第77斤
ふすまを開けて部屋を出ると玄関もなくそのまま外へと繋がっており、鼻腔をくすぐる花のようでシャンプー後の犬のような香りと、緑と白と黄色が入り混じったカラフルな芝生と、真っ青過ぎて形容しがたい不気味な色と化している空が僕を迎えた。
後ろを振り向き建物を見ると古びていて小さな木造の平屋だった。まるで明治あたりの文豪が住んでいそうな家だ。そういや部屋は僕が寝ていた部屋以外にもあるのだろうか。見た感じありそうだけども。
「この黄色い花はゼンテイカといって高山地帯に咲かない花なんです。ですがこの山の標高は精々200mくらいなので、本来なら絶対咲いていないはずなんですけど……」
ぽかんと家や風景を見ていたら、真駒さんが僕の顔を覗きこみながらそう言った。足元にあったゼンテイカと言うらしい花をしゃがんで見てみたが、確かに見覚えの無い花だった。だけど星みたいな形で綺麗な花だ。
「山って言うより丘って感じだけど他の人も寄り付かないし、いい所よ。少なくとも、この世界ではね」
富良らんすが夜なのか昼なのかわからないが、ある程度の光は降り注いでいる空を見上げながらぶっきらぼうに口にした。にしてもこの世界は一体どれほど地獄だと言うんだろうか。想像しようにも、想像するための情報が少なすぎるのでイメージが膨らまない。YouTuberが殴り合ったりでもしてるのだろうか。
「ブヒブヒブ。ブヒヒヒヒ」
するとうぇんがどこからともなく拳銃を取り出してスライドを引いた。一瞬僕を撃つ気なのかと思ったが、引き金には手も掛けずそのままどこかにしまった。全身タイツにはポケットもファスナーもないのに一体どこに収納したのだろうか。知りたいような、知りたくないような、それくらいの疑問が脳に浮かぶ。
「あたしもGSBでよく使ってた銃持ってるけど、それで絡んできた奴を何人か撃ったわ。頭を打っても心臓を撃っても死ななかったけど」
しれっと富良らんすが長いマガジンが付いている銃を取り出しつつとんでもないことを口走ったので絶句する。
「撃ったって……それで?」
「ええ。最初はヤってくれたら元の世界で味方してやるみたいなこと言ってきた奴を撃ったわ。その後はお前のせいで人生めちゃくちゃだみたいなこと言って襲い掛かってきた奴にね。撃った直後は死んだみたいに動かなくなったけど、そのうち起き上がってあたしに謝ってどっか行ったわ」
「ブヒブヒ」
「ああ、こいつは何か調子乗ってるとか言って喧嘩売られてたわね」
「ブヒブヒブ」
富良らんすは罪悪感などの感情が微塵も感じられない声色で、自分が行った行為を平然と話した。うぇんは相変わらず何を言いたいのかさっぱりわからない。
「で、その、あんたの妹ってのは一体どこにいるの?」
そしてそのまま、うごたに尋ねた。
「ああ。それはこいつが知ってるらしいんだ」
うごたはそう言って、サボテンを両手に持って、こちらを見た。
「サボターーーーーーーーーーーージュ!」
サボテンが叫んだ。
サボテンが、叫んだ。
植木鉢に入った、丸っこい形に無数の棘を生やしたサボテンが、口も無いのに叫び声を上げた。
「なんなの……これ……」
富良らんすが猫背気味になりながら、冷めた目と声で言った。真駒さんも似たような表情をしている。うぇんは四つん這いになりブヒブヒと花の匂いを鼻で嗅いでいた。
「僕の名前はサボテン・オブ・サボタージュといいま「もうそういうのいいから!」サボターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーージュ!」
サボテンが自らの名前を名乗ろうとした途端、サボテンが誰かに鷲掴みにされて植木鉢から引っこ抜かれ、断末魔を上げながら遥か彼方へ飛ばされた。
「突然ごめんね。訳わからなさすぎてびっくりしちゃうよね。でも大丈夫。わたしが全部説明してあげるから!」
