「世界そのものの物語」
「ここから先は――私たちの物語ではない」
白い空間に、老人の声が響いた。
「世界そのものの物語だ」
直人は、目の前に座る白髪の男を見つめていた。
顔は、自分と同じだった。
いや。
同じという言葉では足りない。
目の奥にあるものまで、同じだった。
恐怖。
迷い。
後悔。
そして――それでも生きたいという意思。
「……あんたは、誰なんだ?」
白髪の直人は、静かに本を閉じた。
本の表紙には、
《世界の書き換え方・完全版》
と書かれている。
「私は、お前が最後に捨てたものだ」
「……捨てた?」
「そうだ」
白髪の直人は立ち上がった。
その瞬間。
白い空間全体が、巨大な波のように揺れた。
天音が息を呑む。
「何……これ?」
ミオも周囲を見回す。
「世界が……揺れてる?」
違う。
直人には分かった。
揺れているのは世界ではない。
――世界の外側だった。
そのさらに外側にある何かが、目を覚まそうとしている。
白髪の直人が言った。
「第六世界は、世界ではない」
「じゃあ、ここは何なんだ?」
「世界が生まれる前の場所だ」
直人の背筋に寒気が走った。
「……世界が、生まれる前?」
「時間もない。空間もない。命もない」
白髪の直人は、一歩前へ進む。
「ここにあるのは――」
その瞬間。
白い空間に、無数の映像が浮かび上がった。
第一世界。
第二世界。
第三世界。
第四世界。
第五世界。
そして、そのすべてに存在していた直人と天音。
笑っている二人。
泣いている二人。
争っている二人。
別れてしまった二人。
そして――
互いを殺した二人。
天音が顔を背けた。
「こんなの……」
未来ミオが呟く。
「全部……私たちの可能性?」
「違う」
白髪の直人が答えた。
「可能性ではない」
全員が彼を見る。
「これは――」
白髪の直人の目が、初めて鋭くなった。
「実際に存在していた世界だ」
「……え?」
直人の声が震えた。
「でも俺たちは……」
「知らなかっただけだ」
白髪の直人は本を開いた。
ページには、びっしりと世界の記録が書かれていた。
「お前たちが『選ばなかった未来』は、消えていたわけじゃない」
「……」
「ずっと、生きていた」
その言葉と同時に。
映像の中の一人の直人が、こちらを見た。
「……!」
直人が息を止める。
映像の中の直人は、こちらを見ている。
まるで――
こちら側の存在を認識しているように。
そして。
口を開いた。
『……やっと、見つけた』
天音が直人の腕を掴んだ。
「直人……!」
映像の中の直人は続ける。
『俺たちは、ずっと探していた』
『自分たちを作った存在を』
直人の心臓が大きく跳ねた。
「……俺たちを?」
白髪の直人が答える。
「そうだ」
「じゃあ……俺たちが世界を作ったんじゃないのか?」
長い沈黙。
そして。
白髪の直人は首を横に振った。
「違う」
「……!」
「世界が、お前たちを作ったんだ」
空間が凍った。
「世界は最初から、お前たちを必要としていた」
白髪の直人は、本の最後のページを開く。
そこには一行だけ書かれていた。
《世界は、誰かに作られるものではない》
その下に、もう一行。
《世界は、誰かを生み出すために存在する》
直人は言葉を失った。
今までのすべてが、逆だった。
創造主。
管理者。
世界意思。
原初の子。
観測者。
そして――自分。
すべてが「世界を作る側」だと思っていた。
だが。
もし違うのなら。
「……じゃあ、俺たちは何なんだ?」
白髪の直人は答えなかった。
代わりに、本のページを一枚めくった。
そこに書かれていた名前を見て。
直人の目が見開かれる。
「……佐伯直人」
自分の名前。
その隣には。
「……天音」
さらにその下。
「……ミオ」
三人の名前が並んでいた。
そして、その下には――
まだ無数の名前が続いている。
