26『真実』
「連れ戻しに来ました。あなたの、世界に」
ユーリカは、僕らが初めて会ったときと同じ、そして美鈴さんと同じ僕らの学校の制服を着ていた。銀色の髪は、こんな荒廃した世界において汚れ一つなく、きれいな状態を維持している。
いや、そんなのは、もはや些末事だ。
問題なのは、なぜ彼女は素顔を晒していながら平然と生きていられるのか。
「ユーリカ、お前、ウィルスは」
「お前……ふふっ、なんだか、男らしくなりましたね」
僕とまともに会話する気がないのか、それとも本当にウィルスのことを理解していないのか。それにしたって、こうして平然と生きていられるのはやはり異常ではないだろうか。僕は、例外として能力があるから良いものの、彼女にそんな能力なんて……
「……逆、なのか?」
「ええ、ご名答です」
そうだ。逆なんだ。
僕とユーリカは、この世界の人間じゃない。そして、僕が今まで能力だと勘違いしていたウィルスへの耐性は、ただ違う世界の基準だから当たり前のようにウィルスは僕らのからだを破壊しなかっただけ。
部外者は、ウィルスによって蝕まれることはないんだ。
「ゾンビのような能力も、決してウィルスによって生まれた超能力なんかじゃない。ただ、《ルール》上、あなたがこちらの世界で死ぬことはありえないだけです。あなたが生きるべき世界はここではないように、あなたが死ぬべき世界もまたここではないのですから」
「そん、な」
いくつも疑問が噴出してくる。どうして、お前はすべてを知っているのか。どうして、僕をこの世界に送り込んだのか。どうして、いまさらになって連れ戻しに来ようと思ったのか。
だけど、言葉は一つも出てこなかった。
耳元で声を上げ続けている、美鈴さんが、気がかりだったからだ。
『海斗君!? 大丈夫!?』
「……ごめん、美鈴さん。僕は大丈夫だから、ちょっと、通信切るよ」
『え、ちょっと待って、なんかさっきから女の声が――』
ごめん、美鈴さん。
僕は通信を一時的に切ってから、再度ユーリカに振り返った。
「さっきの、話だけど」
「わかりやすい例えをしましょう。あなたはプログラミングされたデータです。朝桐海斗という、キャラクターです。あなたはもともと、Aというゲームの中にだけ存在していました。しかし、誰かが――ここでは、私としておきましょう。あなたのデータだけを取り出して、Bというゲームに入れてしまった。もちろん、なにも手を加えずに、です」
Aというゲームが、僕がもといた世界で。
Bというゲームとやらが、今いるこの世界のことだろう。
「すると、どうなるでしょうか。当然、あなたは正常に機能しません。なぜならあなたは本来、Aというゲームに合わせられて作られたキャラクターだからです。Bというゲームにおいては、あなたはBというゲームの常識、つまり《ルール》であり、この例に即せばプログラミングコード、ですか、それに則った存在ではない。だから、バグが生じる」
僕はつまり、この世界の《ルール》を遵守しない逸脱者。
それこそまさに、チートによって生み出された存在だ。
「このバグ、つまりズレが、あなたに超常的な能力を与えた。ウィルスによって死なない、あらゆる攻撃によっても死ぬことはない……なぜならあなたの存在は、Bというゲームに本質的には存在していないから。確かに、あなたのあらゆる情報はすべてBというゲームに存在します。記憶や、肉体、知識など。ですが、それらはどれも情報、Aというゲームに即してプログラミングされたデータでしかない。Bというゲームには適応しておらず、ただ、虚構のような存在として彷徨っている……それが、あなたです」
待ってくれ。
じゃあ、つまり、この世界にいる僕は、もといた世界にあった僕の情報だけを現実化した、偽物の存在ってことか?
