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29『苦手なもの』

 悠弥の話は、僕らの間に不穏な空気を漂わせた。本人はそれ以上なにも告げず厨房に行ってしまうし、残された僕らのうち、なずなは猫ヶ谷に話してくると言って部屋を出て行ってしまった。


 美鈴さんと、ユーリカと、僕だけが部屋には残され、なんだか声をあげたら負け、のような空気に支配されている。それでも、ここでなにもせず突っ立っているわけにはいかないだろう。

 僕が、と口を開けようとした直前、美鈴さんに先んじられてしまう。


「私も、ちょっと部屋に戻るね」


「美鈴さん……」


 気の優しい彼女のことだ。久しぶりに再開できた僕ら兄妹に、水入らずの時間を与えてあげようとでも考えたのだろう。美鈴さんの提案は、寂しくはあったけれど、助かったのは間違いない。


「じゃあ、またね海斗君、ユーリカさん」


「うん。また」


「ありがとうございます」


 察したユーリカのお礼に、美鈴さんは気の抜けた微笑みを見せて頭を下げた。悠弥の発言が尾を引いているのだろう。このまま、一人にしても大丈夫かなと、ちょっとだけ心配になった。


 だけど、彼女の背を追うのはまだ早い。

 僕にはやらなければならないことがあるからだ。


「私が」


 と、ユーリカがため息混じりに言った。


「もう少し、早く戻ってきていればこんなことには……」


 三ヶ月も僕を放置していたことと、その期間が長すぎたことに自責の念でも感じているのだろう。ユーリカは明らかに落ち込んでいた。


「そんなことはないよ。でも、ユーリカもあの屋上からやってきたんだったら、占拠されていることに気づいたんじゃなかったの?」


「私がこの世界に降り立ったのは三日前です。確かに、学校には人の気配は感じられました。でも、拠点にされるような規模ではないですし、心配はしていませんでした。私の目……能力は、もといた世界においてでしか機能しないんです。だから、悠弥さんも仰っていましたが、きっと拠点が確立したのはほんの二日前か、それくらいのことでしょう。あのときにいた人影も、恐らくは調査のために派遣された部隊だったのかもしれませんね」


 臨時拠点程度であれば、組み立てるのにそう時間はかからないだろう。なにせ建物はあるのだから、突貫で人員を運び込み物資を導入するくらい一日もかからずにできるはずだ。


 だけど、三日前か。ユーリカのことを責めるつもりはないけれど、本当にもう少しだけ早ければ無事に帰れたかもしれない……って、三日前?


「え、ちょっと待ってよ、三日前って、ユーリカ、三日間なにしてたの?」


 僕が問うと、彼女は恥ずかしそうに顔を逸らした。僕はそんな彼女を辱めることを訊いたのだろうか。だって、学校からこの拠点まではたっぷり時間をかけても半日もあれば到着する。だからユーリカはその三日間、なにか道草を食っていたということになるのだけど、三日もなにをしていたのか。


「……わ、私はですね、苦手なものが三つあります。好き嫌いはしないタイプですから、食事関係ではありません。一つは、人の死です」


 ……重い。

 いったい彼女は僕になにを伝えようとしているのだろう。


「二つ目は、虫です。私が最初に創り出した世界にあんな気持ち悪い生き物はいませんでした。できることなら虫を生み出した世界の根源をぶち壊してやりたいくらいです。その結果、多くの世界が崩壊しようと知ったことではありません。すべて、あの気色悪い生き物が悪いんです」


 ひどい言い草だった。多世界を観測できる彼女ならではの、スケールのでかい文句だった。ていうかその論理でいくと僕のもといた世界も死ぬじゃないか。できたとしても、絶対にやめてくれ。


「三つ目は、その、せ、世界は広すぎますよね?」


「三つ目の話じゃないの?」


「で、ですから、世界は広すぎるんです」


 意味がわからない。それ、苦手って話じゃなくないか?

 口のうまいユーリカが珍しくどもっている。なにかをひた隠しにしているのか、大げさに身振りまでついていて、早口になっている。


「広すぎる世界が、三つ目の苦手です」


 僕はようやくその発言で、ぴんときた。


「つまり、方向音痴ってこと?」


「ちちち違います!」


 間違いなく真実のようだった。

 こんな慌てているユーリカを見るのはなかなかないだろうと、僕の中でゆっくりともたげてくる悪戯心。


「じゃあ、なに?」


「えっ、その、それはですね」


「方向音痴じゃないなら、どうして広い世界が苦手なの?」


「うっ、せ、そ」


「三日間、なにしてたの?」


「ぐ、う、ううううううううう……」


 あっ。

 気づいたときには、もう遅かった。どうやら僕は、彼女のことをいじめすぎたらしい。ユーリカの目にはたっぷりと涙が溜まっていて、頬はぷっくりと膨れている。顔は真っ赤だし、つついたら破裂してしまいそうだ。


「ご、ごめん! 悪かったって!」


「か、海斗さんなんか……嫌いです~~~!」


 叫びながら、ユーリカは部屋を出て行ってしまった。正直、ちょっとやり過ぎたと思わなくもない。でも、きっとあの慌てっぷりは見たくても見られるものじゃないだろうから、損はしていないとポジティブに考えることにした。この思い出は、一生モノの宝だ。


 ユーリカにはあとで謝りに行こう。

 それと、お礼も。


「おかげで、ちょっと気分が楽になったよ。三日間は、さすがに方向音痴過ぎるとは思うけど」


 誰もいない部屋で、ひとりごちる。なにごとも、ポジティブに考えればいいんだ。もし、僕がもっと早くにもとの世界に帰ってしまったら、今回の戦争に参加することはできない。もしかしたら、僕が死ぬ代わりに、いや死なない代わりに、他の誰かが死んでしまう可能性だってあったんだ。


 なら、いいじゃないか。

 僕はその誰かを助けることができた。


 だからまずは、あいつと話をつけなければならない。

 嘘を見抜くことのできる、知りたがりの男と。

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