第82斤
金髪のイケメンであり、神にも等しい存在でもある勇者アレグレンは、東京都墨田区にあるタワーマンションの一室へと訪れていた。
そこでアレグレンは、成人男性2名と、女子高生1名、そして人間の姿となっているカマイルカ1頭が衰弱した状態で意識を失っていることを確認した。発熱の症状が出ている辺り、最早睡眠とは呼べず、即刻手当てが必要であると感じさせる。
なぜ彼らがこのような状態になっているのか。答えは彼らがこことは異なる世界に行こうとしたからである。当然ながら普通に生活しているままでは異世界に行くことなど不可能である。仮にトラックの前に飛び出したところで待っているのは死だ。だから彼らは普通じゃないことをした、ということだ。しかし。
「残念だが、君たちの推測は間違っている」
彼らには届かないと理解しながら、アレグレンは彼らに優しく告げた。そしてこの部屋で行われていたYouTube配信を終了させ、カメラには映らない場所に置かれていたソファの上で横になっている茶色いセミロングの髪をした女子高生・白野知晴の元へと近寄った。
「君がこれからどう生きて、誰を好きになるのか。それが気になっていたけど、まさかこんな風になるとはね。驚きだよ。しかしその驚きが私をまた――」
女子高生に己のアイデンティティを揺るがせる、たったひとつの秘密を教えてあげようとしたところで、玄関の扉の鍵が開き、部屋の中に元魔王の幼女・エビフライ子と、エッセイスト・斉藤本太郎がやってきた。
「なっ……!?」
斉藤はアレグレンを見て、目を丸くし、言葉を失った様子で動きを停止させた。
「むぅ……?」
エビ子は、何かが引っ掛かるようで何も引っ掛からないと、多少成長したとはいえまだまだ幼さが残る顔で、アレグレンを見つめた。
「一応言うが、私が犯人ではない。それは君たちもわかっているだろう」
虚ろな表情で人形のように倒れている白野知晴の髪を指で撫でながら、アレグレンは斉藤に言った。
「ならどうして……お前がここに」
斉藤が震えた声でアレグレンに言った。斉藤の足はガクガクと震えており、今すぐここから逃げたしたいと訴えていた。しかし心が必死にそれを堪えているといった様子である。そんな斉藤を見て、アレグレンは簡潔に結論を述べる。
「この子は私の娘なんだ」
「え?」
「私は17年前の5月、この世界で暮らす女性と交わった。結果、16年前の4月8日彼女が生誕した。その日も今日みたいな大雨だった。彼女の産声を聞きながら空を見て、これから生きていく中でたくさん晴れの日を知って欲しいと願った。そして知晴と名付けたんだ」
「それは、本当なのか?」
「君に嘘をついてどうする。この子は正真正銘、私の遺伝子を受け継いだ、私の娘だよ」
斉藤とアレグレンは以前にも出会い、言葉を交わしたことがある。そこで何があったかは割愛するが、お互い敵意こそ無いが好意も持てないといった関係に落ち着くこととなった。最も、日常的に関わることは無いが。
「その子に何をするつもりだ。言っておくが彼女と僕はもう、他人じゃない」
「知っているさ。白崎雪と君との関係も、白崎雪と知晴の関係も」
白崎雪というのは、知晴が通っている高校でのクラスメイトの女子生徒のことだ。偬鳴架という名義を用いてイラストレーターとしての活動も行っており、そこで斉藤とも関わりを持っている――その程度の知識なら調べるまでもなくアレグレンも知っている。
「この子――知晴は、もう1人の私の娘と出会おうとした。この様子じゃ呆気なく失敗したようだがね」
「えぇ……まだ娘いるの?」
斉藤はやや呆れた様子でアレグレンを見て言った。幼女になった魔王を娘にした人間に言われたくはないなと内心思いながらも決して口にはせず、アレグレンは言葉を続けた。
「黒和陽咲。それがもうひとりの娘の名前だ」
「黒和……? となると、黒和雨後汰もお前の……?」
「それは違う」
斉藤の問いに、アレグレンはきっぱりと首を横に振って答えた。黒和雨後汰というのは陽咲の兄であると世界には定義されている。知晴が今回の件に首を突っ込むことになった原因には、少なからず彼の行動も含まれている。とんでもない因果だと感じながら、アレグレンはありのままの真実を斉藤に伝えることにした。
「知晴の前に一度実験してみたくなったんだ。果たして私はこの世界の人間と繁殖することが可能なのか、ね。だからたまたま路上にいた生殖可能な女性――彼らの母親を洗脳して、私の遺伝子情報を植え付けて、時の流れを歪ませて観察してみた。すると妊娠して、無事に産まれた。いつの日も空に輝いて植物に芽吹かせる活力を与えるあの星のように、元気な、いや、元気すぎる子がね」
「それは、人間のやることじゃない」
「そうとも。今の私は、神にも等しい存在、だからね」
アレグレンが薄く微笑みながら言うと、斉藤は露骨に嫌な顔をした。かつて自分も人間だったころはこのような行いに嫌悪感を示したのかとアレグレンは考えた。逡巡の末、答えを出す必要は無いと自ら思考を打ち切り、説明を再開させた。
「当然そのままじゃ都合が悪い。かといって存在を抹消するのも惜しい。だから私は元々存在していた黒和雨後汰の妹だという風に認識と記憶を操作して、遠くから彼女を観察することにした。今考えるとそれが良くなかったのかもしれない。陽咲は強くなりすぎた。成長していくにつれて内に秘めたる自分の力に気づき始めた。すると欲しいものは望んだ通りに手に入れられることを覚えた。望んだ通りに物事を進められることに気づいた。やがて人の心も操り始めるようになった。そこで私も彼女の危険性に気づいて強引に止めようとした。だが――」
