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31『開戦宣言』

 どうしよう。

 部屋に戻るまでの道を歩きながら、壁に手をつく。酔ったかもしれない。正直、アルコールがこんなにもキツいものだとは思わなかった。いや、きっと疲労もあるだろうし、もともと体質が弱いのかもしれない。


 だけど、僕がいま完全に酔っ払っていることは間違いない。足元は覚束ないし、視界もなんだかぼやけている。今の僕なら幻覚でもなんでも見れる気がする。例えばほら、現われろ、美鈴! って唱えれば、こう、目の前にいきなり彼女が現れて、そして僕を抱き止めてこう言うんだ。


「ど、どうしたの、海斗君!」


 しかし酔っている僕は、依然として胡乱な眼差しのまま、美鈴さんをじっくりと見つめる。彼女の短めに揃えた赤い髪に、そっと手を差し伸べて、そうすれば彼女は、そう、そうだ、こんな風に一歩後ろに下がりながらも、僕の行為を拒絶せずに慌てふためくに決まってる。


「ちょ、ちょっと……か、海斗君、そんな、ダメだよ」


「寂しいんだ」


 ああ、まるで夢のようなシチュエーション。美鈴さんはきっと、僕のそんな気弱な一言を聞けばためらってしまうだろう。無碍に蹴り飛ばしたり、ぶん殴ったり突き放したりできないんだ。彼女の性格を逆手に取る僕、ほんっとクソ野郎なんだけど、こういう経験も一度はしてみたい。


「えっ、えっ、で、でも、わ、私、私で、え?」


「美鈴さん……」


 動揺する彼女の胸に頭を埋める。ああ、ふくよかな感触。いいなぁ、女の子って、やっぱりというかなんというか、想像通りやわっこいんだ。


「か、海斗君……ちょ、い、いやっ、んっ」


 なんだか、柔らかくて気持ちが良い。幻覚もここまで来れば、僕は毎晩眠る前にお酒をあおろう。きっと、今ごろ僕はベッドの上で寝転がっているんだ。だから、こうして消えかかる意識を手放しても……もったい、ない、な。



 目が覚めたとき、僕は本当にベッドにいた。でも隣には美鈴さんがなぜか眠っていて、動揺したまま目線を上げるとそこにはなずなが立っていた。


「いい、度胸だなぁ、海斗、クン?」


「……え?」



「……お前、腕の形おかしくね?」


「なずなに折られた」


 悠弥の前で、なんとか右腕の肘をもとの方向に戻し接着させる。しばらくくっつけていれば治るのだから、容易いものだ。


「うわっ、グロ……」


「……あたしも手加減はしようとしたんだぞ?」


 僕の後ろに立っているなずなは今までまったく口をきいてくれなかった。美鈴さんが起きてから、なにもなかったと真実を告げてくれたから僕の冤罪は晴れたわけだけど、つい「酔っ払って」と言い訳をこぼしてしまった途端に美鈴さんも大激怒、僕をぶん殴り(傷はすぐ癒えた)どこかへ行ってしまった。こうして猫ヶ谷から収集がかかっているのに、戻ってこない。


「しっかしそのからだ便利だなぁ。女に刺されても平気だもんな」


 悠弥の軽口が、いまはとてつもなく重い。後ろから突き刺さる視線もまた僕をすくませる。自信はないけれど、僕は絶対に美鈴さんに手を出していないはずだ。絶対に……いや、うん、そんな僕だって初めてを覚えていないなんてありえないし、なにより美鈴さんだってそれは拒絶するだろう。


 ……拒絶する、よな?


