第36斤
わっちんとリムリムの2度目となるコラボ配信から1時間程経った木曜日の午後11時半、家のインターホンがピンポーンと小気味よい音を上げた。
こんな夜更けに一体誰だと思いつつ、既に枕に就いた父と母の代わりに玄関に歩を進める。誰がインターホンを鳴らしたのか確認する前に、適当に靴を履いて扉を開けた。すると目の前にルームウェアをだらしなく着ている白野さんがいた。彼女はいつものようにもじもじとした不安そうな表情で僕を見ていた。
「配信お疲れ様。面白かったよ」
「おふりゃ!」
おふりゃって何だお風呂の亜種かと口走りそうになるのを堪えつつ、僕は目の前にいる白野さんを労った。
「ところで何の用?」
「えっと……あのね……その……」
「その?」
白野さんはスマホを両手に持ち、もじもじしている。一体何の用なのだろうか。
「うひゃあ!」
突然どこかからクラクションが鳴り響き、白野さんが飛び跳ねた。今のは猫みたいでちょっと可愛いかった。そして無言で上目遣いで見てきた。一体何の用なんだ。
「とりあえず中入る?」
「い、いいの……?」
「親は寝てるし、それにその方が落ち着いて話せそうだし」
「そ……それなら……お邪魔します……」
そうして僕は再び、白野さんを家の中に招き入れた。
「急ぎの用?」
「えっと……それは……その……」
朝とはうってかわって静寂とLEDの光に包まれているダイニングテーブルで、僕と白野さんは隣り合わせで座っている。相変わらず白野さんはもじもじしっぱなしで太ももの上で指をくねくねさせている。爪は短く切られていて、細くて綺麗な指だった。
「連絡先……教えて欲しい……」
「連絡先?」
「だっ……だって……舞原くんの連絡先知らないなってさっき気づいて……」
「それで慌てて僕の家まで?」
「うん……」
白野さんがこくりと頷いた。もしかしたら緊急事態なのかもしれないと思ったけどそんなことは全く無かった。
「別に明日でもよかったのに」
「いや……それは……えっと……わかんない……」
「えぇ……」
「だ、だって! こんなもやもやを抱えたまま寝るのは嫌だっていうか……思い立ったが吉日というか……ふぁふぃあっじゃ」
「僕の従姉みたいなこと言うんだね」
「ふぇ?」
「なんでもないよ。じゃ、交換しよっか」
「う、うん……」
こうして僕と白野さんはLINEやら電話番号やらを交換した。
「ちわわ?」
白野さんのLINEのアカウント名がちわわになっていたので尋ねた。チワワっぽいなと思っていたけどまさか本当にチワワだったとは。いやまあチワワじゃなくて人間なんだけども。
「知晴とわわで……ちわわ」
「ああ、そっちでちわわなんだ」
「犬のも……あるけど……チワワ好きだし……」
「僕はチワワよりわわが好きだよ」
「ふげきうらああ……」
白野さんは少し恥ずかしそうに変な声を漏らしながら小さく口を動かしていた。それから白野さんは僕が渡したコップの水をちびちび飲んだ後、また話し始めた。
「あ、あのね……! 今度の……その……あれ! 鎌倉水族館に行こうかなって……配信終わってから……ムリムちゃんとそういう話になって……それを舞原くんに……」
「伝えたくてってこと?」
白野さんは無言で2回頷いた。すぐに僕に伝えようとしたけど伝える手段が無いことに気づいて、ってことだろうか。にしても鎌倉水族館になったのか。それに対しての文句はないけれど、どうしてそうなったのかは気になる。
「どうして鎌倉水族館になったの?」
「それは……ムリムちゃんがなんかすごい興奮して……それでその勢いで決まって……」
「なんじゃそりゃ」
「そ、そうだよね。私もそう思う……」
白野さんが困ったように苦笑いした。何がどうなってリムリムが興奮したのかさっぱりわからないけど多分この様子じゃ白野さんもわかっていなさそうだった。
ご存じだとは思うけど鎌倉水族館について解説しておく。鎌倉市の沿岸部にある1970年開館の歴史ある水族館である。とはいえ10年くらい前に建て直しが行われており、現在は綺麗でおしゃれな建物の水族館となっている。イルカショーが有名で、公式YouTubeチャンネルも登録者数が1万人を超えている人気チャンネルとなっている。特に「ウイちゃん」というハンドウイルカがショーでの華麗な動きとふれあいイベントでの愛嬌で高い人気を博しており、オリジナルグッズの販売も多くされていて文字通り水族館の看板娘となっている。しかしながら立地的にシーパラとえのすいに挟まれているためそっちに客が流れがちになり、ウイちゃんに全てを託していると揶揄されることもしばしばらしい。ちなみに僕は中学の頃一度行ったきりである。
「明日、委員長にも言わないとね」
「そ、そだね。じゃ、じゃあ帰るね……」
白野さんは呟きながら立ち上がり、そそくさと玄関へと向かって行った。
「あ……あの……」
三和土で靴を履きながら、白野さんが言った。
「何?」
「これからも……わっちんを……好きでいてくれる……?」
「もちろん」
「よ……よかった……」
白野さんは僕を見上げてにへへといった感じで笑った。
「また、明日ね……!」
「うん」
そうして白野さんは隣のマンションに戻っていった。どうせならもっと色々話したかったけど――と思った瞬間、手に持っていたスマホがピロリンと鳴った。
『日曜日、よろしくね! 楽しみにしてる』
見ると「ちわわ」からそんなメッセージが送られてきていた。
『僕もだよ』
それにこう返信してから、僕も自室に戻り、床に就いたのだった。