「奥義が効かない――『僕たち』と同じであることに気づいた、か。神にも等しい存在が聞いて呆れる」
「ああ」
こればかりは素直に頷く他無かった。原因不明であるのが癪ではあるが、目の前にいる斉藤本太郎にはアレグレンが持つ『世界の根幹を担う物質に干渉しあらゆる因果や事象を書き換える能力』という奥義が通用しない。斉藤以外にも通用しない人間をアレグレンは数人知っているが、ここで述べる必要はないだろう。
「あの時は本当に焦ったよ。このままだと誰も手がつけられない魔王になりかねない、とね。だから私は彼女ではなく、世界を書き換える方向に切り替えた。ではどのように書き換えるかという話だが、その時彼女はYouTubeに熱中していて自らも動画投稿を行っていた。だからそれを上手く利用できないか考えた。そして私はYouTube上で大炎上しこの世界に存在してはいけないと大勢に判断された人間はどの世界とも隔絶された異世界に転移するというように書き換えた。その上で、彼女――陽咲を応援している人間に怒りの感情を植え付けた。きっかけは何でもいい。VTuberが実写でも活動していたから、とか、そこで同級生の男子と動画を撮っていたから、とか、発言が気に食わないとか、声が、見た目が、血液型が、生まれが……といったように、理屈よりもとにかくぶっ叩きたいという思考を先行させて、執拗に、激しく、批判させた。すると予想通り、彼女は何も出来ずにこの世界から消えた」
「つまり、こんなことになったのは全部お前のせいだってことかよ……」
「それは違う。私は陽咲をこの世界から消した後は元通りにした。しかし未だに炎上した人間は消えている。これはどういうことか、答えはひとつしかない」
アレグレンは倒れている4人の体力を全回復させた上で深い眠りにつかせた後、ついでにエビフライ子も眠らせて、ただひとり立ち尽くしている斉藤に向けて指をさした。
「僕が……やったっていうのか……!?」
「違う。やったのは陽咲だ。おおかた自分の身に起こったことを他の人間にも味合わせてやろうと思ったのだろうな」
「ああそうか……うん。だろうね」
斉藤が己の力を過信しているが故の盛大な勘違いをし、顔を赤らめてもじもじし始めた。幼女でもないので可愛くもなんともない。アレグレンはそんな斉藤を無視して、安らかな寝顔ですやすやと寝息をたてている知晴の真横に移動した。
彼女には、奥義が通じる。しかしあくまで通じるのはアレグレンの奥義のみである。他の生物には彼女の身体や心を自由に弄ぶことはどんな手段を用いても不可能だ。
「陽咲を止められるのは、君だけだ。だからこの世界のYouTuberの行方は、君が決めろ」
白野知晴には、彼女自身も知る由もない凄まじい能力を秘めている。
『おい! もうお前でいいからさっさと操作してくれ!』
アレグレンが思考を加速させようとしたところで、テレビに映るディエゴというハムスターのゲームキャラクターがアレグレンに苛立ちの混じった声で言った。
その画面を見て、アレグレンは以前自分が言った『これから先、君には嬉しいことや楽しいこと以上に辛いことや悲しいことが待ち受けているだろう。突然の事態に戸惑い、絶望するかもしれない。でもそんな時、このゲームが君を救うだろう』という言葉を覚えていてくれたのだということに気がついた。もっとも『ひとつ注意だ。このゲームは決して4人でやってはいけないよ。その場合、命の保証は私にも出来かねるからね。とはいえ禁じられたことをやるのが勇者って気もするけどね』という言葉の方は覚えていなかった……いや、あえてやったということか。
これは単純に臆病な性格の彼女にはこのような明るいゲームが合うのではないかという思いから発言した言葉だった。しかしながら4人でやってしまうと高確率でリアルファイトに発展するので止めたのだが。
「だが、もしかすると本当に救うことになるかもしれないね」
『ブツブツ言ってないで早く俺たちを救ってくれ!』
一体どこから音声を拾っているのかと思いつつ、アレグレンはテレビの中にいるディエゴ達に話しかけた。
「君たちの力、この子にも使えるようにさせてもらうよ」
『はぁ? そんなの出来るのかよ?』
『さっきからなに? 全然聞こえないんだけど!』
『なにやら話されてますわね』
『今何時じゃ?』
白野知晴は彼らの力を自由に使えるようになり、姿も黒和わわへと変わった。巨大な縦ロールのツインテールが特徴的であり、身長は元よりも小さくなったが胸は大きく成長した。もう少し胸が小さければ自分の好みだったなと、アレグレンは斉藤に抱きかかえられているエビフライ子に視点を移しながら思った。
「君なら……いや、君にしか陽咲は止められない」
黒和わわは、黒和陽咲が待つ異世界へと瞬く間に転移した。それを確かめたアレグレンは斉藤の肩を軽く叩き、彼に言った。
「後のことは、君に任せるよ。何を言っても納得されるからそこは安心するといいさ」
「いやでも任せるっていわ――」
神にも等しい存在は、神にも等しい存在らしく、神にも等しい存在にふさわしい場所で見守ることにしよう。
アレグレンは、自分にもわからない娘たちの戦いの行方を想いながら、斉藤の答えを最後まで聞くことなく、この世界から去っていった。




