22『罪と罰』
「そんなの、賭けって言わない! 僕は、別に君たちのことを猫ヶ谷に報告しようなんて思ってないよ。だから、早まらないでくれ」
からだを引きずって、両足の置かれている部屋の端まで床を這っていく。手首が接着した直後だからだろうか。床に腕をあてるたびに、染みるような痛みが走る。
「そういう問題じゃないの。私は、もうこの賭けに負けたら死ぬって決めていたから。あなたには関係ない話よ」
そう言って、女の子は部屋を出て行ってしまった。
「外に出たら――」
「あのさ、君、名前、なんていうんだっけ」
てっきり、一緒に出て行くかと思っていた男は壁に寄りかかりながら、未だガスマスクを着けたままで僕に話しかけてきた。
「……朝桐だよ。お前は、あの子を助けなくていいのかよ」
「朝桐君か。ねえ、君はさ、好きな子っている?」
突拍子もない話題に、露骨に顔をしかめてしまった。なんでこの状況で、しかも出会ったばかりの男と恋話に花を咲かせなければならないんだ。
「僕にとって、あの子がそうなんだよ」
「……そ、それなら、なおさら」
いきなりの告白は、当人には聞こえない。てっきり二人は付き合っているものだと思っていたから、彼の発言は驚きだった。
「でも、彼女は想い人がいるんだ。その相手は、他のコミュニティにいるから世界がこんなになってからは一度も会えていないみたいなんだよね。外を出るにはガスマスクが必要だし、それ自体が貴重品だからうちのコミュニティでもしっかり管理されていて手を出せない」
男はマスクを外した。彼もまた、僕が食事を手渡したうちの一人だった。
「だから、こんな賭けをするしかなかったんだ。だから、僕は彼女の手助けをしたまでだよ。能力的にね、あの子じゃ誘拐は無理だったから。僕の触れたものにかかる重力を減らす能力……と言っても、かなり微々たるものだけど、男一人くらいなら担ぐこともできる」
それじゃあ、あの子の能力が僕の両手を切ったりするような攻撃系の力なわけだ。仲良く誘拐を試みたものの、この男はただうまく使われていただけということだろうか。叶わない恋を求めて――どうして?
「噂がガセっていうのは、本当かい?」
「ああ。いや、実際に試したことはないけれど、でもたぶんそんな付加効果はないはずだ。あったら、それこそ」
チートじゃないか。
この世界のルールを根底から覆す、最強の能力。
「そうか……ねえ、僕の選択は、アホらしいと思う?」
「ああ」
即答できた。例え、相手が好きな子で、その願いが叶わない場合は死にたいと願っていたとしても、僕ならそんなことは許せない。
「お前は、それで幸せなのか?」
いっこうに振り向いてくれない彼女が、他の相手のことを想ったまま死んでいく。そんなの、僕は絶対に嫌だ。確かに、モテない男の気持ち悪い諦めの悪さなのかもしれない。あるいは、主人公としてヒロインが確定している存在であることに自惚れているだけなのかもしれない。
現実は、もっと非情であることを理解している。
でも、僕だったらと考えずにはいられない。こんなアホくさい賭けに身を投じるよりも、もっとベストな解決策があるはずだと信じたい。
ただそれは、この世界だけのこと。僕にとって、フィクションであるこの世界だからこそ考えられる思考なんだ。現実だったら? 言うまでもない。好きな子なんて、いるだけ無駄だと、はなから諦めているはずだ。
「幸せだって言ったら、引く?」
「……どうして?」
理解ができない――わけがないだろ。
そうだよ。僕は、彼だった。好きな子がいても、その子とただ一緒に話せるだけで良かった。中学の頃にいた好きな子も、クラスのイケメンと付き合って、それを僕はただ眺めているだけだった。
頼まれたことは全部やっていた。それが結局、都合よく利用されているだけだとわかっていても、僕にとってはそれで良かったんだ。
「僕はもう、別にいいんだよ。この世界で、ただ一人、信じられるのは彼女だけだった。だから、あの子が他に好きな人がいたって、どうでもいい。むしろさ、君の噂がガセで、彼女が死んでしまったとして――それで、僕が後を追って死んだら……また、会えるだろ?」
「そん……な」
そんなのは、倒錯している。
だけど、思ったことは声に出すことができなかった。
わかるから。
彼がどれだけ思い悩んで、どれだけ辛い思いをして、そして最後まで叶うことになかったこの恋をどうして、僕が否定できるだろうか。
「そろそろ、僕も行くよ。ありがとう、話を聞いてもらえて嬉しかったよ」
「なあ!」
男の足元から、徐々に視線を上げていく。見上げて、しっかりと彼の目と僕の目を合わせてから、訊いた。
「もし、お前の目の前にいる男が、この世界を創り出した張本人で、そいつは今ものうのうとこの世界で主人公として、恋をして、幸せの絶頂で生きているって知ったら……どうする?」
彼はなんだかわけがわからないと言ったふうに、首を傾げた。
それでも、僕に話を聞いてもらったお礼とでも思ったのだろうか。少しだけ考えるような素振りをしてから、真摯に、微笑みながら答えてくれた。
「末代まで、呪うよね」
そして彼は部屋を出て行った。
残された僕は、それから五分も経たずに足を手に入れ、両足に接合した。歩けるようになるまで、また五分。まだ痛む足に力を入れて外へ出ると、そこには二人の男女が倒れていた。
「ああ……」
伸ばした手のひらに、ぽつりと水滴が落ちてきた。
雨だ。
雨の冷たさは、きっと僕への――罰だ。




