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32『捕らえられた姫君』

 猫ヶ谷に連れられて、彼の執務室に入った。この部屋に入るのは二度目だ。一度目は、悠弥の入団を許可してもらうためだった。なずなから彼の能力が洗脳だと聞いていて、できるだけ警戒して行ったもののそのときは何ら危害を被ることはなかった。恐らく、厳しい条件下で実行される能力なのだろう。


 猫ヶ谷は僕を立たせたまま、自分だけは偉そうにデスクの椅子に腰を下ろした。なずなから聞いた話によると、彼は他の団員と話すときはこんな態度を取らないのだそうだ。なぜか僕だけ、偉そうな態度になる。あと悠弥だ。


「こんなときなのに、と思うかもしれない。だけど、こんなときだからこそ僕は訊きたいんだ。三ヶ月を経た今、改めてね」


 なにを、という質問は無粋だろう。

 猫ヶ谷が個人的に僕を呼び出して訊きたい話なんて一つしかない。


「君は、美鈴のことを好いているのか?」


「……本当に、こんなときなのに、ですね」


 僕は露骨に嫌そうな顔をしてやる。以前、悠弥の件で来たときは僕の反応に一々側近の男が大げさに恐縮していたが、今はいないから気が楽だった。


「知っているはずだよね、海斗君も。僕が美鈴のことを好きだって」


 本当に、さっきまであの名演を披露していた男がここまで下世話なネタでマジになっているところを見ると失笑してしまう。


「いえ、すみません、初耳でした」


 大嘘だった。僕はなんとなく察していたし、美鈴さんからも直接聞いている。しかもお前は好きじゃないって言葉付きでな! ハッハッハ。


「まあいいよ。で、好きなのか、嫌いなのか?」


「……なんで僕が答えなくちゃいけないんですか」


「恋敵がいたとして、君ならそいつを放って置くのかな?」


 なわけねーだろ。今更ながら、悠弥が言っていたこいつのストーキング事情を思い出す。確か、手帳にパンツの色まで記入してたんだっけか。信じられないほどに気持ちが悪いし、正直、腹が立つ。

 僕でさえまだ見てないのに。


「好き、と言ったらどうします?」


「今すぐ君にはここを立ち去ってもらうよ」


「露骨ですね……」


 仮に僕が猫ヶ谷の盲信者だとしても、こんなみっともない彼の姿を見た瞬間に幻滅できる自信がある。どんだけ負けず嫌いなんだよ。


「話は変わるが」


 猫ヶ谷は僕が答えようとしないと見ると、いきなり話題を変えてきた。

 蛇が蛙を食う前みたいな舌なめずり。無意識だろうけど、なんだか薄ら寒くて、嫌な予感しかしなかった。

 

 そして僕の嫌な予感は、デスクに置かれた写真を見て的中したと知る。


「昨晩、この周囲でとある女の子を保護した。いくら質問してもなにも答えようとしないし、スパイの疑いがあることから投獄してある」


 写真に写っているのは、両腕を縛られて椅子に拘束されている銀髪の少女――つまり、ユーリカだった。


「……は、はぁ」


 いやお前なにしてんだよ!?

 なんで捕まってんの!? いや、僕だってユーリカが外に出ると言ったことに対して二つ返事で答えちゃったのも悪いけど、でもお前、そんな簡単に捕まるようなタマだったのかよ! 


「不思議なことに、彼女は外にいながらマスクを付けていなかったそうだ」


「……それはまた、奇妙なもんですね」


 嫌な汗がにじみ出てくる。たぶん、猫ヶ谷はすでにユーリカと僕になんらかの関係性があることを見抜いていることだろう。


「まだなにも手は出していない。ただ……そうだな、このまま彼女がなにも口を割らないようであれば、僕としても手を打たなければならない」


「と、言いますと?」


「ちょっとだけ、強引な手を使うかな」


 くっ……こいつ、僕を脅迫しようってのか。

 牢のある場所はわかっている。だから、助け出そうと思えば無理やり助け出せないこともないが、そうすれば僕はこのコミュニティから追い出されるだろう。現状、これから大掛かりな戦争が学校を舞台に始まろうって言うときに外に投げ出されるのは正直なところ、痛い。


 倍の敵がいる状態で、交戦状態の学校に忍び込み屋上に行く。

 戦いが落ち着いてから行くか? いや、ユーリカはヒビが広がっていると言っていた。あんまり、この世界に長居することはできないだろう。


 八方ふさがりだった。僕はどうやら、認めなければならないようだ。


「彼女は、僕の身内です」


「そうか! だろうと思ったんだ。なら、こちらとしても丁重に扱おう」


「感謝します」


「いや、いいんだよ。でも、解放することはできないな」


 徐々に、自分が泥沼に足を踏み入れていることがわかってきた。きっと猫ヶ谷はこの話のくだりまで、すべて事前にシュミレートしているのだろう。


「君、次第だけどね」


「……なに、すればいいんですか?」


 猫ヶ谷は薄い笑いを口元に浮かばせながら、言った。


「美鈴に、金輪際近づくな」


 まったく僕が予想していたのと同じ言葉を彼は言い切った。

 正直、形式だけでも頷いておくのが、一番良い逃げ方だろう。それに、僕はもう元の世界に帰ってしまうんだ。だから、美鈴さんと結ばれたとしても、これから一緒にいられるとは限らない。というか、無理だ。


