第51斤
自室の中でもう一度日羽に電話を掛けてみるが、やはり彼女が出ることはなかった。
とりあえず制服から適当に動きやすい私服に着替えておいたけど、他に何かやっておいた方がいいことはあるのだろうか。まさかこんなことになるなんてと、複雑な感情を抱きながら思う。
不安、焦り、戸惑い、罪悪感。
そして一縷の喜び。こんな状況でこんなことを思ってはいけないと、心の中で自分を叱責する。
「失礼します」
「はーい」
扉が軽くノックされ、ルイちゃんが僕の部屋に入ってきた。ルイちゃんは僕の部屋を首を回して一瞥する。
「イルカのときは、こんな風に首を動かせないんです」
「どうかした?」
薄く微笑みながら歩くルイちゃんに、僕は聞く。ちなみに首を自由に回せるイルカはシロイルカくらいだ。
「クロワッサンさんとは、どういう関係なんですか?」
「クラスメイトだよ」
一瞬誰だと思ったけど、すぐに白野さんのことだと思い出し僕は言った。
「それは学校の話、ですか」
「うん」
そうか、ルイちゃんは学校がどういう場所なのか知らないんだ。僕は頷きながら思う。
「クラスメイトとは、こうして異性とどこか出かけるほどの深い関係の方なのですか」
「普通はそうじゃないんじゃないかな。僕と白野さんの関係は――ちょっと複雑なんだ」
「よくわかりません」
ルイちゃんは困ったような顔で僕を見る。VTuberとその子のガチ恋勢だよって言ってもよくわかりませんという答えが返ってきそうだなと思うと、何も言葉が出なかった。
「この帽子は?」
ルイちゃんが棚の上に置いていた茶色のキャップを手に取り、首を傾げた。僕は彼女の側に近寄り、サイズを合わせてそれを被せてあげた。三つ編みだから、すんなり頭に収まった。
『ねえ、この帽子、似合ってる?』
脳内で、花畑の中でいつか見た光景と声が再生される。
かつてその帽子を被っていた彼女は、もういない。
「どうかしましたか?」
「その銀髪は目立つし、仙台も暑いだろうから、それ被ってるといいよ」
「いいん、ですか」
随分帽子が似合っていて、戸惑いの色を浮かべるルイちゃんの頬を、僕は無言で掴み取った。
「ふぁあ?」
やはりこの子がイルカだとは思えないほど、彼女の頬はふにふにでもちもちとしていた。
「やめてぇ……」
しばらく夢中で触っていると、やがて小さな声でそう言われたので僕は素直に離した。
「あの、私は何をしたらいいでしょうか」
頬をさすりながら、ルイちゃんは僕に言った。
「大丈夫、僕がやっとく」
僕はルイちゃんをベッドに座らせて、リュックに必要そうなものを入れていった。
ルイちゃんは当然にしても、多分白野さんも遠出には慣れてなさそうだし、僕がどうにか引っ張っていかないとな。それにしてもまさかこんな事態になるとは昨日までは微塵も思っていなかった。そもそも人が煙を出して消えるなんて、ファンタジーか何かとしか今でも思えないけど、でも実際にあんな光景を見せられたら嫌でも信じるしかない。
自分で自分の両手を見て、開閉を繰り返す。姿見で全身を確認する。ルイちゃんにも見てもらう。今のところ、煙はどこからも出ていない。日羽は今、どうしているのだろうか。とにかく、無事で呑気にしていて欲しい。人があれほど恐怖に染まる姿は、もう見たくない。もしかしたらつよしが僕に学校を休めと言ったのは、他のクラスメイトにまで恐怖を植え付けないようにするためだったんじゃないかと邪推してしまう。
「大丈夫です。私も、麦也さん――お兄ちゃんも、誰も、消えたりしません」
僕の不安を察してか、ルイちゃんが枕を抱きながらも、はっきりとそう言ってくれた。でも、
「お兄ちゃんって何?」
「私にとって、麦也さんはお兄さんの代理です。なので、お兄ちゃんです」
「なんだそれ。まあ、別にいいけど」
どういう意味かわからないが、そういう呼び方をされるのも嫌じゃなかった。生まれてこの方ひとりっ子だから少し耳がくすぐったいけど。
「よかったです」
そして可愛らしい笑顔を見せるルイちゃんの頭を撫でた後、僕は重いリュックを背負い、ドアノブに手を掛けた。