直人が震える声で言った。
「これ……誰の名前だ?」
白髪の直人は静かに答えた。
「世界が生み出した者たちの名前だ」
「じゃあ……」
直人はページをめくろうとした。
しかし。
本が突然、閉じた。
「!」
白髪の直人の顔色が変わった。
「……遅かったか」
「何が?」
白い空間の彼方。
何もなかった場所に――
巨大な黒い亀裂が走った。
ミシッ。
ミシッ。
まるで世界そのものが割れていく。
天音が叫ぶ。
「何か来る!」
黒い亀裂の向こうから。
声が聞こえた。
男の声。
女の声。
子供の声。
老人の声。
無数の声が重なっている。
『返して』
『私たちの世界を』
『私たちの未来を』
『私たちの命を』
直人の顔から血の気が引いた。
その声には――
聞き覚えがあった。
自分がこれまでの世界で出会った人々。
失った人々。
救えなかった人々。
選ばなかった未来の人々。
すべての声だった。
未来ミオが震える。
「……世界の外側から……来る」
観測者の少年が初めて怯えた表情を見せた。
「違う」
「え?」
少年は、黒い亀裂を見つめた。
「外側じゃない」
そして。
直人を見る。
「――あれは、世界そのものだ」
その瞬間。
黒い亀裂の向こうから。
巨大な「目」が開いた。
直人は動けなかった。
その目は、空間を見ているのではない。
――自分を見ている。
そして。
声が響いた。
『佐伯直人』
『お前は、何故――』
『私たちを作った?』
直人の呼吸が止まった。
「……俺が?」
『答えろ』
世界そのものが震える。
『お前は、何故――』
『私たちに、生きろと命じた?』
直人は拳を握った。
これまでなら。
世界を書き換えていた。
間違いを消して。
未来を選んで。
誰かを救うために。
誰かを犠牲にして。
何度も。
何度も。
世界を書き換えてきた。
だが――
もう違う。
直人は顔を上げた。
天音を見る。
ミオを見る。
未来のミオを見る。
観測者を見る。
そして。
白髪の自分を見る。
「……命じてない」
世界の目が細くなる。
「俺は――」
直人は一歩前へ出た。
「生きろなんて、命令してない」
「ただ……」
胸に手を当てる。
「生きたかっただけだ」
静寂。
「俺も」
天音が隣に立つ。
「私も」
ミオも並ぶ。
「私も……」
未来ミオが続く。
観測者の少年も。
そして最後に。
白髪の直人が微笑んだ。
「私もだ」
五人が並んだ。
すると。
黒い目の奥で――
何かが動いた。
『……ならば』
世界の声が響く。
『最後の問いを与える』
白い空間が崩れ始める。
第六世界そのものが消えていく。
『世界を作るのは、誰だ?』
直人は答えようとした。
しかし。
その瞬間。
背後から。
小さな声がした。
「……おとうさん」
直人が振り返る。
そこには――
第五世界で生まれた、あの子供が立っていた。
白い瞳。
黒い瞳。
原初の子。
その子は直人を見上げている。
そして。
初めて、自分から言った。
「世界を作るのは――」
小さな手を、直人へ伸ばす。
「みんなだよ」
――その瞬間。
第六世界が、完全に砕けた。
そして。
すべての世界の空に。
同じ文字が浮かび上がった。
《最終世界――生成開始》
《創造主――該当者なし》
《管理者――該当者なし》
《世界意思――覚醒》
《生命――選択開始》
最後に。
一つだけ。
新しい文字が現れた。
《世界そのもの――主人公》
直人は、その文字を見上げた。
そして思った。
これはもう――
自分が世界を書き換える物語ではない。
世界が、自分自身を書き換える物語なのだ。
その瞬間。
遠くで。
誰かが笑った。
「――ようやく始まるね」
直人は、その声の主を知らなかった。
だが。
なぜか分かった。
この声こそが――
すべての世界の「最初の声」だった。
そして。
新しい世界が、目を開いた。




