第63斤
猛暑ではあったものの、プログラムはつつがなく消化され、とうとう二人三脚障害物競走の時間が訪れた。
そして僕と白野さんは客席を降り、陸上トラックの上へとやってきていた。タータンの弾力を脚で感じながら、トラックの全周を軽く見回してみる。
すると道中に、緑色の網やらパンがぶら下げられた鉄棒やら風船やら縄やらが設置されているのが見えた。
ややあって、集合の合図がかかり、僕と白野さんはスタート地点へと向かう。ところでさっきから白野さんが一言も発さなくなっているが大丈夫だろうか。
「大丈夫?」
「モンブラン!」
白野さんは汗だくなのにも関わらずガクガク震えている上、紅潮した顔でそう言い放った。大丈夫じゃなさそうだった。
「パンプキン!」
そして僕の右肩を左手で殴打。最早何を言いたくて僕に何を求めているのかわからないのでとりあえず両手で白野さんの頬を挟んだ。
やはり世界有数の素晴らしい感触ではあるが普段とは異なり上気しているため少々の湿り気がありそれが手触りを一変させていた。しかし本質的に素晴らしいものは素晴らしいというべきかあたかも潤滑油の如く僕の手と彼女の頬を世界を結ぶ歯車の役割を果たしており果たしてこれは何と呼称すべきなのであろうか。蝉時雨が生み出した無垢なるイノセンスか、あるいは蜃気楼が織り成す哲学的なフィロソフィーか。いずれにしてもこのアンサーの答えは僕の手指にはこれが絶対的なアブソリュートであり神にも等しい存在がこの世に顕現させた至高なる趣向だと首肯せざるを得ず漸く封印されし右足首が暫く疼き――あ?
「こんだけいちゃいちゃしてんなら、1位になってくださいっすよー。うちを置いてきぼりにして仙台に行ったの根に持ってんすからー」
白野さんの頬に心を奪われていたら、いつのまにか委員長に右足の自由を奪われていた。そして強引に、白野さんの左足と太い紐で結ばれる。白野さんは「エレベーターサンショウウオ!」と叫んだ。意味がわからない。
「きゃー!」
「ふへらっ」
「ふほほへっ」
「好き……」
「おろへるほぉ」
「あぁん……」
ふと周囲を見ると、他の競技参加者も同様に足を縛られ始めていた。男子生徒は女子生徒の妖艶な声に興奮したのか、上ずった声で謎の単語を発していた。白野さんの方が一応まだ意味のある単語を発しているのでマシである。
「んじゃ、勝ってくださいっすー。負けたらその時は……わかってるっすよね?」
委員長は紐を結び終えると、そそくさとトラックを後にした。すると右足から地震かと錯覚するほどのとてつもない振動が伝わってきた。確かめるまでもなく、白野さんがぶるぶるマシンの上に立っているのかと思うくらいに震えていた。
「ままままままけたらどどどどどうなるのののののの!? 私全然わかんないんだけど!」
白野さんが激しい振動を僕に伝えながら尋ねてきた。僕だってわからない。でも、わかることはある。
「とにかく勝てばいいんだよ」
「そんな簡単に言わないでよ!」
僕が言うと、白野さんは怒気を滲ませながらそう返してきた。
「わっちんがGSB配信のときに言ったんだよ。『とにかく勝てばいいんだよ』って」
「うっ……! それはそれ! なんでそんなの覚えてるの!?」
「ガチ恋勢だし」
「ウェールズ!」
また右肩を殴られた。だからなんでだと思っていると、スタートラインに並ぶように体育の先生に言われて、左足から先に動かした。すると重くなった右足も少し遅れて、前へと進んでいく。
「そういえば白野さんって100m走何秒?」
スタートラインに到着した直後に、ふと気になったので尋ねてみた。
「詳しくは覚えてないけど……13秒台だよ」
「え」
待て。それって僕より速いじゃないか。
もしかしてこれ、文字通り僕が足引っ張るパターンか?
「位置について、よーい」
動揺する中、聞こえる先生の声。
そして一瞬の静寂の後、ピストルの快音が響いた。




