【猫塚にて、虐待の事情】第2話 奇行に走る少年
佐賀県の中南部に有明海の干拓地と干潟に面した町がある。
夕方頃、とある公営団地で小学生高学年と思われる子どもたちがざわついていた。
建物のデザインやくすんだ塗装の色から見ても数十年は経っているだろう、階段はところどころコンクリートが欠けている。
3階の踊り場から一人の少年が上半身を乗り出すように地上を見下ろしていた。
そんな彼を心配する声が静かな団地に響く。
「アキラくん、止めときって」
「そんなことしたら捕まるばい」
数人の男の子が、不安そうに下から見上げながら叫んでいる。
「まあ見とけって!ぜったいおもしろかけん!」
アキラと呼ばれる少年は、両手でちょうど抱えられるほどの大きさのダンボール箱を持ち上げた。
するとその箱をグルグルと何度も回転させて、3階から地上に落としたのだ。
ドン グシャ
そんな音がした。
「ヤベえ。ヤベえよあいつ」
地上で落下を目の当たりにした男子たちから声が漏れた。
トントントン
意気揚々といった表情で階段を下りてきたアキラは、つぶれかけたダンボール箱に駆け寄った。
箱の中を覗いたところ、1匹の子猫がふらふらと這い出てきた。
「ちぇっ、まだ生きとうけん。ぢごぐらい出とるかと思うたとに」
アキラが瀕死の子猫を箱に戻して、また階段を上ろうとしたので、男子たちが血相を変えた。
「もうやめりって!」
「祟られるばい!」
彼らは必死にアキラを制して、子猫を箱から出して草むらに離した。
日が暮れ始めて、あたりは薄暗くなってきた。
「俺、もう帰る」「俺も」「じゃあな」
皆、その場から逃げるように去っていく。
「どいつもこいつも、付き合いが悪いっちゃけん」
アキラもぼやきながら、公営住宅の別棟に向かってとぼとぼと歩いて帰った。
□夢の中で呼ぶ声
「こちらへおいで…こちらへおいで…」
「誰……誰なの?」
「こちらへおいで…こちらへおいで…」
「うわぁー」
自分の叫び声で目が覚めた。まだ春先というのに、寝汗でパジャマがベタベタしていた。
変な夢だった。暗闇の奥から女性と思われる声が聞こえてくるのだ。
声の正体がわからないだけに怖さもあるが、その響きはおどろおどろしいものではない。どちらかといえば懐かしい感じがした。
そんな夢を見たのは、昼間に部室で化け猫騒動の話を聞いたからかもしれない。
それに「猫塚」や「猫大明神」の名前が出てきた途端に心がざわめいたのも気になる。
「よし!呼ぶんだったら、行ってあげようじゃないの」
覚悟さえ決めれば、不安も薄れるものだ。もう一眠りすることにした。
☆
土曜日の朝、迷惑とは思いながら里中部長に連絡したところ、どうしても外せない予定が入っているという。
その代わりに、万代先輩へ話を付けてくれた。
「万代くんだったら、化け猫騒動や猫塚のことにも詳しいから頼りになると思うわ」
「ありがとうございます。すみません、朝から急にお願いして」
「いいのよ。でもこれは歴研部員としての活動だということを忘れないでね。あとできちんと報告してもらうからそのつもりで」
「はい、もちろんです」
歴研部部長・里中光代。優しくて器の大きさを感じさせながら、一本筋が通っているからなおさら魅力的だ。
☆
万代先輩によると鹿児島本線で鳥栖駅まで行き、長崎本線に乗り換えて佐賀駅経由で肥前白石駅まで向かうらしい。
新入生の私にとって2年生の万代幸佑は先輩にあたる。しかし出会ったときに立ち小便をしていたため、心に引っ掛かってリスペクトできず「万代さん」と素直に呼べない。
かといって彼の一風変わった性格は嫌いではない。その結果、口に出して呼ぶときは「万代先輩」や「先輩」だが、心の中では「万代くん」となってしまう。私の一方的な感情だが、そんな複雑な間柄なのだ。
肥前白石駅までは乗り換えもあって苦労したが、白石駅から目的地の猫塚がある秀林寺までは歩いて10分程度で着いた。
「猫塚の由来」と書かれた立派な案内板が建っており、その横に思ったよりも小さな祠があった。その中に「七つ尾の猫」が彫られた石が祀ってある。
「これね」
「ああ、化け猫の祟りを鎮めたにしては小ぶりだけどね。七つ尾の猫はどこか迫力がある」
私が拍子抜けしたように見えたのか、万代くんはいつになく饒舌に解説した。
その時だ。ふと気づくと、私たちの横で男の子がぶつぶつ言いながら猫塚を眺めているではないか。
その姿を見てぎょっとしたのは私だけではなかったようだ。
「まずいな。この子、取り憑かれてるね」
万代くんがおもむろにつぶやいた。
「え、取り憑かれてるって? 化け猫に?」
「化け猫かどうかはわからないけど、動物と女の人が見える」
「霊視ってこと?」
「ああ、変な風に思われるからあまり言わないんだけど、見えるんだよ」
私は初めて万代くんに会った時、「ここのトイレは出るから苦手なんだ」とお化けの手を真似たことを思い出した。あれは冗談ではなかったというのか。
2人でそんなやりとりをしていたら、ぶつぶつ言っていた男の子がまるで夢遊病のようにふらふらし出した。
心配になって見守っていると、今度は私たちの方に倒れ込んできたのだ。
「大丈夫?」
私は咄嗟に抱きとめた。
すると男の子が近くでつぶやいたので言葉を聞きとれた。
「助けて……殺される…ボク殺されちゃうよ」
また何かが起きようとしているらしい。




