第65斤
それから体育祭はなんやかんや盛り上がって終わり、僕と白野さんは他の生徒たちに様々な感情が詰まった視線を突き刺されながら帰路についた。
暑さやらわっちんと触れ合えたやら何やらで頭がぽやぽやするので何かを話す気にもなれず、僕らはただただ隣に並んで帰った。別にもう足を結ばれてもいないからなろうと思えば離れ離れにもなれるのだけれども、白野さんが離れないのでそのままそうして歩いていた。ちなみに帰りの電車の中でも白野さんは何も言わずに僕の隣を確保してきた。
そして今は、最寄駅から自宅まで2人で歩いているところである。白野さんは僕が速度を上げると早歩きになり、緩めると白野さんもゆっくりになった。
「チワワ?」
「へ?」
「ああいや、なんでもない」
「へ……」
人懐っこい小型犬か何かかと思ったら疲れからかつい口に出てしまった。おかげで白野さんに目を見開かれてぽかんとされてしまった。
「えっと……舞原……くん」
「なに?」
そしてしばらくまた無言で歩いていると、白野さんがいつものように何かを言いたそうに口を開いた。そして僕も、いつものように反応する。
「あのね、私――」
「助けて下さいっ!」
白野さんが軽く呼吸を整えた後、何かを言おうとしたところで誰かが突然眼前に現れ悲痛な声を上げて助けを求めてきた。
「あなたは……」
見ると、僕たちよりも少し年上に見える、眼鏡の似合う綺麗な銀色の髪の女性だった。服装は何の変哲もないブラウスとスキニーで、それで少し判断が遅れたが、つい先日会ったことがあると気づいた。
「ウイちゃん、だったっけ?」
「はい……。お願いしますムギさん……。このままだと、お兄さんが消えちゃう」
「つよしさんが……?」
僕が聞くと、ウイちゃんは何度も首を縦に振った。
「お願いっていうのは?」
「私とお兄さんは……あれから……いいださんを見つけることができなくて……うごたさんなら何か知ってるんじゃないかと思って、それでうごたさんがいるであろうドリーマーズオブザーサイがスタジオとして使っているマンションの部屋に向かったんです……。そしてそこにいるうごたさんに……お兄さんは……」
僕がお願いとは何かと尋ねると、ウイちゃんはまくし立てるように話し始めた。それからしばらく黙って俯いた後、ゆっくりと再び口を開けて、こう言った。
「何度も……何度も……ひどく殴られて……ムギさんをスタジオに連れて来ないとお兄さんを消すと、私に言ったんです……」
ウイちゃんは、咽び声を上げながら、僕の胸元に縋りついた。汗で湿った体操服が、さらに湿っていくのを肌で感じ取る。
「そのスタジオっていうのは、どこにあるの?」
「墨田区の……スカイツリーが目の前にある……」
ウイちゃんから詳しい場所を聞き終えたときには、僕の思考はすっかり澄み切っていた。
僕が動かなければ、人が消える。
決断する理由は、これだけで十分だった。
「ごめんね白野さん、これから東京に行かなきゃならなくなったから先に帰ってて。夜の雑談配信はちゃんと見に行くから」
「あ……う……うん……」
後ろ髪を引かれる思いで、白野さんから離れて、最寄り駅へと引き返す。そうしようとしたところで、ウイちゃんが僕に消え入りそうな声で耳打ちしてきた。
「うごたさんは……本当に恐ろしい人です……どうか……気を付けてください……」
「わかった。ありがとう」
僕はウイちゃんにそれだけ言って、駅へと走った。そして列車の中で母親にLINEで帰りが遅れるかもしれないとメッセージを送ると、地図アプリで改めてスタジオの場所を確認した。ウイちゃんが言っていた通り、スカイツリーが徒歩数秒の場所にあるという立地であった。
『私はね、皆の笑顔を守りたいな!』
車内に座り身体を揺らされている中、頭の中でいつかの誰かの声が響いた。
白野さんの、別れ際のどこか寂しそうな顔が続けて再生される。
用が済んだら、すぐに白野さんに会いに行こう。
僕はそう思いながら、東京へと向かう列車の窓に映る景色を眺めた。
空は、少しずつ鈍色に変わり始めていた。




