第31斤
「今日はどうして横浜に来たんすかー?」
「ポンと一緒に野毛山動物園に行った帰りだ。会うのは昨年のサイン会以来か?」
「そっすねー。ちょうど1年くらいって感じっすねー」
「そこの小娘と小童は何者だ」
「うちのクラスメイトっすよー」
「成る程な」
「ポン先生はどこすかー?」
「排泄中だ。じき戻る」
話についていけないまま、正面に座る白野さんと無言で目を合わせた。白野さんはスパゲッティが巻かれたフォークを落として口を開けて変な顔で固まっている。
一体何がどうなっているんだ。脳内が水が流れないトイレみたいに情報を詰まらせている。排泄中なんて聞いてしまったからこんな比喩になってしまった。ポン先生って誰だ。
「何から話せばって感じっすけどー、中学んときから偬鳴架って名前でイラストレーターやってるんすよー」
委員長が改めて衝撃の事実を僕と白野さんに告げた。白野さんは震えながら委員長を凝視している。
「そんでー、この子は仕事でお世話になった斉藤本太郎先生っていうエッセイストさんの娘さんのエビフライ子ちゃんっすー」
「エビフライ子だ。今年で10歳になる魔王だ。畏怖の念を抱いてエビ子と呼ぶがいい」
「魔王ってあの魔王?」
ファンタジーによく出てくる、あの魔王? 僕は隣にいるどこにでもいそうなあどけない女の子に向けて思わず尋ねていた。どうせ早すぎる中二病か何かだと思うけど。
「そうだ。あの魔王だ。なのでこれを鹵獲させてもらう」
「えぇ……」
「いいだろちょっとくらい」
エビ子ちゃんはスプーンを入れ物から取り出して勝手に僕のオムライスを食べながら言った。申し訳ない気もするけど、どう見ても偉そうに振る舞っているだけのただの女子小学生で魔王には到底見えなかった。
「お前は誰だ」
「舞原……麦也……だけど」
「ムギヤ。どうしてお前は偬鳴架と共に食事をしている。お前は偬鳴架の何だ。愛人か」
「舞原さんの愛人はうちじゃなくてこの子っすよー」
「うえるるるるるるるるるるるるるるるるる」
委員長はあっけらかんと白野さんを手でエビ子ちゃんに示した。白野さんは壊れている。
「植えるって何を植えるつもりだ。植物学者か」
「いえいえー。この子はちはるん――白野知晴ちゃんっていうただのVTuberやってる女の子っすよー」
「Vの方の名前は何だ」
「黒和わわっす」
「赤との旗棹へ於保穴太頬ネオ河野い湯ハムほほとはお手あロタ保は恵那粗さ田尾豆腐二歩とほとほと保アへ雪里は徒歩と頬はサのはのは世保田ベーコン巻き保田保!?!?」
委員長がさも当然かのように話した瞬間、白野さんが過去最大級の奇声を発した。
「白野さんがわっちんだって知ってたの!?」
狂乱している白野さんに代わって僕が委員長に尋ねた。委員長は「もちろんすよー」と言った後、ドリンクバーのドリンクを全部混ぜたみたいな色の液体を飲んでから続けた。
「わっちんは娘っすからねー。声質とか雑談の内容からちはるんがわっちんだってすぐにわかったすよー。てか舞原さんも知ってたんすねー。あ、もしかして焼きバターっすか?」
「ガチ恋勢の焼きバターだよ」
「なるほどどーりであんなにイチャイチャイチャイチャと……」
「なんで私に言ってくれなかったの!?」
白野さんが委員長に詰め寄る。どうやら白野さんは自分の正体が委員長にバレているのも、委員長が偬鳴架ママなのも知らなかったみたいだった。
「言いたくても言えないっすよー。言ったら素のわっちんが見れなくなりそーですしー。もう言うしかなさそーだったので言っちゃいましたけど、気にせず配信してくださいねー」
僕にそんな考えは無かった。白野さんを見たらフォークを突きつけられて睨まれた。言わない方がよかったのか。でも言わなかったらリアルで友達にもなれなかっただろうし、後悔はしていない。僕はスプーンを白野さんに突きつけ返した。
『言いたいことは、ちゃんと言うこと!』
テーブル席にはいない誰かの声が頭の中で響く。やっぱりあれでよかったんだよな。
「複雑な関係なんだな」
エビ子ちゃんが僕の肩をぽんぽんと叩きながら言う。
「君は一体なんなんだ」
「我は魔王だ。やがてはこの世界を――」
「捜したよ……エビ子……」
征服するとか言うんだろうなと思っていたら、視界におしゃれなジャケットを着た大学生くらいの端正な顔立ちの男の人が映った。男の人はエビ子ちゃんの頭を撫でながら辟易した声でエビ子ちゃんの名前を呼んだ。