「みんな、僕の声が聞こえるかな」


 百を超える群衆が一斉に声を上げる。僕となずなと悠弥だけが、冷ややかな目でこの滑稽なお祭りを見つめている。まるでヒットラーと洗脳された愚民の戯画のようだ。洗脳っていうのは、比喩でもなんでもない。


 猫ヶ谷の能力は未だ不明瞭だが、洗脳の類であることは間違いないんだ。


「昨晩、ここから数キロ先にある学校に、大勢の反対勢力が拠点を立てたという情報が入った。みな、僕らに敵意にある奴らばかりだ」


 一斉にみんながどよめき出す。それもすべて、猫ヶ谷の手のひらの上で踊らされているのだろう。あらゆるシナリオを、演説によって現実化する。


「すでに偵察隊は出した。恐らく、早ければ今晩の内に強襲があるだろう。しかし、恐れる必要はない! 僕たちは、今まで負けたことがあったか?」


 ない! という叫び声が、ちらほらと、そして徐々に巨大化してプラットフォーム全体を揺るがす大音声だいおんじょうとなった。

 猫ヶ谷が指揮者のごとく手を振って鎮めさせる。


「そうだ、勝つんだ」


 猫ヶ谷の言葉に便乗して、人々はみな隣と顔を見合わせながら呟く。

「勝つんだ」「勝つんだ」「勝つんだ」「勝つんだ」


「死は怖いか?」


 人々は黙りこくる。しかし、猫ヶ谷は続けた。


「怖い。僕も、怖い。でも、僕らはもともと、すでに死んでいたんだ」


 そう言って猫ヶ谷は――僕を、一瞥した。


「世界は一度滅びた。そのとき、君たちは一度すでに死んだ」


 その視線はきっと、色々な意味が含まれていたのだろう。このお祭り騒ぎに便乗しようとしない、冷えた態度である僕への糾弾。そして、比喩でもなんでもなく確かに不死身な僕への……嫌味。


「そんな君たちを救い上げたのは、他でもない、隣にいる君たちだ」


 すると人々は互いの顔を見合わせる。なかにはすでに泣き出しそうな女の子もいた。表情を強ばらせ、隣の人と強く手を握り合う人たちもいた。


「勝つことは、生きることだ。そして、救うことだ」


 そうだ、と誰かが言った。まるで波紋のようにその言葉は広がり、気づけば再び駅の空洞にこだまするほどの声が次々に上がった。


 猫ヶ谷もまた負けじと声を張り上げる。


「僕たちは、勝つ! 隣の君を救え! 生き残れ!」


 こうして、盲目な戦士たちが完成する。魅力的な猫ヶ谷の容姿、心に響く熱の入った通る声、人々を先導する力強い振る舞い。これは決して猫ヶ谷の能力なんかじゃない。ただの、才能だ。


 人を惹きつける、天性の才能。

 今はまだ味方で良かったと、安心する。そして願わくば彼と戦う日が来ないことを――そんな、弱気なことを思っていた。


「夕暮れにはこちらから強襲をかける! 総員、指示通りに動け!」


 人々はまだらに解散し、持ち場に着く。恐らく、猫ヶ谷のことだ。敵側に先手を取られるようなことはしないだろう。相手はゴロツキの集まりで、対してこちらは統制の取れた敬虔な信徒たち。


 動き出せるのは圧倒的に、こっちが早い。


「そういや海斗、ユーリカちゃんはどうしたの?」


「バレるとまずいからって、昨日、お前と会うより前に自分から出て行ったよ。たぶん、どっかに隠れてるんじゃないかな」


「隠れてるって……大丈夫なのかよ」


 三日間もこの世界を放浪して無事だったんだ。それに彼女は僕と同じように、この世界で死ぬことはない。手放しで安全だとは言えないけれど、きっとすぐに戻ってくることだろう。


「大丈夫だよ。あいつはああ見えて、お前よりずっとタフだから」


 なにより、神にも似た存在だしな。方向音痴だけど。


「……いや、ちょっと待って、ごめん探してくる」


 そうだ。忘れていた。


 さすがにどっかに隠れているとは言え、遠くまで行っていないと信じたい。だけど、万が一のことがある。まさかまた、迷ってるんじゃないか。


 不安になって、踵を返す。

 しかしその手を、誰かに掴まれた。


「海斗君、少しだけお話がしたいんだけど、いいかな?」


 猫ヶ谷晴海。

 すらっとした体躯の男は、僕の手を握りながら不敵に笑った。

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