第2章【猫塚にて、虐待の事情】第1話 猫塚って知ってる?
蓮華大サークル棟には猫が住み着いている。
いつもいるから飼い主がいないノラなのだろう。いや、住処があるからノラにはあたらないのか。
黒と茶色と白い毛がまじった三毛猫や、白っぽい茶色に黒の縞模様でおなじみキジ猫の二匹をよく見かける。
歴史研究部の部室にもいつの間にか入ってくる。ドアが少しでも開いていたら、あのしなやかな動きですり抜けるのかもしれない。
「テレビでやってたけどさ、猫の名前で一番多いのは“ムギ”なんだって」
三毛猫をなでながら部長の里中光代さんが切り出すと、居合わせた2年生の万代幸佑くんも話を合わせた。その番組を見たらしい。
「あと“レオ”とか“ルナ”なんかも人気があるそうだよ」
「オスだと“コハク”や“ラテ”、メスは“キナコ”とか“モカ”という風に違うのよね」
2人で盛り上がっているところに、私が口を挟んだ。
「へぇ、時代なんですかね。猫の名前といったら“タマ”くらいしか思いつかないけど」
「サザエさんの見過ぎだよ!」と万代先輩からツッコまれた。
一方、部長はさすがである。こんな話題も歴史に繋げてきた。
「そういえば、鍋島の化け猫騒動に出てくるのは“こま”だったわね」
化け猫騒動とは、お隣の佐賀県に伝わる肥前佐賀藩で起きたお家騒動にまつわる怪談のことだ。
「ほらぁ、やっぱり“タマ”とか“こま”とかが定番だったんですよぉ」
私が部長の言葉に乗っかって強気に返したところ、万代くんが機転を利かせた。
「立花寺さんは猫塚って知ってる? その“こま”の呪いを鎮めるために作られたそうだよ」
「猫塚とか猫大明神とか呼ばれてるわ」
部長が補足したのを聞いて、なぜだろう……私は胸騒ぎを覚えた。
☆
「鍋島の化け猫騒動」には諸説あるが、次はその一つ。
江戸時代のはじめ、初代藩主の鍋島勝茂が肥前佐賀城を築城した。かつては鍋島氏の主家だった龍造寺家が没落したためその居城を拡充したという。
勝茂の長男である2代藩主・鍋島光茂が、佐賀城に青年となった龍造寺又七郎を招き囲碁を打っていた。又七郎は碁が得意で、光茂は勝つことが出来ない。
すると又七郎が「領地を取るのはお上手ながら、碁の方は今ひとつのようで」とバカにしたため、光茂は怒り心頭に発し又七郎を殺してしまった。
斬られた又七郎の生首を愛猫の“こま”がくわえて家にもどったところ、又七郎の母親は嘆き悲しんで自害してしまう。飼い主である又七郎の母親の血を啜ったこまは姿をくらました。
怨念が取り憑いたこまは、佐賀城に忍び込み光茂の愛妾お豊の方を食い殺してのりうつると、夜ごと光茂を苦しめた。光茂は病にかかり、その子は病死してしまう。さらに奥女中や家臣が巨大な怪猫に襲われて死んでいった。
事態を怪しんだ鍋島家の家臣・千布本右衛門は深夜庭に潜み、お豊の方の様子をうかがっていた。すると行燈の油を舐めるのを目撃。障子に映ったその影が猫の姿をしていたため“化け猫”であることを見抜き、飛び込んで斬りつけた。
化け猫騒動は解決したかに思えたが、化け猫を退治した千布家にはそれ以来、跡継ぎの男子が生まれなくなった。そこで本右衛門より7代目となる当主が、龍造寺家とこまの霊を鎮めるため、七つ尾の猫の掛け軸を菩提寺である秀林寺に納めて供養としたところ、男子に恵まれるようになったという。
明治になってから、改めて七つ尾の猫を彫った祠を作り猫大明神として祀った。現在は「猫塚の由来」をしたためた由緒書がある。