「おふぃさっふーポンふぇんふぇー」
委員長がハンバーグを食べつつ軽く手を挙げてフランクに言った。となると、この人がポン先生なのだろうか。
「あ! 偬鳴架先生! お久しぶりです!」
「奇遇っすねー」
「まさかこんなところで会えるなんて……彼らは?」
「うちのクラスメイトっすー」
「そっか。じゃあ自己紹介しないとね。僕はエッセイストの斉藤本太郎。偬鳴架先生――白崎雪さんって言った方がいいのかな。彼女には僕の本の表紙イラストを担当してもらったんだ。それと、娘が迷惑掛けちゃってたらごめんね。躾しても言うこと全然聞かないんだよ……」
斉藤本太郎と名乗った男の人は、慣れた様子で明るい声でそう自己紹介をした。しかし本当にこの人がエビ子ちゃんの父親なんだろうか。人を見た目で判断してはいけないのは重々承知しているけれども、10歳児の父親というにはあまりにも若く見えすぎる。
「僕が父親だって言ってもそりゃ疑うよね。血は全く繋がってないんだけど……ちょっと訳ありでね」
「ありよりのありだな」
僕が疑ったことを察してか、斉藤先生は苦笑いで言った。エビ子ちゃんがそれに乗じて頷いた。里子と里親、みたいな感じなのだろうか。そうならあんまり深く聞かない方がよさそうだ。そう考えると、エビフライ子という珍妙極まりない名前にも深い理由がありそうだし。
「こっちがムギヤでそっちがチハルでクロワワワだ」
エビ子ちゃんは続けて、僕と白野さんを指さしながら斉藤先生に言った。斉藤先生は確かめるように僕と白野さんを交互に見た。
「舞原麦也っていいます」
自分からも言った方がいいかと思い、僕は斉藤先生に名前を告げた。
「あ……えっと……白野……知晴です……」
僕につられた感じで白野さんも名乗った。
「クロワワワって言うのは?」
「あ、えっと……」
「VTuberやってて、その名前らしいぞ」
「へぇ。早速調べてみるよ」
「あうぁ……」
白野さんが言い淀んでいる間にも斉藤先生はジャケットから最新型っぽいスマホを取り出して操作し始めた。
「ぱんぶれ所属なんだね。ぱんぶれと言えば富良らんすがこの前炎上してたね」
「あ……はい……」
「あ、ごめんね! これは聞いちゃダメなやつだ」
白野さんが困った様子で答えたのを見て斉藤先生は即座に謝罪した。困っているのは富良らんすに触れられたからじゃなくて先生がもの凄いスピードで喋ってるからだと思うけど。
「チャンネル登録しといたよ」
「あ、ありがとうございます……」
「今度配信見るね」
「今日繰夢ムリムちゃんのチャンネルでコラボ配信やるっすよー」
「そうなんだ、じゃあそっちで見るよ。ところで偬鳴架先生はどうしてここに?」
「3人で色々話したくってー」
「そっか。なら僕たちは邪魔ものだね。失礼しようエビ子」
「我はもっとこいつらと話したいぞ!」
「迷惑掛けないの。伝票はもらっとくね。エビ子が迷惑かけてごめん料ってことで」
「やだー!」
斉藤先生は駄々をこねるエビ子ちゃんの手と僕たちの伝票を連れて、遠くの席まで去っていった。
「またよろしくお願いしまーす」
2人の後ろ姿に委員長が声を掛けた。すると斉藤先生が後ろ歩きでこっちに戻ってきて白野さんの顔を見て口を開いた。
「あ、YouTuberやってるならこれ言っといた方がいいかも。警察やってる義父が言ってたんだけど、最近少なくない数のYouTuberの行方がわからなくなってるみたいなんだ。因果関係はまだわかってないらしいけど、念のため気を付けてね」
「は、はい……」
それから斉藤さんは今度こそ僕たちの前から去っていった。白野さんはコーラを飲んでおしぼりで顔を拭った。その行方不明になっているYouTuberの中には、うぇんや富良らんすも含まれているのだろうか? 一体YouTuberの間で何が起こっているんだろうか? というより義父ってことは斉藤先生は既婚者なのか。結婚相手はどんな人なんだろうか。
いや、今はそれよりも、だ。委員長も白野さんがわっちんだとわかっているなら、ここで話しても大丈夫だろう。予想外の事態が発生してしまったが、そろそろ本題に入ろう。
「リムリムとのデート、結局どうする?」
「あ……! 忘れてた……!」
「おー! マジでデートやるんすねー!」
あまりに色々起こりすぎて記憶が吹っ飛んでいたらしい白野さんに対して、委員長は興味津々という感じで声を弾ませ、目を輝かせていた。




