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47『理想の日常』

しばらくは、アニメを見ながら適当にツッコミをいれていた。学校でもオタク趣味を隠していたために、今みたいにアニメをみんなで見ながら駄弁るという経験をしたことはなかった。初めての感覚に、つい時間も忘れて楽しんでしまう。


「ところでさ」


 場酔い、というのが本当にあるのかは知らないけど、あまりの心地よさに浮かれていたのも事実だ。口はつい軽くなっていて、いつもなら臆してしまうような質問ですらするっと声に出た。


「二人は、付き合ってたりするの?」


 そんな問いに、園田さんと新藤はぴたりと動きを止め、目を合わせた。まさか地雷を踏んでしまったのだろうか。僕には隠していたかった、とか。


「あっ、ごめん、いや、言いたくないならいいんだけど……」


 取り繕うように視線を彼らから外すと、二人の笑い声が聞こえてきた。恐る恐る顔を上げて彼らを見ると、なんだか僕を小馬鹿にしたように笑っている。


「付き合ってるわけないじゃん!」


 そう言ったのは園田さんだった。便乗するように新藤も頷いている。


「俺がどうしてこんな真面目な女と付き合うんだよ」


「あ、そう、なんだ」


 ほっとしている自分が、そこにはいた。本を貸し借りし合っていたし、てっきり園田さんと新藤は付き合っているものだと決めつけていたんだ。現実リアルなんてやっぱりクソだと、その口実にしていたけれど、そう悪いものでもないらしい。


「そんで、海斗はあっちの世界でこれ、できたのかよ」


 これ、と言いながら新藤の小指が立っていた。


「うーん……好きな子は、いたけど、でも無理だったよ」


「無理って、どういうこと?」


 その子は僕の真実を知って、拒絶してしまった。それだけでなく、僕の妄想によってかき消されてしまったんだ。どう足掻いたって、無理なんだ。


「……ねえ、本当に、こんなことしていて、いいのかな」


 ふと呟いてしまった一言に、今度こそ場の空気は凍りつく。美鈴さん、そしてなずなのことを思い出して、仮に僕がこのままなにもせず彼らと楽しい時間を過ごしているだけだったら、彼女たちはどうなるのだろうかと考えてみた。


 もう消えてしまった彼女たちは、戻らない。勝手な都合で、世界の終わりに付き合わされるんだ。ユーリカも、そう。世界の終わりを望んでいるのはきっとここにいる二人だけで、この楽しさはあらゆる他の人類を犠牲にして成り立っている。


「どうして?」


 園田さんは真剣な眼差しで僕に問うた。新藤もまた、ジュースを飲みながら鋭い目つきで糾弾しているように見える。


「どうしてって……だって、確かに今は楽しいけど」


「なら、いいじゃないか」


 新藤が僕の目を見据えて、言った。


「良く、ないよ」


 ジュースを置いて、席を立った。楽しい時間はここまでだ。そろそろ、僕は本題に入らなくてはならない。


「君たちは、どうして僕の味方をしてくれるの?」


 そしてなぜユーリカを敵対視するのか。椅子に座ったまま見上げてくる二人は、お互いの顔を伺ってどちらから話し出すか迷っているようだった。


「友だちだからかな」


 しばらくして、ようやく口を開いたのは園田さんだった。友だちだから。その一言は確かに頼もしいし、ありがたい。でもきっと、それは本心ではないのだろう。


「君たちは、僕の妄想によって、生まれたんだよね」


 沈黙は肯定と同義だった。きっとこの楽しさは、僕の理想なんだ。僕がそうあって欲しいと願ったから彼女たちは生まれ、日常を維持するために動いている。彼らのおかげで僕の《理想の日常》は機能する。今みたいに、楽しい時間を享受できる。


ひびは、ずっと前から広がっていたんだ。僕はただ、思い出すのが嫌だっただけなのかもしれない。君たちのいない世界……もしかしたら、僕が本当に《もといた世界》は、物凄く残酷で、僕にとって酷く居心地の悪いものかもしれない」


 そんな世界が嫌で嫌でたまらなくなって、妄想が激化した。そして今や現実と妄想の区別はひびのせいで曖昧になっている。どこまでが現実で、どこまでが妄想なのかすら判然としない。色と色がぐちゃぐちゃに混ざり合った世界に、僕たちはいる。


「朝桐君、それでも、あなたはここにいていいんだよ?」


 彼女たちが提供してくれる環境はとってもぬるく、すべてを肯定してくれる気がした。現実の辛さなんて感じられない。世界が滅びることすら忘れて、好きなアニメを見てジュースを飲んで、くだらない話で盛り上がるだけでいいんだ。


 それはなんて素晴らしい世界だろうか。

 でも――そこに、僕以外の人たちはいない。


「ううん」


 首を振った。園田さんが悔しそうに唇を噛む。


「もう、決めたんだよ。妄想はしないって。そして、他の人たちに迷惑はかけないってことを……ユーリカだけじゃない。みんなと、誓ったんだ」


 僕がいくら楽しくても、他の人たち――美鈴さんやなずな、そして悠弥やユーリカがいなくなってしまう世界なんて、考えられない。彼女たちには彼女たちの生があって、必死に生きているんだ。


 知ってしまったから。

 僕だけのうのうと暮らすなんて、もうできない。


「あてはあるのか?」


 新藤もまた立ち上がって、僕に問うた。


「わからない。でも、動かないわけにはいかないからさ」


 玄関で腰をおろして、靴を履く。ユーリカはまだ屋上にいるのだろうか。連絡を取る術がないのは非常に面倒だった。でもきっと、すぐ会えるだろう。


 ユーリカは、僕のことを生まれる前から知っているんだ。きっと彼女なら、僕が向かう場所で待っていてくれるはずだろう。だから屋上に帰る前に……彼女に、会っておきたかった。


「どこに行くの?」


「一度、家に帰ろうと思う。それで、結名ゆいなに会うよ」


 ユーリカに存在していないと告げられた妹、結名と会って、別れを告げたい。彼女もまた園田さんや新藤と同じように、僕の《理想の日常》構成員の一人だから。


「なあ、海斗」


 ノブに手をかけたとき、新藤が声を上げた。振り返ると、そこには園田さんと新藤が並んで立っていて、リビングから溢れる明かりに照らされていた。


「そっちを選ぶってことは、もう俺たちには会えないぞ」


「私じゃ、駄目だったかな?」


 二人の表情はどこか悲しげで、僕が行くのを心から嫌がってくれているようにも思えた。もとの世界を取り戻すということは、彼女たちと永遠に別れることを意味している。なぜなら彼女たちは僕の《理想の日常》の住人なのだから。


「……ごめんね」


 でも、僕は扉を開ける。外に踏み出す。

 やるべきことがあるんだ。


「さようなら」


 そして僕は、扉を閉めた。途端に、さっきまで聞こえていたアニメの音声がぴたりと止んで、二人の気配もドアの向こうから消え去った気がした。

 


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