「僕が、死なない理由って、つまり、その、こっちの世界では《生きて》いないから?」
「かなり簡潔に言えば、そういうことになりますね」
「じゃあ、僕はなんだよ」
「朝桐海斗さんです。それは、間違いありません。情報が正しければ、それは紛いもなくあなたです。ただ、その情報が実体化していないというだけのことです。さっきの例で言うならば、あなたはこの世界においてキャラクターとしての存在を確立していない。この世界、つまりBというゲーム内で、ゲームのプログラムとしては確かに存在しているけれど、実際にプレイしてみるとあなたというキャラクターは存在しない。そういうことです」
なんとなく、ユーリカの言っていることが理解できた。
オタクの端くれとして、僕もプログラムを齧ったことがある。全然、上達しなかったけど、簡単なゲームくらいは作ることができた。
そのゲームを作るとき、確かに僕はゲームのプログラムには書いたはずなのに、いざ起動してみるとそのプログラムが実行できないことがあった。原因は、コードの打ち間違えとか、そんな些細なことだったけれど、つまり今の僕はその《打ち間違えられたコード》のような存在だということだ。
「ユーリカ、じっくり説明してくれ」
僕は地べたに腰を下ろした。ユーリカもまた、僕に並んで座る。
「……この世界は、月がきれいですね」
「排気ガスなんて、もうあんまり使われないからね」
「海斗さんが望むのも、理解できます」
「……やめてくれよ。それで、その話についてだけど」
ユーリカは再び話し出した。僕は、すべてを知る。この世界がどうやって生まれたのか、じっくりと、前みたいに簡単な話じゃなくて。
「海斗さんは、聖書の創世記って、読んだことありますか?」
「……ええっと、旧約聖書、だよね」
ユーリカは頷いた。読んだことは、ある。でも、内容もうろ覚えで、正直なところ読んでいますと胸を張って言える自信はない。
「なんだっけ、神はなんとやら、って言ったら、世界ができるみたいな」
「その通りです。神は「光あれ」と言われた……すると、光があった。そんな具合で、神様は空を、陸を、海を創っていった。これと同じ具合です。この世界、いいえ、あらゆる世界。私はそれを多世界と呼びました。この宇宙に数え切れないほどある世界は、もとは一人の妄想によって誕生したんです。どうして、その一人目が誕生したのかは、わかりません。でも、確かにその一人が、いくつもの世界を考えて、創りあげた。まったく、触れることのできない、頭の中の妄想という形で」
そんな、この世界のあらゆる歴史を吹っ飛ばすような荒唐無稽にもほどがあるくらいの説明を、真剣な面持ちでユーリカは始めた。
「すると、その妄想は宇宙において世界を生み出した。そしてその世界に暮らす人々は、最初の一人と同じように妄想を繰り返す。するとまた、世界が生まれていく。もちろん、世界を生み出すほどの妄想にはある程度の精密さが要求されますから、誰しもができることではありませんよ。多くは、作家とか、哲学者とか、そう言った方々ばかりでした。それでも、世界はねずみ算式に増えていくわけです」
「じゃあ、僕のいた世界も」
ユーリカは頷いた。
「他の世界の誰かが、妄想した世界です」
まさか、そんなバカな。
今までの僕だったら、この世界に来るまでの僕だったら、そんなのは冗談だと笑って済ませられた。
でも、今はもうできない。
この世界で、普通ではない経験をしてしまったから。
「だけどそれは、なにも問題はなかった。あなたのいた世界は、あなたのいた世界のまま、普通に動いていた。世界同士は、例えば世界大戦などが起きて、一つの世界が異常なエネルギーを放出した場合においても、他の世界における影響力はそよ風が吹くという程度だった……あなたが、生まれる前までは」
そうして、ようやく僕の名前が登場する。
「あなたは、高校生活の内、多くをあの開かない屋上で過ごしていました。開かないっていうことは、あの中にある本当の屋上をあなたは見ていないということであり、また、無数の妄想ができるということでもあります。実際に、あなたはあの屋上に対し異常とも言える羨望を抱いていた。日々、屋上から始まるいくつもの物語を夢想していた。この世界も、その一つ。思い出せますか? あなたは、この世界を考えたとき、主人公としてのあなたはどこにいましたか?」
そんなの、思い出すまでもない。
決まっている。
