弐拾漆――憎悪輪廻一方通行
「還崎……哉江……」
その拳で敵を打ち砕く鬼神の少女。
夜闇を背に携え、悠然と立つその姿は、還崎哉江が敵であるのだと私の意思に明確に自覚させた。
張り詰めた空気の中、互いに互いの距離を確かめ様子を伺う。ほんの一瞬でも気を抜けば、そこが死地となるだろう。それくらいに哉江が放つ殺気は尋常ではなかった。
何がそこまで哉江を駆り立てるのか、語るに及ばず、軋轢魔法への憎しみはこの少女の中でもずっと渦巻いているのだろう。煮詰めすぎたカラメルのように苦く堅くなってしまったその憎しみは、生半可なものでは取り除けない。それはきっと、兄である洋でも難しいものに違いない。
それを私が砕くのだ。
「ごめんね、洋。でも私やっぱり、貴方の妹を苦しめる所を見せたくない」
『……ああ、そうか。分かった。通信は全て切っておこう。終わったら知らせてくれ』
「ありがとう」
これで心置きなく戦える。
きっとこの戦いは苛烈を極めるだろう。どちらも無事では終わらないはずだ。死すらも、覚悟の中に入れておけと心の中が叫んでいた。それくらい私はこの少女を恐れている。
「お兄ちゃんは、どこだ」
哉江はその殺気を背にしたまま、静かに短くそう言った。思わず、背筋に凍った感覚が走った。
負けてはならない。心でも勝たなくてはならない。
「大人しく投降してくれるなら、会わせてあげない事もないけど?」
「……軋轢魔法風情が、私に降伏勧告だと? くっ……ハハハハハ!! ふざけるな!! お兄ちゃんはどこだ!! お兄ちゃんを出せ!!」
「――ッ、なに、これ」
おかしい。
明らかに様子がおかしい。
以前の冷徹な表情や雰囲気などどこにもなく、ただそこには暴走した一途な思いがあるだけ。それほどまでにこの少女は疲弊していた。
「お前が隠したんだ……あの時、お前が。そう、だ。お前を殺せばお兄ちゃんが元に戻る。私の所へ来てくれる!! だから、そこでじっとしててよ」
「……嫌だね」
哉江の両腕の籠手、リミッターが解除されボロボロと崩れ落ちていった。
その中は素手。ただ異様だったのは、青白く光る幾何学的な文様が腕に刻まれていた事だった。青白い光から溢れ出る瘴気を纏う異形の両腕が闇夜を照らしている。哉江はその手を一度大きく開き、そして力強く握りしめた。
据える瞳の先には、私がいる。
凍り付いた時間の中、哉江は小さく『Sekhmet』と呟いた。
――それが開戦の合図だった。
「はあああああああああああああああッ!!」
「おおおおおおおおおおおおおお!!」
一本の閃光と化した拳がぶつかり合った。
拳は衝撃を周囲へと拡散させクレーター状にアスファルトを抉り取り、空間すら破壊しながら互いの最大限の力をぶつけ合う。たとえ骨に罅が入ろうとも、拳が割れようとも構わず、私は自身の思いの全てを解き放っていた。
拮抗が解かれる。強すぎる力で弾き飛ばされながらも体勢を整え次の一撃の為に体に力を籠める。それは哉江も同じだ。
哉江は地を蹴り砲弾の如く前方へ突っ込んだ。数十メートルの距離を一気に詰め、再び肉薄する。下から突き上げる哉江のアッパーを後ろへ避ける。それを読んでいた哉江がアッパーの勢いのまま体を回転させ回し蹴りを打ち込と、一の腕で受け止め緩衝するが、それでも私の体は数メートル先のコンビニのガラスを突き破っていた。
壁に叩きつけられ吐血する。
「くッ……」
ダメだ。このままでは前と同じだ。気迫に圧され、力でも負け、手も足も出ずに殺されてしまう。
痛みを殺せ。体の傷なんて軋轢魔法の副作用ですぐに治る。自分の体を気にするな。相手を倒す事だけを考えろ!
来る。哉江がまた私を殺す為にこちらへ来る。その速さは神速。この状態で避ける事は不可能。であれば受け止めろ。前からなら受け止められる。
哉江の一撃を腕をクロスに交差させ受け止めた。岩盤を穿つような轟音と共に余波の烈風が周囲の無機物を破壊していく。
アーマーに罅が入る音が聞こえた。
衝撃は腕にまで達し、鋭い痛みで顔が歪む。
だが、止まる訳にはいかないッ!!
