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13『物資調達作戦』

「しっ、いいから黙って、目を、瞑れ」


 すでに夜は更けつつあって、黒の帳に包まれた空間――《山猫の集い》からニキロも遠く離れたビルの一角で、なずなはガスマスクを外したまま僕よりほんの少しだけ低い身長をぐっと伸ばして、顔を近づけてきた。


「なっ、なずな、なななな、なにを」


「ふっ、『な』って、何回言ってんだ、お前」


「だって、こんなこと、ぼ、僕は」


「目を瞑れって、言ってるだろ」


 なずなのハスキーが混じった低い声が、冷えきった頬を撫でる熱い吐息が、すべて僕を動揺させる。

 麻薬的だ。

 いったい、彼女は、なにを。


「頼むよぉ、海斗。お願い、だからさ」


「な、なに、が?」


 なずなは僕を見上げて、本当に小さな声で、呟いた。


「美鈴に、悪いのはわかってるから」


 だから。

 そうなずなは前置いてから、続ける。


「一瞬だけで、いいから」


 そんな、そんな反応をされたら、僕は。

 僕は、なずなの言う通り、目を、瞑った。





 入団が仮決定した直後、猫ヶ谷は休む時間すら与えてくれなかったくせに仕事だけはしっかりと押し付けてきやがった。詳しくは駅の入り口で待っているなずなに訊けと言うのだ。なんという責任放棄。


 プラットフォームに集まっていた《山猫の集い》メンバー、もとい猫山学園の学生たちは、総勢で三百人程度だった。猫山学園と言えば幼稚舎から高等部まで存在するれっきとした名門進学校だ。全校生徒の人数なんて、高等部だけでも四桁はくだらないだろう。

 なのに、そこにいたのは幼稚舎から高等部まで合わせて、年齢層もバラバラな三百人ほどの学生たちだった。


 足りない。僕はその疑問を、駅前で落ち合ったすでにガスマスク装着済みのなずなに率直に訊ねることにした。

 なずなは「そりゃそうだ」と、明らかに声のトーンを一つ落として、マスクのせいでくぐもった声を出して言った。


「あたしらがここに来るまで二週間。来てからは、もう二ヶ月が経つ。わかるだろ。たった二ヶ月とちょっとで、世界はこんなにもおかしくなったんだ。誰でも、いつでも、どんなところでも、簡単に命を落としてしまうような、そんな世界にね」


 ごもっともだ。

 しかし、僕が顔には出さないよう努力はしたものの驚いたのは、まだこの世界が二ヶ月とちょっとしか経っていないという事実だ。夏休みかそれくらいの期間で、彼らの世界は一変してしまった。


 内気そうで可憐な少女がナイフを振り回し。

 男勝りな喋り方の女の子が銃を突き付け。

 部活に打ち込んでいた青年は首を落とす。


 そんな、あまりに汚れきった世界が、ここなんだ。


「他のコミュニティは、同じように」


「まずさ、ずっとガスマスクを付けてるわけにもいけないしな。マスクだって同じのずっと使い続ける馬鹿いないだろ? それと同じで、フィルターとか吸収缶とか、交換しないといけないんだ。だから、もし二ヶ月も生き残ることができたコミュニティがあるとすれば、それはあたしたちと同じ。どこかできるだけ密閉された空間で、早めに死体を処理して、ウィルスの散布を免れた優秀なコミュニティだけってこと」


 そうなのか。てっきりガスマスクなんてずっと付けてられるか、あるいはそれでもかなり長期の持ちをするイメージしかなかった。


「で、あたしたちのお仕事は、それ」


「ガスマスクのフィルターやら、吸収缶やらの収集」


 なずなは満足そうに頷いた。


「でもそんなのどこにあるの?」


「ちょっと前までは、病院にもドラッグストアにも用意があったし、自衛隊とか外国軍の基地に行けば腐るほど置いてあったけど、今は違う。同じことを考えた奴らが早い者勝ちと言わんばかりに取っていったから、残りはみんな誰かの元にある」


 ガスマスクがなければ外に出れないのならば、誰だってありそうなところを漁るだろう。結果、すでにそのありそうなところにあったフィルターや吸収缶は誰かの手に、つまり他のコミュニティにしか残っていないことになる。だから僕たちはこれから他のコミュニティに行って……


 ん? 行って、どうするんだ?


「そう簡単に受け渡してくれるのか?」


 僕が問うと、なずなは呆れた顔をしつつ言った。


「なわけないだろ。奪うんだよ」


 唖然とする僕にガスマスクを念のためと言って持たせ、なずなは先に地上に出てしまった。急いで後を追うと、階段の上から振り返ったなずなが言った。


「一応、マスクはしとけよ。お前がいくらウィルスに効かないとは言え、他の奴らから見たらその存在は異常だからな」


 焦りつつもガスマスクを装着すると、思いのほか息苦しいことがわかった。ていうか、重いし、こんなんで俊敏な動きをしていた佐倉さんはやっぱり別世界の人間なんだなあと染み染み実感する。


「でも、奪うったって、どうやって?」


 なずなは微かに笑みを湛えて、小さな声で呟いた。


「あたし、今から行くコミュニティにも所属してるから」





 なずなはスパイだったと言うわけだ。《山猫の集い》の。

 だから、と言ったらいいのだろうか。人影が見えたと言って僕を引っ張り隠れたなずなが、いきなり迫ってきたときも疑いの心が消えなかった。


「なっ、なずな、なななな、なにを」


「ふっ、『な』って、何回言ってんだ、お前」


「だって、こんなこと、ぼ、僕は」


「目を瞑れって、言ってるだろ」


 目と鼻の先にあるビルの数部屋をコミュニティ《白銀の城壁》は根城にしているらしい。明かりを点けると怪しまれるからと言って、なずなは僕と二人しかいないビルのエントランスでライトを消した。このビルもまた密閉されていて、敵のコミュニティの一つらしい。この時間帯は人がいなくなるのだそうだ。だから、外に比べるとウィルス含有量も少なく、一時的であればガスマスクも外せるのだと言う。ようやく、この重たいマスクを外せると思うとずっと気が楽になった、と思った矢先にこれだ。


 真っ暗な部屋の隅っこで、なずなは僕を壁に押し付け、迫ってきている。


「頼むよぉ、海斗。お願い、だからさ」


「な、なに、が?」


「美鈴に、悪いのはわかってるから」


 どうしてそうなる。叫びたい気持ちを抑え、息を飲んだ。そんな小さな音ですら、僕らだけのエントランスには大きく響き渡る。


「一瞬だけで、いいから」


 どうして、今?

 目の前に《白銀の城壁》の基地があるんだろう? だったら、まずは奪う物を奪ってからの方がいいはずだろう。

 なのに、こんな。


「だっ、だめっ――」


 なずなの顔が迫る。僕はぎゅっと目を瞑り、なずなに身を任せた。


「ごめんな」


「は――?」


 直後、強烈な一撃が腹部に走り、吐き気が込み上げてきた。堪らず嗚咽が漏れ、床に膝を付いてしまった。


「なず……な?」


 顔を上げると、そこには憂いに帯びた表情をしたなずなが、懐中電灯を振り上げているのが視界に入って。

 僕は、意識を失った。

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