 なら、僕は……


「なんてね。僕がそんなみっともないこと、言うと思った?」


「え」


 表情をふっと崩し、猫ヶ谷は大きく笑った。そして椅子から立ち上がると、僕の隣にやってきて馴れ馴れしく肩を叩く。


「ばっかだなぁ、海斗君。君、悠弥君に踊らされすぎ。どうせ彼のことだ。僕が変態だとかなんだとか言ってたんだろう? 知ってるよ」


 そうやって笑っている猫ヶ谷は、あまりに僕の見ていた印象とは異なっていて、なんだか面食らってしまった。笑いながら、僕の仲間である悠弥を冗談交じりにこけ下ろす彼の口調は、まるで親しい友のようで……


「ったくあいつはしょうがないなぁ。悠弥はね、昔っからああだったんだよ。投獄だって、ほんとはしたくなかった。でも、僕しかあいつの悪いところを知らなかったから。手癖、悪いだろあいつ」


 その通りだった。僕は苦笑いしながら頷く。


「昔からって?」


「ああ、中学が一緒でね。知らなかった?」


 初耳だった。というか、悠弥からはそんな様子はまったく感じ取れなかった。だって、彼も猫ヶ谷の本性をスパイで忍び込んでから知ったみたいな口ぶりだったからだ。まさか、からかわれていた?


 でも、猫ヶ谷のこの反応は、どういうことだ?


「ああそうだ、銀髪の彼女のことか。僕もね、解放してやりたいんだ。でも体面もあるからね。少しだけは拘束させてもらうよ」


 少しだけ――それは猫ヶ谷なりの譲歩だったのだろうか。確かに現実的で、それも僕にとっては利益の方が大きい高待遇だ。

 でも、それじゃ遅い。

 僕とユーリカは、この戦いに乗じて元の世界に帰る必要があるんだから。


「あ、あの、それだと少し、困るんです」


「……今すぐ解放して欲しいと?」


 猫ヶ谷の声は、未だに笑いが含まれている。

 気さくな感じに、僕の肩を組みながら対応してくれるのだ。


「わかった!」


 そう言って、猫ヶ谷は肩から手をどけて、デスクの上に乱暴に座った。本当に、今まで僕の目の前にいたのは猫ヶ谷だったのだろうか。それとも、こっちの猫ヶ谷が偽物なのだろうか。僕には、判断ができなかった。


「海斗君が、僕の言う通りに動いてくれたら、その条件を飲もう」


 言う、通りに?


「なにを、すれば?」


「おいおい、それを今、訊くのかい? 条件を出してるのは僕の方だよ。君はどうしても頷かざるを得ないわけだ。だから今、君がリーダーである僕に対して取るべき反応は、復唱することだ」


 そう言って、猫ヶ谷はからだを後ろに倒して、デスクの引き出しから一枚のコインを取り出して僕に投げた。なんの変哲もない、ゲーセンのメダルだった。


「契約の証だよ。さあ、言って?」


 良くわからないけれど、猫ヶ谷はどうやら僕の条件を飲んでくれるらしい。そうだ、いくら彼が怪しいとは言え、僕には猫ヶ谷の条件を飲まざるを得ない状況にいるわけだ。だから例えどんなに無理なことを課されようとも――頷かなければ、ユーリカを無事に救い出すことはできない。


 それに、猫ヶ谷も体面があるはずだ。

 いくらなんでも僕に無理を強いることはないだろう。


「僕は、あなたの言う通りに動きます。だから、彼女を解放してください」


 そう言って、勢い良く頭を下げた。

 猫ヶ谷の反応はわからない。それでも、頭の上に彼の手が優しく添えられたから、僕はふと顔を上げて猫ヶ谷の微笑む顔を見た。


「解放しよう。それで、君が飲む条件だけど」


 猫ヶ谷は僕に牢の鍵を投げた。牢と言っても、僕の部屋や隣の悠弥の部屋と同じような格子のシャッターで作ったお粗末なものだ。

 だからこの鍵は、どちらかと言うと通行手形のようなもので、持っていれば監視の奴らにも疑われることなくユーリカを救出できる。


「はい、なにをすればいいでしょうか?」


 猫ヶ谷は小さく笑って、優しい声で僕に言った。


「いつもみたいに、君には先陣を切って欲しい。いいかな?」


 だからその条件は、あまりにも予想外で。

 僕は、彼に頭を下げていた。


「任せて下さい」


 こんなことくらいで、ユーリカを解放してもらえるなら安いものだ。猫ヶ谷のことだから、また戦争に乗じて僕の死を願っているのかもしれないけれど、そんなことはどうでもいい。

 なぜなら僕は、ユーリカからお墨付きをもらった不死身なんだ。


「じゃあ、君の妹を救ってあげな」


 頷いて、僕はユーリカが捕らえられている牢へと向かう。

 その途中、なんだか背筋に氷を投げ入れられたような、そんな嫌な感じが全身を貫いた。まるで、誰かに見られているような、気味の悪い感覚。


 あれ……そう言えば、猫ヶ谷の最後の一言。


「僕、妹なんて、言ったっけ……?」

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