「――――――あああッ!!」
前にかけた体重と共に交差させた腕を解き放ち哉江の体を押し戻す。後ろに重心をかけた隙を逃さず右拳を鳩尾へと打ち込んだ。
血反吐を吐きながらボロボロのアスファルトの上を哉江が転がる。
咽ながらもゆらゆらと立ち上がる。
私の体も先のダメージと無理やり動いた反動で疲弊していた。魔導アーマーの補助があるとは言え、殴り合いなんてまともにしたことがない少女の体なのだ。仕方がない。だがそれは相手も同じなようで、こちらを見たまま哉江は動かない。様子を伺っているのか。だが一つ、以前戦った時の事も含めなんとなく感じたのが、哉江は前方に突っ込んでしかこないのだ。これまで、以前も含め五度ほど打ち合ったが、全て真正面からの攻撃だ。
だからと言って先のように中途半端に避けでもしたら追撃が飛んでくる。だからこちらも全力でぶつかるしかないのだ。サブマシンガンを使ったとて、魔力の壁で防がれるのも目に見えている。
「………………」
動きを止めるか……ならばどうやって。
ふと、ボロボロのアスファルトが目に入った。ボロボロとは言ったがクレーター状にひびが入っているだけで崩れている訳ではない。この割れかけのアスファルトを壊して足場を崩す、か……?
だが相手も馬鹿ではないはずだ。二度も攻撃を防がれたのだから、何かしらの対策はしてくるはず。
相手は魔術師だ。攻撃のバリエーションが貧困であるはずがない。
ただ一つ、大きな隙を作れるのだとすれば――
哉江が動いた。
右腕を前に上げ広げた手のひらを前方へ翳す。血塗れた口元が微かに動き何かを呟いた。
右腕の青白い文様が輝きを増していく。
さっき、自分がビル群に向けてやったのと似たようなものだろう。
哉江の右掌を中心に何かが急激な速度で収束し始める。地が鳴り風が吹きすさぶ。
まるで目を突き刺すような白光が人のいない街を埋め尽くしていく。全てが漂白されていく。
そして、解き放たれた閃光は純白の柱となって目の前の全てを消し去るのだろう。
だが光の柱は私の目の前でせき止められた。
「な……っ」
哉江の驚く声が聞こえた。
私は光でさえも周囲を焼き尽くす光の柱を右手で受け止めていた。正確には、ソレ自体を破壊し続けていた。
握りつぶした光の柱は、それだけでガラスのように粉々に砕け散った。
この力は指定したあらゆる全てを破壊する力。だとするならば、超極太のレーザー光線だって破壊できない道理はない。
正直大博打だったが……
止めをさすなら今しかないと告げた私の頭に従って、呆然とする哉江へ向かって駆けだした。
「なんで? なんで? なんでなんでなんでなんでなんでなんで!! この力があればこいつ等を殺せるって言ってたのに、嘘ついたの!? なんで!?」
もういい。
哉江の水月を殴り抉った。
目を見開いて空気を体から絞り出した少女は、意識を失った。
@
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……お兄ちゃん……お兄ちゃん……」
私は迷っていた。洋に知らせるべきなのかどうかを。
明らかに心を病んでいた還崎哉江。こんな姿を洋が知れば、自分のせいだと思うに違いない。だがこのままここにいる訳にもいかない訳で。
「どうしよう……」
哉江は後ろ手で縛って、洋から教えられていた魔導アーマーの強制停止装置を作動させて無力化はできている。戦う力はもうないはずだ。魔導アーマーを装着した魔術師は本業ではない。素人が本業の魔術師以上の力を発揮する為に作られたのが魔導アーマーだ。生身でも魔術を行使できたとしても、アーマーの補助なしでは魔力が足りずに空打ちになるらしい。
「ねえ、話せる?」
「………………触るなよ。うつるだろ……あっちいけよ……消えろよ」
縛られていない足で私の脛を蹴った。だが、力は入っておらず、蹴った足の方が押し戻されていた。
あまりにも痛々しい。やはり、これ以上は酷だろう。
「洋に、会わせてあげるから」
「お兄ちゃん、に?」
「うん。だから、私に従って。ここから逃げるから」
哉江は数秒の間思案した後、渋々と頷いた。
哉江の肩を持ち、ゆっくりと歩き出した。
「………………」
本当に、このまま哉江を連れて行っていいのか?
このままただ洋と哉江が会って、めでたしめでたしで終わっていいのか?
それは本当に、二人にとっての幸せなのか?
