37『盲目の戦い』
シスター? 姉さん?
思考が追いつかない。腹を貫かれたとは言え、痛覚は違和感レベルまで引き下げられている。むしろ必死に視界を巡らせて、失った腕がどこに落ちたかを探すくらいの余裕はあった。
「あら、まだ生きてるの、あなた」
からだを支えていた刀が、腹部を切り裂いてすっと抜ける。切れ味良すぎだろ、と暢気に思っていたら、ぱっくりと開いた傷口から臓物が垂れ落ちてきた。なんというグロ注意。このままじゃまずいと脇腹を抑えながらも、ベルトにさしていた拳銃を振り向きざまに抜いた。
銃口は女の顔に突き付けられている。にも関わらず、彼女は顔に貼り付けた笑みを保ちながらそのからだを《霧散》させた。
「なっ――」
まさに《霧散》。字義通り、霧のように散る。彼女の姿は今まで目の前に実体があったという事実すらあざ笑うかのように、視界から溶けるように消えていった。立ち込める霧の濃度がさらに高くなった気がする。ひんやりとした水滴が、銃を持った手の甲を濡らした。
「海斗……」
ちょうど腹部の怪我が修復し終わったとき、なずなは僕を背中から抱きしめてきた。やっぱり、どうしたのか今回ばかりはなずなの態度が異常だ。いつも強気で、覇気のこもったような喋り方すらもはや跡形もない。
腰に回された手にそっと手のひらを重ねると、なずなはからだを震わせた。
「に、逃げてくれ……あ、あいつは、駄目だ」
「さっきからどうしたんだよ。なずな、あの女のこと、姉さんって」
なずなから反応を聞くよりも早く、再び渦中の女が目の前に立ち現れた。顔立ちは、似ているだろうか。彼女の顔には酷い一筋の切り傷が刻まれていて、もとの顔を想像することはもはやできない。傷は雑な治療が原因か、化膿して凄惨さに拍車をかけている。
「君、なずなの彼氏?」
違う! と、いつもなら聞こえてきそうなはずのなずなの声も、今やない。彼女はただ震えたまま、僕の後ろで息を荒げているだけだ。
だから代わりに、僕が首を振った。
「違いますよ。逆に訊きますけど、あなたはなずなの」
「姉よ」
まあ、当然か。
なずなの怯え方はあまり理解できないが、身内と言うのならば話は早い。説得して、こちら側についてもらえば戦う必要もなくなるだろう。提案をしようと口を開きかけたとき、なずなのお姉さんは空手を宙に浮かばせて――
その手が、ふっと消えたその直後。
衝撃と共に、僕の視界が失われた。
「あっ――なっ、これ」
なにも見えない。まさか、眼を潰されたのか?
「……ちょっとあなた、どういうことよ」
「ご、ごめんなさい、驚かしちゃいましたか? 僕、その、不死身っていうか、死なないようにできてるんですよね。なにされようと」
敵として相対しているのだから、なずなのお姉さんが僕を攻撃してしまうのも仕方がない。どうせこの怪我も、すぐに治るのだから。
「ああ、さっきの怪我も、ほんとね。修復されちゃうのか。厄介な能力っていうか、さすがにズルいんじゃないの、それ」
「いや、良く言われます」
なずながぎゅっと腹を締め付けてくる。なに世間話してんだよ、と怒っているのだろうか。いや、でも身内ならばできるだけ戦いたくないというものだろう。それに、きっと話せば理解してくれるはずだ。
だからまずは、こうして雑談を交えながら眼の修復を試みる。
「ねえ、あなた名前は?」
「海斗って言います」
「海斗君ね。私は蘇芳って言うんだけど、まあさっきから言ってる通りなずなは私の妹なのよ。だから、そのみっともなく男のケツに隠れている妹を、渡してくれない?」
そうは言っても、なずなから離れてくれない以上、引き渡すこともできない。それにしても、なぜ彼女はこんなにも実の姉に怯えているのだろうか。顔の怪我が怖い? まさか、あのなずなだぞ、あり得ない。
「海斗……」
ふっと、からだに掛けられていた力が緩められた。なずながしっかりと立ち上がって、僕の耳元に顔を寄せた。それでもなお、彼女はまだ僕の肩を離すまいと掴んでいる。
「姉さんは……蘇芳は、話し合いなんて通じない」
「あら、心外なこと言ってくれるじゃない」
冗談だろ、と軽口を返すことが憚られるようななずなの語調にようやく緩みきっていた僕の判断力がもたげてくる。痛覚が麻痺し過ぎたせいで、思考力すらも麻痺してしまったのだろうか。
「早く殺さないと……あたしたちが、やられるぞ」
なずなの声は震えていた。いったいなにが、彼女たちの間にあったのかは計り知ることはできない。でも、真に迫るなずなの言葉には、僕の腑抜け切った脳みそをフル稼働させるだけの熱量はあった。
「あーあ。もう少し、なずなの立ち直りが遅ければ、なぁ――」
「ぐうっ」
なにが起きたのかわからなかった。ただ、後ろに思いっ切り引っ張られてなずなと共に床に倒れこんだという痛みを除いた微かな感触と、物音だけが聞こえてきた。蘇芳の声が続く。
「やさし~い彼氏が、自分の彼女を差し出したことが原因で切り刻まれて死ぬっていう、ドラマチックな展開が見れたのに」
ぞっとした。
蘇芳の話すトーンが、急に低くなったのだ。
「か、海斗、目、まだ治らないのか!?」
なずなの叫びを耳にして、ようやく気づく。どうやら、本当に耄碌してしまっていたようだ。言われた通り、どうして僕の目はまだ回復していない? 視界は未だ、真っ暗なままだ。
「うふふ。ねえ、海斗君? まさかとは思うけど、あなたの能力って修正はできても復活することはできないの?」
「それが、どうした」
蘇芳の言う通りだ。ユーリカはそれを、既存のプログラムだけで構築されている僕らの肉体は、微修正や接合などはできても失ったものを復活することはできないと説明した。この世界に存在する僕の肉体=プログラムは一つであって、複数の場所に同時に存在することはできないのだと。
だからもし、僕の眼がいま、修正されることがないとしたら。
「そうよね。そう、なら、私の選択は間違っていなかったってわけね」
僕の眼は、潰されたのではなく……奪われた。
「この眼球は、預からせてもらうわね」
まさか。
冗談だろ。僕はこの女に対して――視力を奪われたまま、戦わなければならないのか?




