに接客をしている。 その笑顔は、いつもの「看板娘スマイル」よりも、さらに輝いて見えた。


一方、派出所の休憩室。


「……うぐっ!」


黒石先輩が、苦悶の声を上げていた。


「な、なんだこれ……硬ぇ……!」


先輩の手には、ボツになった『ロクサン・クッキー(超硬度)』が握られている。 もったいないので、大量の試作品が派出所に差し入れられたのだ。


「文句言わないでください。私の『無難で硬い愛』が詰まってるんですから」


私が言うと、北斗先輩がコーヒーにクッキーを浸しながら笑った。


「ま、コーヒーに浸せば食えないこともない。……枕木よりはマシだ」


「もう、先輩まで!」


私たちは笑い合った。


窓の外では、今日もEF63のブロアー音が響いている。 甘酸っぱい大福と、硬いクッキー。 どちらも、私たちの不器用だけど真っ直ぐな、挑戦の味がした。

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