結局同じだ。片方が依存して、依存された方の心は離れていく。これは違う、求めていたものではないと。そうなってはならないのだ。
洋とメルシィさんは違う。だが、そうならないとも限らない。
そもそも、洋が哉江を傷付ける事を嫌って会う事を拒否する事だって考えられる。あのヘタレならやりそうな事だ。
そう、このままでは何も解決しないのだ。
哉江とコミュニケーションを取れればいいが、それができるのは洋だけだ。しかしそれでは本末転倒。
哉江が洋以外に信頼を置く人間がいれば……
「お前は、お兄ちゃんの、なんなんだ……?」
と、哉江が突然そんな事を訊いてきた。
何と言われても答えがたい。
そう言えば私は洋に対してどんな感情を抱いていたのかいまいち分からない。最初は命の恩人。その次に変態、でも私の為に親身になってくれたその姿には好意すら抱いた。
好きなのか?
分からない。恋愛というものをした事のない私にとって、この感情がはたして異性への愛なのかどうかが判断できない。
思わず、私は黙ってしまっていた。
それが奈落への落とし穴。
「やっぱり……お前がお兄ちゃんをたぶらかしていたんだな」
「ちが――
「私がお兄ちゃんの傍にいたいって言って、お兄ちゃんが断る訳がない! なのにあんな顔で断ったのはお前がいたせいだ。お前のせいだ!!」
落ち着け。ただ錯乱しているだけだ。普通ではない精神状態なんだ。まともに返さなくてもいい。
なのにどうして、私の心はこんなにも憎しみを生み出している?
「アンタに、洋の何が分かるの……洋は会いたくても会えなかったの!! 貴方を傷付けたく無いからずっと貴方に会うのを我慢してたのよ!!」
「黙れッ!! お前も嘘吐きだ! お兄ちゃんが好きだから私を合わせようとしたくない為に私を殺しにきたんだ!」
好き?
私が洋を好きだと思っているとして、洋の所に連れていきたくないと思っているのは、そうすれば洋が私のもとから離れてしまうから?
それが口惜しいから?
「そんな訳、ないじゃない……!!」
「どうだか」
ドロリと、心の奥底からヘドロが湧き出た。
そんなはずがないのに、心のどこかでそれを肯定する気持ちが出てきてしまう。
心の憎しみはどんどんと広がっていってしまう。
ダメなのに、それでは全てが本末転倒なのに、これも軋轢魔法の影響なのか、私は還崎哉江が心底に憎かった。
足が止まる。
怒りに震え、沸騰した頭からは言葉が出てこない。
心がざわついて、そして――
「痛ッ……!」
強い静電気のような痛みが腕に走った事で思わず腕から力が抜けてしまう。それと同時に哉江が私の腕をふりほどき、私から距離を取る。
だがおかしい。哉江は魔術を使えないはずでは?
後ろ手に縛られたままの両腕が青白く発光していた。その光が縄を焼き切り両手は自由になる。
「まさか、自力で魔術を――!?」
その哉江の顔は、恐怖に怯えているようにも見えた。
自身の両手を、両腕をまるで悪魔でも見るかのように凝視している。
「な、んで……勝手に魔術が……? アーマーつけてないのに。なにこれ、ああ、う゛ぅ゛……げええ」
青白い文様がやがてドス黒い赤へと変化した。
地面に倒れ伏した哉江の口から吐き出されたのは、真っ黒な液体だった。およそ人間の体から出てくるとは思えない気持ち悪い塊。まるで、心の中の憎しみが溢れ出てしまったかのような。
そう考えると、比喩であるはずだった湧き出たヘドロが、質量を持って自分の中にも感じ取れた。胃の中に何か異物がある、嘔吐感が込みあがってくる。
地面に突っ伏したまま動かなかった哉江はよろめきながら立ち上がると、どこかへ逃げるように走って行ってしまった。
止めようとしたが、強まる嘔吐感で体がうまく動こうとしない。
「うっ……ぅ、く。はぁ……はぁ……」
なんとか抑え込んだが、あまりの感覚にへたり込んでしまう。
恐怖が思考の理解を超えた状況に声を出す事もできない。
ふと自分の手を見ると、焼け焦げたように真っ黒になっていた。
魔術図鑑Ⅱ
Sekhmet
エジプト神話の女神の名を冠した魔術……だと思われていたが実際は軋轢魔法である。
自身または自身の所有物・近親者に対する行為に対し憎しみを抱いた場合、憎しみを抱いた対象に対してのみ、全ての攻撃が相手の防御(装甲・障壁など)を上回る威力で発揮される。だが、対象に関連しない防御行動に関しては対応しない。なお、これを上回る出力で防御された場合、効力が弱まる。




