第76斤
目を開けると暗い木で構築された天井が視界に入った。上半身を起こして周囲を見渡すと、10畳くらい広さの何もない和室で、僕は畳の上に敷かれた白い布団に寝かされていたようだった。去年行った中学の修学旅行で泊まった旅館を思い出す。
「ブヒブヒ」
そして豚が寝起きの僕の顔を覗いてきた。
いや、違う!
これは豚じゃなくてピンク色の全身タイツを着て安っぽい豚鼻と豚耳を装着しているただの人間だ。しかしそれでも隠しきれていない端正な顔立ちの人間を僕は知っていた。
「うぇん!?」
「ブヒブヒブ! ブヒーブブーブーブー!」
僕がその名を口にすると、その豚は鳴き声を大きくして僕の両手を握ってぶんぶん上下に振り回してきた。その通りだとでも言いたいのだろうか。それなら普通に喋ってくれてもいいのに。
「こいつ、ここに来てからブヒブヒしか喋れなくなったんですって。ま、あたしもこうして『富良らんす』の姿になっているんだけど」
そして、豚となったうぇんを腕で押しのけながら、フランスパンを彷彿とさせるベージュ色の大きなポニーテールが特徴的な、ぱんどらぶれっど所属のフランスパン系VTuber、富良らんすが現れた。2Dどころか超美麗な3Dで僕の目の前でぺたんと女の子座りをしている。きっとわっちんがしていれば可愛いんだろうな、いやそれよりもだ。
「どうして……富良らんすとうぇんが一緒に……? ていうか僕どうなったの?」
こめかみに指を添えて、自分の身に何が起こったのか思い返してみようとするが、頭に靄がかかったようで、上手く情報を引っ張り出せない。確かうごたに一緒に配信をしようと言われてそれでカメラの前に座って……そこから何があった?
「その様子じゃ大分混乱しているようね。ここに飛ばされてきた人はみんなそうなるわ。けど二度寝したのは初めてみたわ。で、あんたの質問に答えると、こいつが勝手にあたしのペットになってるだけよ」
「ブヒブブブブ、ブブブヒヒヒッヒイヒ!」
うぇんが愕然とした表情で富良らんすを見た。そうして富良らんすが片手でうぇんの豚耳を引っ張るとそのまま頭をぶんぶんと横に振り回し始めた。うぇんが「プギャー」と鳴きながら痛がってる様子を見ると、カチューシャのようだが頭と一体化していることに気づいた。全くどうしてこんなことになったのだろう。
「何が言いたいのかはさっぱりだけど、一応あたしのファンみたい」
「ブヒブヒ」
「は、はぁ……」
「あたしのファンなら利用するに越したことはないし、知名度もあって何かと役立つから一緒にいさせてるけど。あ、言っとくけどこの世界は地獄よ。炎上した人間が一体犯人は誰だだの、俺がこんな目に遭っているのはお前らのせいだだの、何でもかんでもお互いのせいにしていつも罵倒して殴り合ってる。ここが天国だっていうなら、あのとき存在自体が消滅してた方がマシだったわ」
「消滅……」
富良らんすが口にしたそのワードでおぼろげながら記憶が蘇ってくる。確か僕も配信が終わった後、身体から白い煙が出てたっけ。
「ところであんたは何で……大方うごたに利用されたって感じだろうけど」
「まぁ……そんな感じです」
富良らんすが僕にぶっきらぼうに尋ねてきたので素直に首肯した。そこでうごたがいないかと部屋全体を見たが、うごたはどこにもいなかった。しかし、広縁の椅子に白と金が入り混じった色の髪に猫耳を生やした着物の女の子が行儀よく座って窓に映る景色を黙って眺めているのが目に入った。窓からはだだっ広い芝生のような場所に黄色だったり白だったりの小さな花が咲いているという風景が広がっていた。
「うごたは情報収集だか何だかで外に行ってるわ。さっきそいつからあんたについて詳しく話を聞かせてもらったわ。ムギ」
「えっと……あの子は?」
僕が聞くより先にうごたの居場所について話した富良らんすに、僕は広縁にいる女の子を指さして聞いた。すると女の子は僕の声に反応したようにこちらを振り向くと立ち上がり、枕元まで駆け寄ってきた。
「私、真駒照乃って言いますっ。Virtual Saturdaysっていう事務所で福を呼び込む招き猫系VTuberやってます。なんだかんだでご縁があってらんすさん達と一緒に居させていただいてます」
真駒照乃と名乗った女の子は、明るい声でそう言うとぺこりと僕に土下座に近い形でお辞儀をしてきた。そこで僕は思い出した。
「前口小都子?」
「やっぱり知ってますか……ニュースになったって聞いて恥ずかしくて死にたいです。もう死んでるのかもしれないですけど」
僕がその名前を口にすると、真駒さんは苦笑いながらも何の躊躇いもなく「死にたい」「もう死んでる」などと不穏な言葉を口にした。
「彼氏と引き離されただか何だか知らないけど、こんなことばっかり言うし、自殺未遂しまくるしで見てられなかったのよね。うぇんは何かブヒブヒ言ってるけど」
「ブヒヒヒブヒヒ、ブヒッヒ」
「又聞きだけど、照乃が消えたことが映像に残って、その途端消滅したことが一気にニュースになったのよね?」
「はい……これもうごたから?」
「ええ。あいつここに来るまでにめちゃくちゃ色々と準備してたみたいよ」
「は、はぁ……」
準備って一体何を準備してたんだろうか。そう思っていると、うごたがふすまを勢いよく開けて部屋にやってきた。どこか不敵な笑みを顔に浮かべていて、その表情のまま、こう言い放った。
「聞け。陽咲の居場所がわかった」
「ブヒ」
うぇんが鳴くと、うごたは続けて言った。
「会いに行くぞ」




