46『かりそめの現実』
「殺そうとしている? 意味が、わからないって」
「詳しい話はまたあとで、新藤君も交えて……ね?」
新藤? 新藤ってあの、新藤高良のことか?
疑問を差し挟むより早く、園田さんによって手を取られ無理やり立たされた。ユーリカが痛みを耐えながらゆっくりと起き上がろうとしているが、園田さんはそれを一瞥して金網に足をかけた。手は、握られたままだ。
「ちょっと、園田さん!? どうするつもり」
「どうするもこうするも……飛ぶんだよ」
理解できなかったけれど、理解する必要もなかった。直後、僕の手を引いたまま園田さんは金網から足を勢い良くバネのように離して、空に飛んだ。いったい彼女の細い身体のどこにこんな膂力があるのかわからないけれど、恐らくは僕の産んだ多世界にはお粗末な理由できちんと説明が成されているのだろう。
金網を超えたところで振り返ると、屋上でようやく起き上がったユーリカがこちらを見て悲しそうな表情を浮かべていた。僕だって今すぐ戻りたい。でも、ここで手を離したらそれこそ地上に真っ逆さまだし、抵抗ができないんだ。
「ユーリカ……」
裏切られたと思っているだろうか。そんなつもりはなかったはずなのに、でも園田さんの手を握ってしまった時点で、ユーリカにとっては同じことかもしれない。
余裕はないはずなのに、こんなことをしていて良いのだろうか。
「朝桐君」
ふと耳元で園田さんの声がした。気づけば、彼女によって手だけでなく腕を強く握られていた。それにしてもこれ、着地はどうするつもりだろう。
「付いてきてくれて、ありがとう」
「……ううん」
ユーリカのもとには、きっとすぐに戻る。だから少しだけ、彼女たちの話を聞いても良いだろうか。僕にはまだ何も理解できていないんだ。あまりに煩雑すぎるこの世界の仕組みも、園田さんたちの存在も……だからこの対話がもしかしたら世界を元通りにする方法を導き出すヒントになるかもしれない。
「そろそろ着くよ」
園田さんは平然と空を飛んでいるし、そのままパラシュートの如くゆっくりと下降する技まで見せてくれた。降り立ったそこは、マンションの屋上だった。
「また、屋上か……」
もう金輪際、屋上にロマンなんて追い求めないだろうなと誓う。園田さんの抱擁から逃れ、先を歩く彼女の後ろについて僕もまた屋上を後にした。
階段をいくつか降り、「3」とプレートの貼られた階の廊下に出る。その内、一つの鍵もかかっていない部屋を開けて、園田さんは僕を招き入れた。
「おじゃまします……」
「おっ、海斗か?」
そう言いながら奥から出て来たのは、新藤高良だ。相変わらずイケメンで、飄々とした態度が鼻につく。誰かに似ていると思ったら、そうか悠弥にそっくりなんだ。
「この世界、お前が作ったんだって?」
こいつのこの、一番聞いて欲しくないことを平然と突っ込んでくるスキルには恐れ入る。やっぱりどこか悠弥に似ているな、と思った。
「そうらしいよ」
「もー新藤君はそういうの、ちゃんと気にしてあげてよね」
園田さんにまで気を遣わせてしまったのが非常に申し訳ない。できることなら今すぐこの場を立ち去ってユーリカのもとに戻りたいけれど、前後を塞がれているから逃げることもできない。錠をかける音がした。
「僕は、どうすればいいの?」
「どうもする必要はないさ」
そう言ったのは、新藤だった。
「ここで適当に飲み食いして、朝までだべって……楽しい日常を送ればいい」
「……は?」
意味がわからなかった。まさか彼は、この世界をもとに戻す必要はないと言うのだろうか。
「そうだよ」
「うん。このままじゃ、だめなのかな?」
園田さんまで、新藤と同じことを言ってくる。
「いや、駄目に決まってるだろ! 学校は……他のみんなは?」
「《もとから》いないよ」
新藤が答えた。理解が追いつかず、返す言葉も見つからない。
「お前はなんだか《もとの世界》とやらに固執しているみたいだけど、そんなの無意味さ。例えばお前が理想としている《もとの世界》に帰ったとしよう。でもそこは結局のところ、お前が今、《妄想している世界》となんの違いがある?」
「上塗りになっちゃうんだよ。例えば私がいなくなって、新藤君もいない。あの女もまたいなくて、私たちが最初に会ったときみたいな学園生活が戻ってきたとしても、それは本当に《もとの世界》なのかな? 妄想に妄想を重ねているって考えることはできないかな?」
園田さんの言うことは一理ある。僕が《もとの世界》を覚えていない以上――いや、仮に覚えていたとしても、その世界が《もとの世界》という保証はどこにあるんだろうか。彼女たちに言わせてみれば、あらゆる世界は《もとの世界》になり得るし、そうでない可能性も秘めている。つまり戻ることに意味はない。
「でも……罅が広がったら、世界は滅びて」
「仮にさ」
新藤が肩を組みながら、僕を室内に案内して言った。
「滅びたとしても、気づかないさ。俺たちにとってはただいきなり世界がなくなるってだけで、なんもわからない。安楽死よりもずっといいだろう?」
連れられたリビングには、お菓子やらジュースやらが用意してあって、大画面の液晶テレビは煌々と輝きながらアニメを流している。僕の好きなやつだ。
「だから、朝桐君」
園田さんがもう片方の肩に手を置いて、微笑みながら言った。
「最期まで、楽しもう?」
そうして僕はコップを手に取って、奇妙な心地のままコップを掲げた。
「「「乾杯」」」