「屋上だ。僕は、屋上で寝ていたんだ。そうしたら、教室中がパニックになって、大人が死んでいって、眼下の景色には、交通事故だとか、飛行機の墜落とかで、世界がおかしくなっていくのを、目にして」
「そうです。あなたの妄想の始まりは、すべてあの屋上だった。開かない屋上に対して、ずっと、ずっと妄想を続けていた。それは日々移り変わり、数え切れないほどの妄想があの屋上で繰り広げられていた」
ユーリカの言い草だと、まるで僕は異常者のようだった。確かに、屋上に対しずっと憧れはあった。高校に入って、屋上に行けないということも相まって、僕はあの屋上に今まで以上の妄想をしていたのかもしれない。
「現実では、屋上を見ることはできない。それが、なおさら海斗さんの妄想を加速させた。問題は、その妄想の始まりがすべてある一つの、《特定の屋上》だったことなんです。誰しも妄想はします。だけど、その妄想はほとんどがぼんやりとしていて、不特定です。でも、あなたは違った。かなり精密な妄想を、それこそ、世界がいくつも誕生し得るレベルの妄想を、あの一つの屋上を舞台に繰り広げていた」
「それで、亀裂が」
「はい。宇宙も空間ですから、キャパがあります。ねずみ算式に増えていったとしても、この先、数百万年は持つくらいの許容量はありました。ただしそれは、世界という単位で見た場合です。いくつもある世界の内の一つ、その中のさらに特定の場所、屋上ともなれば、空間もずっと小さくて……海斗さんの、異常なまでの妄想が、その空間に亀裂を入れてしまった」
異常なまでの、妄想……
やっぱり何度聞いても、バカにされているとしか思えない。
「そうして、あの屋上を起点として、あなたの妄想によって生まれた世界がすべて繋がってしまった。この世界は、海斗さんがうろ覚えだったように、かなり過去に生み出された存在だからまだ干渉が薄いです。でも、恐らく遠くない内に、この世界も海斗さんの生み出した他の世界と衝突します」
「衝突したら、どうなるんだ?」
「最悪なのは、消えてしまうこと」
「なっ――」
消える、だって?
美鈴さんも、なずなも、悠弥も、みんな、消えるってことか?
「憶測ですよ。なにせ、私もこんな事態は初めてです。対処方法だって、全然わからなくて、その結果が、これですから」
「これ、って」
ユーリカは、僕に頭を下げた。
「ごめんなさい。あなたが、こっちの世界で、現実を突き付けられれば、今までの妄想が取り消されると思っていました。だから、あなたをこちらの世界に送り込んだ。でも、なにも変わらなかった」
そうか。きっと、ユーリカは世界の衝突を回避しようと、僕から妄想を奪おうとしたんだ。こっちの世界で、痛い目に合えば、今までの妄想を取り止めるだろうと……確かに、僕はその通りになった。いまさら、もうこんな酷い世界を生み出そうなんて思わない。
その点では、ユーリカの試みは成功していた。
「このままじゃ、駄目なんです……私が、あなたに酷いことをしたのはわかっています。でも、このままだと多世界が、宇宙が、おかしくなってしまう。まだ、あなたの妄想した世界だけが異常を来たしているけれど、これがすべて衝突したとき、きっと尋常じゃないエネルギーが生まれる。そのエネルギーが引き起こす大災害を、私は、想像することもできない」
「……ぜんぶ、僕が、原因なのか?」
「ちっ、違います! いえ、違う、わけじゃないんですが……」
ユーリカは、必死に気を遣ってくれているのだろう。だけど、彼女の発言を聞いた上で判断するならば、あらゆる原因は僕の妄想だということになる。バカみたいにくだらない妄想ばかりしていたせいで、世界がヤバい。
アホくさい、三文小説よりもずっと酷いオチだ。
だけど、これはすべて現実なんだ。
なんとかしなければ、この世界に生きているみんなが消えてしまう。そんなの、絶対に嫌だった。特に、美鈴さん。彼女を失うことだけは、なにがあっても防がなければならない。
だから僕は……
「ユーリカ。僕は、君に協力する。でも、その前にもう一つだけ、質問があるんだけど、いいかな」
ユーリカは頷いた。
だから僕は、訊ねた。
いったい、どうして君は世界を救おうとしているの?
ねえ、君は、何者なの――?
「私、は」
銀色の髪を揺らして、顔を上げる。
彼女は僕を見て、辛そうな表情を湛えながら、言った。
「私は、多世界を生み出した、最初の一人です」




