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38『なずなの過去』

 のろまに懐柔しようなんて考えていた僕がバカだった。蘇芳は、二回目の攻撃で能力の弱点を見抜いたことから洞察力はかなり高いし、戦闘にも慣れていると思われる。なにより、なずなの怯えよう……もっと、早く気づければ。


「片腕を失い、視力まで奪われた……こんな状況で、戦うつもり?」


 つまり蘇芳は、僕に投降しろと言っているのだ。なずなを受け渡し、目の前で殺されるのを指を咥えて眺めていろと、そういうわけだろう。


「むしろ、僕は死なないんですよ。ゾンビを相手取るくらいなら、いっそ蘇芳さんこそ降伏した方がいいんじゃないですか?」


「あら。死ななくても、無力化することはできるわ。バラバラにしてしまえばいいのでしょう? それくらい、児戯に等しいわ」


 刀が柄から抜かれる音が聞こえてきた。バレてしまえば、死なない能力なんていくらだって対策が取れる。唯一の弱点である肉体の欠損を見抜かれた時点で危ういのに、重要なパーツが二つも欠けている状態でどうやって彼女に勝てばいいのだろうか。

 ユーリカを呼ぶ? 無理だ。彼女は薬品の影響で、いまごろ精神的な不安定を患っているはずだ。まともに戦える精神状態じゃない。

 救援を呼ぶのが一番良いのだろうが……室内でも聞こえる外の激しさを知ってしまえば、望み薄だろう。校庭ではお互いが総力を挙げて戦いを繰り広げている。美鈴さんの通信も、余裕がないのかかかってこない。


 頼みの綱は、すでに絶たれている。

 残された左手で、なずなの手を取った。


「逃げよう、なずな」


 囁いたその言葉に、なずなは強くその手を握り返した。


「む、無理だ……霧のある範囲じゃ、あたしたちは逃げられない。もう、駄目なんだよ。あたしは、もう、罪を償って死ぬしかないんだ」


 罪?

 疑問を口にするよりも早く、蘇芳が言った。


「あらぁ、覚えていてくれているのね。あなたが私にやったこと」


 なずなのからだが大きく震えた。なんだ? いったい、彼女たち姉妹の間にはどんな禍根があると言うんだろうか。姉が妹を殺そうと思うほどに強大な怨恨なんて、想像することができない。


「ほら、そこの彼氏さんに聞かせてあげなさいよ。あなたが言わないなら、私が説明してあげてもいいわ。ねえ、なずな?」


 彼氏じゃないと言ってるのにさっきからこの女はずっと僕をなずなの彼氏だと言い続けている。その類の発言に激しい拒否反応を見せていたなずなが、今や震えて僕の後ろに佇んでいるだけだ。


「あ、あたしは、別に、なにも……」


「なにも? じゃあ、ちょうどいいじゃない。彼に聞かせてあげましょうよ。それで、裁いてもらいましょう。果たしてあなたが、身を挺してまで守る価値のある女なのかってことを、ね?」


「や、やだ」


 なずなの声が、今まで聞いたことのないくらいに震えている。あのなずなをここまで怯えさせている蘇芳がムカつく。ぶん殴ってやりたい。でも、視力もない状態じゃあ、手を出しても悪手となる想像しかできない。

 

 どうすればいい?

 ただ僕は、この女の話をぼうっと聞いていることしかできないのか?


「あなたもこの終末を生きていたのだから、わかるわよね。私たちにも家族がいた。でも、みんな死んで、子どもである私となずなだけが生き残った。コミュニティに入るという手段もあったけれど、私となずなは違う学校にいた。だから、同じコミュニティに入ることは、どちらかが居心地の悪い思いをするということになる。でも、私は姉として、なずなを守る義務があったから……なずなを、私のコミュニティに招待したの。それが、はじまり」



 なずなは、もともと人と喋るのが下手らしい。どうしても居丈高に出てしまうから、同姓からも評判は悪く、特に男性に対してはナメられないようにという意識が働くのか一倍強くあたってしまうんだそうだ。


 蘇芳のコミュニティの中で、当然なずなは孤立した。それでも姉として、蘇芳はなずなをできるだけ仲間に入れようと努力した。しかしなずなは案の定、その優しさをすべて無碍にしてしまう。蘇芳も、手を焼いたそうだ。


 ある日、なずなたちのコミュニティが襲撃された。そこは他でもない《山猫の集い》。当時は今ほど情勢が落ち着いていなかったから、ちょっとした火種で抗争が起きていたようだ。猫ヶ谷の指示と、圧倒的な戦力差で、蘇芳の所属していたコミュニティは半壊滅状態になった。それでも、生き残ったメンバーは這々(ほうほう)の体でなんとか拠点を移し、その後も生き延びることができた――なずなを、除いて。


 なずなは、本来所属するはずだった《山猫の集い》に攫われたのだ。蘇芳は嘘か真か、そのときは大いに涙したらしい。しかしある日、なずなが彼らのもとに帰ってきた。他のメンバーは快く思わなかったが、唯一の肉親の生と帰還を、蘇芳は大いに喜んだと言う。


 事件は、そして起こった。


 なずなが帰ってきたその日の夜に、蘇芳のいたコミュニティの残存メンバーがみな殺されたのだ。寝ているところに、首を一閃。みな即死だったと蘇芳は言った。そして目が覚めた蘇芳の目の前で、ナイフを掲げるなずながいた。蘇芳は言った。


「どういうこと……? あなた、私を裏切るの?」


 なずなは、泣きながらナイフを握りしめて、答えたそうだ。


「あたしが生き延びるには、こうするしかないんだ」


 ごめん、と呟いてナイフは振り下ろされた。油断していた蘇芳は間一髪で生き延びたが、そのときに抉られた顔の傷はいまも癒えることなく残されている。だから蘇芳は、なずなを恨む。傷の痛みと、仲間の恨み……それらを背負って、復讐しようとする。


 それが、蘇芳の言ったことの顛末だった。

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