突如うごたの隣に現れ素手でサボテンを投げ飛ばしたのは、金髪ロングで水色のエプロンドレスを着ていてボーダータイツを履いていて青いリボン付きのカチューシャを頭に装着している、僕より5つは年下かと思うほどの小さな女の子だった。その子は現れるや否やドヤ顔で自分の胸を叩きながら自信満々な声で喋った。
「アリス……?」
「そうだよ! わたしの名前はアリス! よくわかったね!」
よくわかったって……だって……その見た目は……。
「不思議な国のアリス、そっくりだし……」
「ふしぎのくに……? よくわかんないけど、わたしはこの世界の神様だよ!」
「え?」
僕が呆気に取られていると、アリスはエプロンのポケットから金色に光る丸いものを3つ取り出して僕に見せてきた。
「この懐中時計は『ポケットウォッチ』っていって、持ち主の秘めている能力を引き出すことができるの。これは帽子屋の弁護士と、ウウと……シロから託された、大事なものなの」
「ああ……うん……」
何を言いたいのか、何を言っているのか、全く理解できない。帽子屋の弁護士ってなんだ。ウウとかシロって誰だ。ああ、帽子屋はアリスにいたっけ。でもウウとシロなんて全然知らないぞ。
「つまりね、わたしはこの時計を使ってこの世界を創造したの」
「は、はぁ……」
僕が理解できないまま反応に困っていると、うごたが口を開き始めた。
「世界を掌握するには世界の創造神を見つけるのが手っ取り早いからな。だから見つけた。他の奴らから話を片っ端から殴ったり蹴ったりして聞き出して『アリス出てこい』って叫んだらあっさり出てきたよ」
僕が寝ている間に、まさかそんなことをやっていただなんて。ていうか僕は一体どれだけ寝てたんだ。というよりも。
「本当に神なの?」
僕はアリスに率直に聞いた。神っていうと、もっと神々しい雰囲気を醸し出していたり、もっと大人の姿をしているイメージだし。
アリスは小さな顎を小さな手で触りながら、僕の質問に対して熟考している様子を見せた。そしてしばらくした後、懐中時計を見つめながら口を開いた。
「この世界を作ったのが神様だっていうなら、わたしで間違いないよ。でも……」
「でも?」
「ヒナなんちゃらがこの世界を侵略してくることは、止められなかった。わたしも、友達も、この世界を守るために戦ったけど、向こうに見えるあのお城に閉じ込めておくのが精一杯だった」
「ヒナ……?」
「うん。魔法使いみたいなローブ着てて……角生えてて……すっごく強くて……うごたの妹だって聞いたけど、全然似てないね」
僕は脳がパンクしそうになりながらその名を震えながら口にした。だけどその後のアリスが話した言葉に僕は疑問を覚えた。なぜなら、僕の記憶に残る彼女は、魔法使いみたいなローブなんて着ていなかったし、角も生えていない。ごく普通の学校の制服や私服を着ている、普通の…………女の子だ。
「そうだろうなとは……思ってたよ」
だけどうごたは、僕とは違い、納得している様子だった。どうしてだ。
「頼む」
そしてうごたは、続けてそうアリスに言った。
「気をつけてね」
アリスはそれだけ言って、懐中時計の蓋を3つ同時に開けた。
すると瞬きした瞬間、僕は聖堂のような場所のど真ん中に立ち尽くしていた。天井や壁にある何を模しているのかもわからない奇怪な形のステンドグラスが、僕の影を鮮やかに彩っている。
そして。
「……ムギ?」
僕の。
目の前には。
「君は……誰だ……?」
目の、前には。
「やっぱりこの姿じゃ、わかんないか。ヒナだよ。黒和陽咲」
「ひ……」
僕の喉が、彼女の名前を呼ぶのを必死で抵抗する。
まさか。
そんな。
まるで、これは。
「でも、それは昔の名前で、今の私はヒナクェリエンス・ブラックジエンドっていう名前だよ」
これは。
「魔王系VTuberって言った方が、わかりやすいかな」
そんな。
そんな、ことって。
「お前には、まだ話してなかったな」
うごたが僕の肩を隣で叩きながら、話しかけてきた。
「陽咲はな、VTuberもやってたんだよ。お前には、黙ってな」




